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人生最後?の尾道

 3時間半にわたる伯備線の旅を経て、たどり着いた倉敷。岡山の都市エリアに入って加速度的に混んできた電車を、大荷物を抱えて何とか脱出し、乗りかえるは、山陽線の……下り電車だ。


 あれ? これから関西へ戻るって言ってなかったっけ?

 いかにも。夜には関西まで戻る計画だ。

 とはいえ、まだ11時過ぎ。まっすぐ東を目指すにはちと早すぎる。じゃあ、どこでどう過ごそうか……と考えたとき、ふと浮かんだのが、過去何度か歩いた、春の尾道の光景だ。


 急斜面を横切る狭い路地を抜けると、陽だまりに春の花咲く寺社が点々と……。

 こんなシーンがよみがえってきた日には、これはもう、旅人なら居ても立ってもいられなくなること請け合いだ。そんな尾道は、広島県東部。3日前に通った福山から、さらに西へちょっと行ったところにある。


 関西へと向かう今日の旅路のベクトルからすると逆向きになるが、手元にあるのは、1日乗り放題の18きっぷ。JRの鈍行である限り、どこをどう乗ろうが定額だ。片道1時間ほど、ちょうど手頃な「寄り道」じゃなかろうか。

 そんなわけで、倉敷駅の1番のりばから、幸せの黄色い電車に乗って一路西へ。


 3日前と同じように、町を抜けて田園を行き、いつの間にか県境を越えて広島へ。

 弁当を求めてさまよい歩いた福山を今日は素通りして、何駅か行くと、スピードを落とした電車は右に大きくカーブして、左に海が見えてきた。海とはいっても、すぐそこに向島むかいじまがあるので、水路といった趣だ。

 気付くと、電車は建てこんだ街並みに囲まれていて、ところどころに、ガイドブックの表紙を飾るにおあつらえ向きな、古刹の塔や本堂の屋根がのぞいている。そのうち電車は、さらにスピードを落として、尾道駅に着いた。


 尾道っていうところは、町歩きのフィールドとしてほんとうに充実した町だ。

 ガイドブックの写真に思わず行きたくさせられるような寺社が、かなり広範囲に点在していて、そこを結んで、狭い路地や階段がいくつも伸びている。全部回るにはどれくらいの時間がかかるだろうか。ここに泊まって、丸1日取ったとしても足りないかもしれない。


 関西へ戻る道すがらの、ちょっとしたオプショナルツアーの身には、そんな時間はない。せいぜい1時間半といったところだ。惜しい限りだが、今回は、行き先を絞ってそこまでの範囲で楽しむほかはない。

 行き先を絞るとなると、心は決まっている。駅から1キロくらいのところにある、天寧寺てんねいじだ。ささやかな境内にベニシダレザクラが咲いて、春心地に酔った思い出がよみがえる。あそこだけでも行ければ満足だ。

 よし、行こう。


 駅から線路沿いの道路を行って踏切を渡り、さらに進むと、突然道が狭くなって、坂道が始まる。これぞ尾道名物。ふつうの町だったら、よそ者がまず立ち入ることのないような、裏道感満載の路地だ。

 昼寝する住人のいびきが聞こえてくるような、民家の軒先すぐの石畳をたどっていくと、忽然とお寺の門が現れる。こういうところが、尾道歩きのおもしろいところだ。目的のお寺ではないが、お参りしながらたどっていく。


 さらに歩くと、そんな路地の散歩道沿いに、民家一軒分ほどの広さの公園がある。町歩きの休憩スポットとして設えたものだろう。狭いながらも、あずまやにトイレもある。ちょっと気ぜわしいが、このスポットをあてにして弁当を買ってきたので、さあランチタイムだ。

 食べながら眺めると、眼下には街並みが広がり、その向こうに海の帯、さらに向こうに向島の工業地帯と、山の緑。手元にあるのは安っぽい弁当だが、尾道らしい眺望をオカズに、考えてみれば贅沢なランチタイムだ。


 この景色を眺めながら弁当を食べるのも、もう最後かもな……。

 そう、今回のこの尾道歩き、私にとっては、「最後の尾道」になるかもしれないのだ。


 なぜ最後? それに答えようとすると、まためっぽうマニアックな話になる。

 眼下を左右に走る山陽線、姫路からここ尾道のあたりまでは、さっきお世話になった黄色い国鉄型電車がまだ元気にやっているので、心穏やかに旅ができてありがたい。一方、もうちょっと西に行った三原から広島方面は、背筋をなぞる音をたてて走る、新型インバーター電車に征服されつくしていることは、福塩線についてのパートでお話しした通りだ。


 その新型電車が、この旅の時点で、岡山を中心にしたこのエリアにもデビュー間近だというのだ。その際には、入れ替えに国鉄型電車がはじき出されていくことになる。いずれここも、インバーター電車に占めつくされてしまうだろう。

 となれば、背筋をなぞられるのが耐えがたい身としては、中国地方まで来れる機会があったとしても、山陽線で旅することはできなくなる。いくら脳裏に尾道の風光がよみがえっても、もうこの町を歩きに来れることもないだろう。


 最後かも……。そう思うと、途端に名残惜しくなってくる。でも、まあ、先のことは分からない。今日の旅を楽しもう。

 食べ終えてひと休みしたら、また石畳を歩きはじめる。引き続き、民家の軒先とか塀にこすりながら小径をたどり、突然現れるお寺にお参りしながらの散策。お寺を目にした瞬間、ああ、こんなところあったあった、と、かつて歩いたときのスナップが浮かぶ。境内の花がまた目にあったかいこと……。


 お寺から通りへ出て、古民家カフェがあるようなしゃれた雰囲気の階段道を登っていく。ひとしきり登り切って、また斜面を横切る路地へ。そうしてしばらく進んでいくと、ようやく、目指す天寧寺が見えてきた。

 サギか何かが、空を旋回しながら池の中島に降り立つように、お寺を見下ろす路地を緩やかにカーブしつつ下っていって、境内へ。


 入っていくと、見覚えのある、あの風景。ふつうの桜が何本かと、名物のシダレザクラが咲いている。ありがたいことに、どっちも見ごろだ。ああ、また天寧寺に来れたんだなあ……。

 まず本堂にお参り。扉から中に入ってお参りできるのがうれしい。隣には五百羅漢がまつられているお堂もあるので、こっちにも入ってお参りする。


 心静かに手を合わせるひとときを過ごして、立ち出でると、目の前に、見ごろのシダレザクラ。ソメイヨシノなんかより濃い桃色が目にしみる。木の背丈が低くて、ちょうど顔の高さに枝垂れていてサービス満点だ。

 その枝が作り出す桃色の空間に入っていくと、花に包まれた至福の世界がそこにある。右を見ても左を見ても、春色。しばし世界に浸って、1歩2歩、歩いてはまた立ち止まって花を眺めて浸り、またちょっと動いては、少しずつ印象を変える春色に酔う。


 ああ、心が、ほぐされていく……。

 急斜面の中ほどにあるお寺のこと、この庭も狭いもんなのだが、この桜1つあるだけで、何十分でも過ごせてしまいそうだ。

 でも、もう、行かなきゃ……。


 これから鈍行で関西まで旅する道のりを考えると、そうのんびりもしていられない。どれだけ長居したって、名残惜しいことに変わりはないだろう。

 うん。いいんだ。ちょっと尾道まで歩きに来れて、天寧寺まで来れて、シダレザクラに浸れた。十分じゃないか。そろそろ行こう。


 春色の世界から抜け出して、出口の門へと歩み寄り、振りかえって境内を見わたす。つい今しがたまで私を包んでいたシダレザクラが、春の陽を受けて手を振っている。

 この眺めも、これが見納めかもなあ……。

 先のことは分からない。もしかすると、来年また来れちゃうかもしれない。でも、やっぱり、「これが最後かも」の思いを拭い去れない。だから余計に去りがたいのだが……。


 縁があれば、また来させてくださいよ。

 軽く一礼して、門を出た。


 門から階段を下ると、線路に頭をこすりそうなガードをくぐって、駅へと続く国道に出る。すれ違うのに気を遣うような、狭い狭い歩道を、やけに足早に駅へと向かていった。

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