外人が増えるとバスが遅れる
なんともせわしない花見を終えて、春の陽が優しく傾く中、奈良の町場まで戻ってきた。もう夕方だが、今日の旅はまだまだ終わらない。本日2つ目のメインイベントが控えているのだ。これからバスに乗って、その舞台となる西ノ京エリアに向かうことにする。
日も暮れてから始まる、本日2つ目のメインイベント……。それは、薬師寺の花会式だ。
花会式、ご存じだろうか。
毎年3月末に行われる、薬師寺最大の行事だ。
奈良に数ある伝統の大寺では、はるか昔から、旧暦の二月に修二会と呼ばれる大きな法要が行われてきた。有名な東大寺のお水取りもその1つ。
正式にはどのお寺でも修二会という名前なのだが、お寺によっていろいろな愛称で呼ばれていて、東大寺はお水取り、新薬師寺ではおたいまつ、そして薬師寺では花会式で通っている。
なんで花会式なんて呼ばれているかというと、ご本尊が色とりどりの造花で飾られるからだ。修二会自体は奈良時代から続いているようだが、なんでも、平安時代に堀河天皇の皇后が、病気からの回復のお礼として、10種の造花を作らせて供えたところから起こった呼び名だとか。
今でもこの造花は、それを代々受け継いできた奈良市内の家で手作りされて、本堂に飾りつけられている。当日、本尊の薬師三尊像の宝前に立って眺めると、そのまわりが、あふれんばかりの造花でカラフルに飾られていて、拝む者を否応なく春心地に誘うばかりだ。
修二会の法要のスタイルは、時期にしても日数にしても時間帯にしても、お寺によってだいぶ差がある。薬師寺の花会式は、3月末に7日間にわたって、連日、昼間・宵の口・深夜の3パートに分けて行われている。ここ数年、そのうちの宵の口のパート――正式には初夜・半夜と呼ばれるが――を拝観していて、今年もこれから出かけようというわけだ。
で、その舞台の薬師寺は、近鉄の西ノ京駅からすぐのところにある。だが、これから乗ろうとしているのは、近鉄ではなく、バス。なぜかというと、そのほうがいろいろ都合がいいからだ。
宵の口パートはだいたい夜の7時から始まって、9時か9時半くらいまでかかる。ちょうど夕飯時分だ。そこで、バスに乗って薬師寺をちょっと過ぎたあたりのところに、なかなかリーズナブルなファミレスがあるので、そこへ寄って、いささか早めの夕飯を済ませてから向かおうという魂胆だ。
それに、駅からすぐの門は、言うなれば裏門にあたるのに対して、ファミレスから行くと、正門にあたる南大門のところから入れる。
そんなわけで、ファミレスの最寄りバス停まで行かれる数少ないバスの時刻を調べておいて、それに間に合うようにバス停まで戻ってきたところだ。このバスで行けば、夕飯を済ませて、ちょっとのんびりしてから余裕をもって南大門へ向かえる。
バス停に並んで、時計を見ると……時間になった。でも、まだ来ない。まあ、バスがちょっと遅れるくらいはよくあること。まだまだ時間には余裕があるし、気長に待ちましょ。
定刻から5分経過……まだ来ない。いやまだまだ。
10分経過……来ないなあ。やっぱりバスってやつは遅れるもんだねえ。もう夕方の混む時間帯に入っちゃったかな。
15分経過……ちょっと遅れすぎじゃないかい?
このバスは、奈良公園の奥の奥、春日大社のほうから来る。大仏前の交差点あたりは、京都の祇園とか清水あたりほどではないが、観光シーズンには渋滞しているのをよく見かけるなあ。あのへんで詰まっているんだろうか。
バス路線が充実した奈良中心部のこと、次から次へとバス自体はやってくるのだが、お目当ての、そのバスが来ない。だいぶ余裕があるはずだった夕飯タイムが、少しずつ削られていく。さすがにそろそろ乗って向かいたいところだ。
穏やかな春の大気の奥底で、人知れず、まったく穏やかならぬイヤーな灰汁が体の中にたまって、下のほうから締め上げてくるのを感じる。
そんな精神衛生的によろしくない時間を過ごして、定刻からどれくらい待たされたころだろうか。待ち焦がれた行き先を掲げたバスが、ついにやってきた。
すぐにでも乗りこみたいところだが、まず前側の降車用のドアだけが開く。ここは駅前のバス停なので、降りる客も多い。先にある程度降ろして、車内がすいてから乗せようということらしい。
だが、その開いたドアから、客がなかなかスムーズに降りてこない。よく見ると、その降りようとしている客っていうのが、ことごとく外人だ。1人ずつ、何やら運転手とややこしそうなやり取りをして、降りてきたかと思えば、次の客がまた何やらやっている。
そうか……だからこんなに遅れたのか……。
たしかに、バスっていう乗り物は、電車と比べるとだいぶ独特なシステムを持っている。近頃はICカードが普及してだいぶ様変わりしたが、小銭で運賃を払おうとすると、両替が必要だったりして、日本人でも慣れていないとまごつくことが少なくないだろう。
ましてや外人なんて、日本のバスのシステムに慣れているわけがない。しかも言葉も通じない。そんな客に対して、それはここへこう入れて、それじゃ足りないから両替して……なんてジェスチャーも交えて1人ずつやっていたら、いくら始発バス停を時間通りに出たって、10分20分すぐに遅れること請け合いだ。
だいぶ遅れたバスがようやくやってきて、ホッとしたのもつかの間、バス停に着いてからさらにその遅れを増やしている。またも精神衛生的によろしくない時間をしばらく過ごした後、ようやく乗車用ドアが開いて、客がすっかり日本人に入れ替わったそのバスは、運転手の詫びのアナウンスを合図にバス停を後にした。
バスが発車しても、体内の灰汁の締め上げ攻撃は緩まない。こうも遅れると、こんどは降りるバス停に着くまで心中穏やかならぬことになる。車の流れがちょっとでも詰まればヤキモキし、信号で待たされるたび時計に目をやったりする。
そんな、実際の何倍にも感じる時間をバスの中で過ごして、ようやっと、目指すファミレス最寄りのバス停に到着した。
思えば、この「インバウンド禍」のせいで、昨日の宿探しあたりからとんでもない目に遭っている。すべてがインバウンド禍のせいではないのかもしれないが、かなりの割合をそのせいにしても、大きく間違ってはいないんじゃなかろうか。
それが宿探しだけでは済まず、バスの遅れという形でまで食らうとは……。
外人が増えるとバスが遅れる……旅人として、心得ておくべき事実かもしれない。




