はからずも萩歩き
ここ長門市駅から、ついに山陰線の旅が始まる。下関から長門市までの海の眺めを楽しめなかったのは無念だが、ここからの眺めを満喫することにしよう。
山陰線の旅のお供は、またもあのミニディーゼルカー……ではなくて、芸備線でお世話になった国鉄型のタラコ汽車だ。山陰線の山口県エリアでは、コイツがまだまだ元気にがんばっている。重厚で風格漂うこの汽車を見ると、俄然テンションが上がってくるから我ながら大人げないもんだ。
ところがこの汽車、行き先が益田じゃなくて、だいぶ手前の途中駅止まり。しかも、その駅まで行ったところで、乗りかえて先へ進める汽車もなし。この時間帯は、益田まで行く方法がないのだ。こういうところが、やたらと時間がかかる山陰線の旅の難しさ。
ただ、1時間ちょっと後には益田行きが走る。さっき、あのまま下関まで行っちゃっていたら、次の益田行きにも間に合わなかったところ、「美祢線ショートカット」をかましたおかげで、次の益田行きに乗りさえすれば、日のあるうちに益田に着くという至上命題はクリアできる。
あとは、この1時間ちょっとの活かし方だが、今ここにいる途中駅止まりの汽車で萩まで行って、プチ散歩を楽しむことにした。
タラコ汽車は、おもむろに長門市駅を出て、ひとしきり走ると左に入り江が見えてきた。向かいには、おおらかに浮かぶ青海島。
今日の午前中、さんざん満喫した瀬戸内と同じ、海に島浮かぶ眺めだが、印象がだいぶ違う。海の色が、青くて、深い。瀬戸の海を眺める心を満たした、あのうららかさを感じない。
こっちは外海、日本海。今見ている水面は穏やかだが、時に厳しい荒波に磨かれて、研ぎ澄まされた海景色だからだろうか。
汽車は、そんな海の眺めを見せたり、海から離れて林や野を見せたりしながら、30分ばかり走ると、悠然と右にカーブして、左手に町の眺めが広がった。萩の町だ。
初日の松陰神社のところでも言ったが、去年のこの春旅で、はじめて萩を歩いた。
萩の見どころは広範囲に散らばっていて、1日じゃとても回りきれないくらいだが、去年、半日くらい時間を取って歩いて、特に魅力的なエリアは満喫できた。じゃあ今年は萩はパスでいいか、とはじめは思っていたのだが、ここで1時間の待ち時間。こういうめぐりあわせになるあたり、今年も萩を歩きなさいっていう神様のお告げだろう。
そんなわけで、吉田松陰に興味もなく、どんな人か知りすらしないこの人間が、はからずも萩再訪と相成ったわけだ。
萩の町は、阿武川の三角州に開けた都市だが、線路はそれを包み込むように、はずれの山すそに近いところをぐるっと半円を描いて伸びていて、その途中に玉江・萩・東萩と3つの駅がある。町の中心部は、その半円の真ん中あたりにあるので、どこの駅で降りても、アクセスはあまりよろしくない。
去年は半日あったので、1つ目の玉江で降りて、2~3キロ歩いて城下町エリアに移動して町歩きを楽しみ、また何キロか歩いて東萩から汽車に乗った。だが今年、1時間ちょっとしかないとなれば、できるだけ駅に近いエリアに絞るほかはない。そんなわけで、手持ちのガイドブックといろいろ話し合った結果、東萩駅まで乗って、そこから比較的近い浜崎エリアを歩くことにした。
汽車は、山口の日本海側に明るく開けたこの城下町を、川を挟んで遠巻きに眺めながら走り、やがて東萩駅に着いた。
ひとつ手前の駅が「萩」で、ここは「東萩」。名前からすると萩駅のほうが町の玄関口然としているが、時刻表のマップを見ると、萩市の代表駅は東萩になっている。町でいちばん繁華なエリアへも東萩駅のほうが近いし、駅の造りも東萩のほうが立派だ。
そんな駅から、萩のプチ散歩をはじめよう。
駅を出てちょっと歩くと、広い川を渡る。交通量の多い橋なのであまり歩き心地はよくないが、歩道から眺めると、幅いっぱいに水の満ちた川に沿って、落ち着いた街並みや木立が続いていて、その向こうに緑豊かな山並みのパノラマが広がっているのは悪くない。
渡り切って、街並みの中に宿やお寺が点在する市街地を、浜崎のほうへ向かって歩いていく。
萩にいくつかある観光エリアのうち、去年歩いた城下町エリアは、白壁の古民家が並ぶ横丁とか、立派な石垣や土塀が続く屋敷町の風情を楽しむところだった。一方、これから行く浜崎というエリアは海に近くて、古い港町の風情を味わえそうだ。
浜崎は、城下町エリアと同じく、古い町並みが残っている伝統的建造物群保存地区、略して伝建地区に指定されているらしい。手元の地図には、神社とかお寺とか、立ち寄りスポットの点がいくつか打ってあるほかに、伝建地区のゾーンに色付けがしてある。スポットも旅のよりどころにはなるが、趣ある町歩きを楽しみたい身としては、目指すはやっぱり伝建地区そのものだろう。
地図を見ながら、その色付きゾーンめがけて、道を選んで、進んでいって……そろそろそのゾーンに入ったかな……まだかな……なんかだんだん道が狭くなって、風情が高まってきたぞ……。
道すがらの家も、木の色そのままの板壁の家が急に目立ってきた。そしてほどなく十字路にさしかかると、レトロな通りの眺めがパッと開けた。
そう、これこれ。そうこなくっちゃ!
通りに並んだ家々は、1階がウッディーな板壁、その上に白壁の2階が乗っていて、その白壁には、タテにスリットが入ったむしこ窓が並んでいる。通りから見える表面は立派に飾ってあるが、サイドの面は地面から屋根まで、1面素朴な木の壁。そんな絵にかいたようなレトロ民家が、街道然とした通りに建ち並んでいるのだ。
これで、お目当ての浜崎伝建地区に突入したわけだが、よりよいムードを求めるべく、地図の色付きゾーンの真ん中に近い通りを選んでたどっていくことにしよう。
その通りを渡ってさらに進むと、あいかわらず閑静な狭い通りで、板壁の家並みは目に優しいが、今見た通りのようなフンイキ抜群の建物は出てこない。あれ、今の通りがベストだったのかな? まあ、この先にまだいいところはあるだろう。
そんな街並みを歩いていくと、神社にたどり着いた。地図に載っているスポットだ。町歩きが目的なんだが、ここいらで一休みしてお参りしていくのもいいだろう。
素朴だが趣ある拝殿の前には、小さい桜の木があって、5分咲きぐらいになっている。お参りの後、せっかくだからと、しばし眺めて春心地に浸ろう、と思ったのだが……。
がらんと広い境内は公園を兼ねているらしく、ちびっ子が遊びまわっている。片や、観光客の姿は他になし。それに気付くと、にわかに自分が場違いな存在に思えてきた。
そう、ここは観光スポットじゃない。伝建地区のただ中ではあるが、萩は浜崎という地区の鎮守の社だ。そういうスポットのほうが、町の素顔を垣間見られる気がして、観光旅行じゃない旅の醍醐味ではあるのだが、ときに居心地の悪さみたいなものが忍び寄ってくることもある。
時間もあまりないことだし、先に進むとしますか。
神社沿いの通りを進むと、いよいよ道が狭くなってきた。通り沿いの古民家に「車は通り抜け困難です。お引き返し下さい。」なんて書いてある。
だが、そこを抜けると一転、また街道然とした街並みに出た。地図によると、さっきレトロムードに浸った、あの通りだ。なるほど、この道が浜崎界隈のメインストリートで、これを歩けば、望みどおりの趣ある町歩きを楽しめたというわけか。
もう駅を出て30分を過ぎている。ここらを折り返し地点ということにして、駅に戻りつつ風情を味わうとしよう。
駅に戻る方向にちょっと歩くと、ひときわ古めかしい構えの家があって、入り口が開いている。どうやら一般公開している古民家のようだ。しかも入館無料!
萩には一般公開している古民家があちこちにいくつもあるのだが、去年歩いた城下町エリアは、ことごとく入館料を取るところ、ここ浜崎は無料で見せてくれるのだ。こいつは寄っていかない手はない。
入ると、シックなこげ茶に塗られた、いかにも古民家!っていう柱や梁が、旅人の眼をもてなす。と同時に、きらびやかなひな人形が目に飛び込んできた。なんでも、春のこの時期は、「萩城下の古き雛たち」と銘打って、各古民家で古いひな人形を展示するイベントをやっているらしい。
思いがけず無料で古民家に入れただけでラッキーな気分だったのが、ひな人形まで見られて、ラッキー気分さらに倍。ひとつのんびり満喫させてもらいたいところだが……さすがにもうその時間はない。
そうか……ここだったのか……。
この萩での1時間、駅から比較的近い浜崎に、レトロムードを求めてやってきたこの町歩き。その最適なデスティネーションは、まさにこの古民家だったのだ。下手に地図の伝建地区の色付きエリアにとらわれず、この通りをそぞろ歩いて、ここにたどり着いてのんびり過ごすのが、今日の萩歩きの正解だったのだ。
古式ゆかしい表情でカラフルに並んでいるひな人形たち、みな口々に声をかけてくる。
そんな急がなくたっていいじゃない、せっかく遠いところから来たんだから、ゆっくりしていきなよ……。
いや、そうしたいのはヤマヤマなんですがね、そうもいかないんすよ。
うう、名残惜しい……。
しばし彼らと向き合って、その画を目から心に吸い込んで、そっと通りへ出た。
駅へ向かって歩きながら思う。まあ、こんなところがあるって知っただけでもいいじゃん、次回萩を歩くときの下見だと思えば……って、いつの話だそれ??




