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睡魔と行く関西本線

 静岡を後にした旅路は、何度かの乗りかえを経ながら、愛知を過ぎて三重に入った。お付き合いいただいているこの旅行記も15話を過ぎたが、おお、ようやっと西日本らしいところまで来たな、っていう感じだろうか。

 東日本から関西を目指すなら、たいていは東海道線を乗り継いでいくだろう。そのルートだと、通る県は、愛知-岐阜-滋賀-京都となる。そこを今回は、関西本線に乗って、愛知-三重-奈良と行くことにした。


 関西本線。

 鉄道旅行が趣味な人なら、乗ったことがあるかはともかく、名前くらい知っているんじゃないだろうか。それ以外の人は、沿線の住民でもないと知らないかもなあ……。


 関西本線自体は、名古屋から三重に入って、内陸の伊賀エリアを通り、奈良を経て大阪まで続いている線だ(関西の人は「逆だろ」っていうかもしれないが……)。だが、路線のキャラクターは区間で大きく3つに分かれる。

 名古屋から三重の亀山の間は、名古屋近郊の通勤路線。反対側の大阪から奈良近辺の加茂までは、通称「大和路線」と呼ばれる関西の通勤路線。それに挟まれた亀山から加茂までの区間は、のどかな山あいのローカル線。走っている電車のタイプも長さも本数も、何もかもが全然違う。


 鉄道旅行者にとって、乗って一番楽しいのは、やっぱり真ん中のローカル線区間だ。

 この区間、そもそも電化されていないから電車は走れない。かわいらしいディーゼルカーが1~2両でトコトコ走っている。本数も1時間に1~2本。長距離移動にはこの上なく不便な路線だ。ところがこの関西本線、なんでも100年以上の歴史を誇る由緒正しい路線らしい。

 今じゃ想像もできないが、その昔は、名古屋~大阪間に直通列車を走らせて、東海道線と熾烈な名阪バトルを繰り広げていたんだとか。今は静かでのどかな沿線に、ところどころ、そんな輝かしい時代の名残を感じられるのが、甚だマニアックだが、わざわざ関西本線ルートを選ぶことの醍醐味というわけだ。


 そんなわけで、三重県を西に進んで、その入り口の亀山駅に着いた。

 この駅からして、なかなか風情がある。たいそうマニアックな話になるが、ホームの屋根が、中心線を底にしたV字型じゃなくて、傘の字型になっていて、その内側に、木でできた柱が傘の骨みたいに放射状に広がっている。田舎の幹線の駅によくあるパターンだ。

 たいていの人は、そんなのいちいち見上げないかもしれないが、この屋根が醸し出すレトロなムードは感じるんじゃないかなあ……。


 ムードはたしかに結構なのだが、その屋根の向こうは、霧雨。まったく今日っていう日は、ずっと降り続いているわけじゃないが、霧雨に始まって霧雨に終わるのか。

 ローカル線の旅は乗りかえ待ちの時間があったりするもんだが、これじゃちょっと途中下車してブラブラっていう気にもならない。仕方なく、学校帰りの学生たちといっしょに、楽しくもない霧雨を眺めながら、うすら寒いホームのベンチで汽車を待つ。


 そうしてしばらく待っていると、その霧雨の向こうから、白い明かりが2つ現れると、だんだん近づいてきて、ほどなく2両のディーゼルカーがにぎやかにホームに入ってきた。

 このディーゼルカー、1両がやたらと短い。2両つながっているが、普通の電車なら1両半分くらいじゃなかろうか。どこか、昨日の江ノ電を彷彿とさせるかわいらしさだ。江ノ電みたいなミニローカル私鉄なら、かわいらしいっていうのも持ち味かもしれないが、100年の歴史を誇るいにしえの大幹線だと思うと、ちと情けなく感じるのは私だけだろうか?


 まあ、そう言ってみたところで、今、ここを走っているのはコイツだけ。しかもこのディーゼルカーは、JR西日本じゅうの非電化路線で大活躍している。これから先の西日本旅行でもちょくちょくお世話になるはずだ。仲良くやっていくしかない。この旅最初の出会いとして、まず関西本線の旅を楽しませてもらうことにするか。


 乗りこんで席に落ちついて、外を眺める。亀山は、このへんの拠点となる町なのだが、今ぼんやり眺めている駅舎と反対側の方角は、建物がほとんど目に入らない。一面枯れ色で、ちょっとした小川が流れていて、なんだかとってものどかな風景。

 旅すがらでこういう景色を眺めるのは、そのために旅をしてるんじゃないかっていうくらい、それはそれは好きな時間なのだが……霧雨。とにかく眺め全体が湿って、沈んでいる。晴れていればほんとに気分いいんだろうな。

 そんなふうに、楽しさとけだるさがマーブル模様に混ざったまま、ミニディーゼルカーがゆっくり動き出し、関西本線の旅が始まった。


 亀山駅を出て5分くらい走ると、次のせき駅に着く。昔の東海道の宿場町だ。

 どうってことない田舎の駅なのだが、せいぜい2両のディーゼルカーくらいしか止まらない駅にしては、ホームがめっぽう長い。10倍くらいあるんじゃなかろうか。昔は相当長い列車が走っていたんだろう。

 それに、またマニアックな話だが、ホームの線路側の面が石積みみたいになっているとか、ホームの終わりがスロープになっているとか、歴史ある線にありがちなスタイルがちらほら目に入る。こういうところが、大幹線の名残なんだろう。


 関駅を出ると、いよいよ車窓が寂しくなってきた。田んぼがあったり、杉林を抜けたりしながら、どんどん山あいに入っていく。山越えは、鉄旅の数あるシチュエーションの中でもトップクラスに好きなやつだ。緑豊かだし、ひっそりしているし、なんか特別感があってテンションが上がる。

 だが、よりによって、そんな好物の山越えに差しかかろうというときに、ちょっと困ったことになった。


 う、眠くなってきた……。


 べつにゆうべの宿での睡眠時間が短かったわけじゃない。よく眠れなかった覚えもない。

 なんでだろう……。


 たいていの人は、いくら楽しみにしていた旅だって、乗り物で眠くなれば居眠りくらいするだろうし、それを何とも思わないだろう。でも、私は、イヤなのだ。どうしても、絶対イヤなのだ。

 居眠り自体が苦手というのもあるが、旅を始めたころから、「移動を楽しんでこそ旅」っていう思いがある。だから、乗り物ではたいてい地図を膝の上に広げておくし、夜の移動はなるべく避ける。


 乗り物で居眠りするなんてのはもってのほか。旅人の風上にも置けない。

 旅に対して失礼だ!

 旅に対する冒涜だ!!

 ……でも、眠い。

 窓の外は霧雨。空はどんより。さらに山あいで林もどんどん濃くなっていく。そこへもってきて、もういい夕方だ。車窓がとにかく暗い。

 ……これだ。この暗さのせいだ。この暗さが、私のポリシーを脅かそうとしているのだ!


 そのうち、次の加太かぶと駅を過ぎると、いよいよ峠が近付いたと見えて、登りが急になってきた。「加太越え」と呼ばれたりするここは、SL時代には難所だったらしい。そうは言っても、電車だったらちょっとモーターをうならせるくらいで、こともなげに越えていくだろう。

 でも、今乗っているこいつはディーゼルカー。SLほどじゃないにしても、電車とはわけが違う。エンジンのトーンが切なげに下がって、スピードが落ちてきた。


 これだって、いつもだったら楽しみのひとつなのだが、こと今日に関しては、睡魔に追い打ちをかける脅威だ。でも、せっかくの春旅、負けるわけにはいかない。あくびが迫れば深呼吸でかわし、まぶたが重くなれば、めいっぱい見開いてみたり頭を振ってみたり、思いつく限りの手で抗う。

 それで一旦は撃退に成功したとしても、頃合いを見計らって、そいつはまたじわじわ攻めてくる。なんとも苦痛な峠越えだが、そのうち古めかしいトンネルに入ってようやく頂点へ。スピード感が戻ってきた。


 峠を下って、次の柘植つげから伊賀上野までは一転、盆地の明るい眺めが続く。ディーゼルカーの走りも快調。眠気もだいぶ遠のいた。よしよし……。

 途中、止まっては過ぎていく駅たちは、やっぱりどれもホームが長いし、構内も広々。そこにちょこんと立っている駅舎は、みな個性豊かだが、レトロなものも多くて旅情をそそる。


 やがて着く伊賀上野は、忍者で有名な伊賀エリアの都・上野の玄関口。駅自体は街はずれだが、亀山~加茂間でいちばんの「都会」だ。ここを過ぎると、線路は盆地を離れてまた緑の中へ。

 気がつくと、どうも雨が降っていないらしい。空はあいかわらず一面の雲だが、さっきと比べるとだいぶ明るくて、眺めが軽やかだ。だからか、さっきあれだけ睡魔の猛攻を食らったときと大して変わらない景色なのに、こんどはその魔が攻めてこない! こいつは、ヤツとの戦いに勝ったんじゃないか?


 車窓は、ときどき渓谷に沿ったり、そこにキャンプ場があったり、変化に富んでいてなかなかサービスがいい。たまに現れる駅は、渓谷のほとりだったり、谷を渡る橋の上だったり、これまたバリエーション豊か。


 そのうち、このあたりの本流である木津きづ川を渡ると、あとは加茂まで川を眺めながらの旅となる。

 ここは、山あいの切り立った岸を噛んで木津川が堂々と流れるところで、窓枠に肘を乗せて頬杖でもつきながらそれを眺めたいところだが、川は右、席は左。客の少ないローカル線とはいえ、こう短い車両だと、川側に移れるような席の余裕はない。もうだいぶ暮れてきたことだし、右側の席の乗客越しにチラチラ眺めるくらいでいいとするか。

 そんな最後のひと駅を過ごして、ディーゼルカーは夕闇迫る加茂駅に着いた。


 ここは京都府木津川市。この旅路も、ついに関西に突入したわけだ。

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