すぐそこなのにカケラしか見えない海
富士川を渡ると、東海道線の富士ビューエリアはだいたい終了。こんどは、海岸線と低い山の斜面にはさまれた中を、道路といっしょに窮屈に走っていくゾーンに入る。
東海道線は、東京・神奈川・静岡・愛知と、海に近いエリアを走っていく。そんな中で、海のすぐ近くを走るところというと、小田原と熱海の間、今乗ってきた沼津と富士の間、そしてこれから通る富士と清水の間、くらいだろうか。意外と少ないが、そこそこあるにはある。となれば、旅人としては、当然、海の眺めを楽しめるんじゃないかと期待する。
ところが、だ。
18きっぷなんかで鉄道旅行をしたことがある人の中には、東海道線に乗ったことがある人も少なくないだろう。そんなあなたにお聞きしたい。
東海道線の沿線の、どこで海が見えたか覚えているだろうか?
まず「小田原から熱海の間」っていう声が聞こえてきそう。たしかに、あそこは気分のいいオーシャンビューゾーンだ。トンネルも多いが、山と海がせめぎ合っているところを、海から少し上がって見下ろすように走っていくので、海原を広く見渡せるし、島や半島の眺めも楽しめる。
じゃあ、他には?
ちょっと思いつかない、っていう人が多いんじゃなかろうか。そう、小田原熱海間を除くと、海に近いところを走ってはいても、オーシャンビューを楽しめるところはほとんどないのだ。
ちょっとお手元で、地図アプリでも、道路地図でも、地理の地図帳でも、なんか地図を広げて眺めていただくと、これからさしかかる区間、駅でいうと新蒲原から清水あたりは、海沿いに線路の記号が通っていて、いかにも海が見えそうに思えるだろう。
当方、電車で旅するときは、たいていザックから地図帳と時刻表を取り出して、膝に置いて、時折眺めながら乗っている。いいトシして、はたから見ればちょっと奇妙かもしれないが、旅の恥は掻き捨てって言うし、道すがらを楽しんでこそ旅、という思いもあるし、これは外せない。
この手元の地図も、当然、ここから先は海沿いって言っている。ならばと、身体を左にねじって、それがあるはずのほうを見てみると、新蒲原あたりはまだ住宅街だが、そのうち、向こうのほうに高いところを通る道路が見えてくる。あれは静岡を貫く一般道の大動脈、国道1号バイパスだ。ちょうど海岸線に沿って通っている。
次の蒲原駅を過ぎると、それがだんだん近づいてきた。ということは、海も近づいたということ。道路の高架橋の下に、なんとなく、ソレが広がっている気がするが、まだはっきり見えない。
ほどなく、道路はすぐ隣にやってきて、スルスルっと下りてきた。これで線路と同じ高さになったら、その向こうにソレが見えるんじゃないか……と誰しも思うところだが、そうは問屋が卸さない。突然、頭の後ろから東名高速道路が、着陸前の大型旅客機のように空いっぱいに広がったかと思うと、国道の向こう側に降り立った。
そこにいられるだけで、海が遠くなるから邪魔なのに、そこへもってきてさらに、高速道路ってヤツには、なんだか妙に高いフェンスか何かが沿っていたりして、視界にモヤをかけてくる。
それでも粘り強く、ソレをひと目見てやろうと、目を凝らしてがんばっていると、高速道路がにわかに登ったかと見るや、不意に橋になって、その下に、ほんの一瞬、見えた。空の白の下に、表面が波立った黒い面。その境目に、あれは伊豆半島の影だろうか。
100キロで走る電車のこと、ほんとうにほんの一瞬だった。これで天気でもよければ、海は藍色、空はスカイブルー、島影くっきりで、一瞬でも海を見た気分に浸れるだろうけど、あのモノトーンじゃなあ……。
この先に、もうちょっとよく見えるところがあるかもしれない。そう思って、引き続き身体と首をねじって、左車窓の監視を続けるも、そこに見えるのは、あいかわらずの国道と、そこを走る車だけ。何が楽しくて、電車の窓から国道を走る車を眺めなきゃいけないんだ? これじゃまるで、車を見るのが趣味なヤツみたいじゃん……。
そのうち、ちょっと国道が離れて、その間に家並みが現れるようになると、たまに向こうのほうから水路が伸びてきて、そこに小さな漁船がもやってあったりする。まあ、この水も、海には違いないわな。
ほどなく電車は由比駅に着いた。
由比はささやかな港町なのだが、桜エビの町として知っている人も少なくないだろう。桜エビなんてどこでも取れそうなもんだが、産地を聞かれると、由比しか出てこない。桜エビといえば由比、由比といえば桜エビ。
はるか昔、ここで途中下車して、そこらの店に入ってかき揚げそばかなんか食べたっけ。
海と山すそに挟まれて、道路1本に沿ってささやかな町が細長く続いていて、家並みから潮の香りがにじみ出ている。電車に乗っていると外のにおいは分からないが、目で潮の香りを感じる。
でも、でも、やっぱり海は見えない。いくら桜エビの町でも、その桜エビたちがウヨウヨしているはずの、恵み豊かな駿河湾が、見えない。
だって、近いんだよ?
ほんとにすぐそこなんだよ?
ここまで見せなくする必要あるか? べつに由比の海を見にきたわけじゃないけどさあ……。
由比駅を出て、そのうち家並みが切れると、また見飽きた国道と、その向こうの東名高速の眺めが、頼んでもいないのに戻ってくる。で、海を見ようとすればするほど車を見てしまう苦行が続く。
このあたりは、東海道の難所だった薩埵峠のあるあたりで、特に山が海にせり出しているところだ。たしかに、道路の向こうにすぐ海があるっていう、そのフンイキは、ひしひしと伝わってくる。
でも、見えない。でも、近いと分かってるから見続けてしまう。でも、そうすると車を見てしまう……。
しばらくそうしていると、東名高速がスルスルっと登りはじめる。そうだ、このへんで高速はまたトンネルに入るんだった。電車から海を遠ざける、邪魔な道路が1セット減る分、海が見える可能性が少しでもアップするんじゃないか。
そう期待して見ていると、登っていった高速道路の下に、去っていく高速道路が名残を惜しんでか、昔何かで見た、港を離れる客船と桟橋で見送る人をつなぐ無数の紙テープのように、フェンスが立ち上がってきた。
まあ、フェンスは壁でもないし、海を眺めるうえで問題ないだろう……と思いきや、走る電車から見ると、フェンスの格子が残像になって、レースのカーテン越しに海を見ている格好になる始末。そのカーテンの向こうには、テトラポットか何か積んであるようだ。
そして、その向こう……うん、あれは、海だ。
今、私は海を見ている。
これまた、天気がよければ、レースのカーテン越しでも紺碧が目に飛び込んでくるんだろうな。
今は穏やかな海だが、ここは外海だし、このへんはときどき台風も近付くし、高波が道路に襲いかかってくることも少なくなく、そのためのフェンスなんだろう。仕方ない。これが、東海道線と駿河湾との間柄というわけか。つれないなあ……。
そのうち電車はトンネルをくぐると、少しずつ海が離れていく。ほどなく興津川っていうちょっと広めな川を渡ると、由比の海沿いエリア、終了。例によって、川があると、道路の橋越しにちょっと海を眺められる。
うん、静岡の海、見えた見えた!




