見えるか?「江のピコ」
江ノ島駅は、名前の通り江ノ島の最寄り駅。長谷ほどじゃないが、かなりの人が乗り降りする。長谷で降りなかった人は、ほとんどここで降りちゃったんじゃなかろうか。
やっぱり、JRというものがありながら、鎌倉から藤沢まで乗りとおすようなモノズキは、私くらいなのかもしれない。べつに今さら何とも思わないが……。
江ノ島を出ると、終点の藤沢まで住宅街が続く。これまでみたいに、オーシャンビューとか路面電車とか、そういう気の利いたサービスは、基本的にはない。でも、この江ノ島駅を出るところで、見られるかどうかわからないが、できれば見てみたい、ほんのちょっとした楽しみがある。
その名は、「江のピコ」。
江のピコ、どれくらいの人が知っているんだろう。
知っている人は、地元民じゃなければ、かなりの江ノ電ツウか、かなりのキャラツウじゃないだろうか。
江のピコを知らないみなさん、公園とか商店街とか、どこかで、金属のパイプが逆U字型になった車止めの上に、同じ金属の小鳥が何羽か乗っているのを見たことがないだろうか。金属の車止め自体はそこら中にあっても、小鳥が乗っているヤツはかなりのレアキャラだが、言われてみれば何度か見かけた気がする。あれは、商品名をピコリーノと言うんだそうだ。
で、江ノ島にあるピコリーノだから、江のピコ。
……っていうだけじゃ、当然話題にもならないし、愛称すら付かないだろう。
ところがこの江のピコ、なんでも、お洋服を着ているというのだ。それも、毎月「衣替え」をするっていうのだ。それがかわいらしいとか癒されるとかっていうわけで、ちょっとした人気キャラになっているらしい。
なんで、この小鳥たちはお洋服を着せてもらえることになったのか? 話は1999年冬にさかのぼる。
当時、江ノ電の江ノ島駅の売店で働いていた、とあるご婦人が、金属丸出しなこの小鳥たちを見て、寒そうだな、かわいそうだな、と思い、手編みの洋服を着せてあげたそうな。それからも、せっせと新しい洋服を作っては着せ替え続け、やがてその仕事はお友達へバトンタッチ。今でも、毎月、その季節に合わせたコーディネートに着せ替えてもらっているそうな。
つまり、金属製の小鳥たちを見て、寒そうだな、と感じた、そのココロが生みの親というわけだ。ほとんどの人は、何とも思わないだろう。せいぜい「あ、小鳥が乗ってる」と気付くぐらいだろう。目の前の売店で毎日働いていたって、何とも思わない人は思わないかもしれない。
小さなものに気付くココロ、慈しみに満ちた温かいココロ、それが知る人ぞ知るスポットを生み出した、ということか。
いつどこで、この江のピコのことを知ったか忘れたが、知っちゃうと、なぜか気になる。機会があれば、ぜひ一度見てみたい。かといって、そのためにわざわざ江ノ島駅で降りる気にはならない。
なんかこう、この電車の窓から、江ノ島駅を出るとき、チラッとでも見えないかなあ。一瞬、ほんの一瞬だけ、チラッと見えればいいんだ。それだけで満足なんだ。
そんな、バレンタインデーを前にした少年みたいな淡い期待を胸に、江ノ島駅に止まっている電車のいすに座っていると、発車ベルが鳴り、ドアが閉まった。床下からブレーキの空気が抜ける音がして、電車がゆっくり動き出す。
幸い、駅を出るところでポイントを通るので、スピードはかなりゆっくりだ。眼差しを鋭くして、向かいの窓に全神経を集中する。
ホームの柱やらなんやらが左へ動き出して……改札口が見えてきて……改札口横の壁が一旦視界をふさいで……駅前の踏切にさしかかる、その時!
あ、見えた!!
踏切を渡る道路から駅への入り口に立つ、シルバーの車止め。その上に、水色っぽいものをまとった、何かがいた。それが小鳥の形かどうかまでは見えないが、でも、あれは紛れもなく江のピコだ。あの、噂の江のピコだ。
すぐにそれは、道路の向こう側へ遠ざかって、そして家並みの向こうに消えた。その間、わずか2~3秒。
とにかく、私は望み通り、江のピコを見たんだ。いいんだ。これで満足だ。
そんな個人的満足なんぞ知ったこっちゃない江ノ電の電車は、こともなげに住宅街を走っていく。
あとは、終点の藤沢まで、さしておもしろい車窓風景もないが、しいて言えば、途中で境川という名前の川を渡るあたりだろうか。何の変哲もない、大した規模の川でもないのだが、ほかに大きな川を渡るところがないので、なんか妙に幅広く感じる。川沿いに松並木が続いていて、岸にボートがもやってあるあたり、潮風や水の塩分まで伝わってくるようで、河口に近い川の風情を楽しめる。
それを過ぎると、あとはほんとうに住宅街が続くだけだ。でもその住宅街も、鎌倉あたりとはだいぶフンイキが違う。こぎれいな丘の上の住宅街といった風情だ。
そんな中をしばらく走っていくと、そのうちスロープを登りはじめて地面から離れていって、高架の上を走るようになる。江ノ電でただひとつの高架区間だ。最後の最後に、ちょっと近代的な姿をチラッと見せて、そのまま藤沢駅のホームに滑り込む。これにて、全長10キロのローカル私鉄の旅、大団円。
ザックをしょって電車を降り、ドア横のボディーに、軽く2~3回、ポンポンとタッチ。今年もどうもありがとう。元気でな。




