第8話 魔獣襲撃
気絶したサラを木陰に寝かせたあと、俺はとんでもない状況になっていた。
まず後頭部に信じられないほどの「柔らかさ」を感じた。
高級な羽毛枕よりも弾力があり、人肌の温もりと、どこか甘いミルクのような香りがする。
「……ん?」
視界いっぱいに「山」があった。
パーカーの耐久を極限まで酷使している、たわわに実った二つの果実。
その向こう側で、銀色の髪がサラサラと揺れ、女神のように微笑む少女の顔が見えた。
最初に治療した、あの娘、エリーだ。
「……どうですか? カイト様」
鈴を転がすような甘い声が、上から降ってくる。
俺は今、彼女の太ももの上に頭を乗せていた。
いわゆる、膝枕だ。
柔らかい太ももに俺の頬が直接触れている。
彼女が呼吸をするたびに太ももの肉がむにゅりと収縮し、俺の頭を優しく包み込む。
これはダメだ。人をダメにする魔性のクッションだ。
「……悪い、重くないか?」
「とんでもないです。カイト様の重みを感じられて……幸せです」
エリーはうっとりとした表情で、俺の髪を細い指で梳いた。
その献身的な姿に癒やされかけた――その時だ。
「ずるいーーッ!!」
黄色い悲鳴のような抗議の声が、四方八方から上がった。
俺を取り囲んでいた他の九人の生徒たちが、頬をパンパンに膨らませて詰め寄ってきたのだ。
「エリーだけ抜け駆けなんてひどいです!」
「そうよ! 治療のときだって一番に抱きついたくせに!」
「私だって! 私の太ももだって、柔らかさと太さには自信があります! 触ってください!」
一人の生徒が、自分のスカートの裾をグイッと持ち上げて、むっちりとした白太ももを俺の目の前に突き出してくる。
別の生徒は、俺の腕を引っ張り、自分の胸に押し付けながら涙目で訴える。
「交代です! 英雄様の膝枕係は、公平にローテーションすべきです!」
「カイト様ぁ、こっち向いてくださいよぉ。私の膝、空いてますよ?」
「むー! エリー、そのドヤ顔やめて!」
嫉妬の嵐だ。
だが、ドロドロしたものではなく、あくまで「私もカイト様に構ってほしい」という可愛らしい競争。
甘い匂いが充満する中、あっちでプンスカ、こっちでメソメソ。
上目遣いで袖を引っ張られたり、背中に柔らかい感触を押し付けられたり。
俺はとりあえずキリッとした表情で言った。
「まあ待て。みんなの気持ちは嬉しいけど、ここは危険な夜の森。魔獣がまた来たら危険だ。まずは状況整理をしよう」
「カイト様、鼻血出てますけど大丈夫ですか?」
おお、うっかり鼻血が出てしまった。
失敬失敬。
俺がなだめると、生徒たちは「むぅ……」と不満げに唇を尖らせつつも、しぶしぶ従った。
エリーだけが「勝者の余裕」といった風情で、優雅に俺の頭を撫で続けている。
「では、説明させていただきますね」
そう言って眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げたのは、深い緑色の長髪を知的にまとめた委員長タイプの少女――クレアだ。
彼女は真面目そうな顔立ちをしているが、制服のベストの下にある胸は、エリーに負けず劣らず暴力的だ。
説明のために地面に地図を描こうと前かがみになる。
「ここはガイア帝国の首都、そこから西に行った『迷わずの森』の外縁部です。近くには港の都市、アクアリアがあります。私たちは魔法学園の課外授業で来ていました」
「ガイア帝国……」
「はい。大陸の西側を支配する、人間族最大の国家です。そして東側には……魔族を統べる『魔王の領土』が広がっています」
クレアは丁寧に説明してくれた。
西の人類、東の魔族。
両者は長い間戦争状態にあるという。
この世界の魔法体系についても触れてくれた。大気中の魔力を自身の「回路」を通して変換し、世界の法則を書き換える技術。
種類は2つ。
駆力回路と魔力回路。
駆力とは、肉体に溢れる力のエネルギーのことで、これによって筋力や耐久力が上昇する。
魔力とは、肉体に流れる神秘のエネルギーのことで、これによって魔法が使えたりする。
通常、人間が持てる回路は一本だけ。だから駆力回路を持ってる者は剣技や、格闘術、弓の技術を、魔力回路を持っている者は魔法を鍛えるのが常識らしい。
魔術や剣技などは総称して「技能」と呼ばれる。
駆力回路の者は、「武器技能」しか、
魔力回路の者は、「魔法技能」しか使えない。
魔術師も武器は使えなくはないが、スキルによる技能がないため使い物にならないらしい。
「そして、私たちの頭上にあるあの二本のリング――あれは駆力と魔力を表していると言われています」
再び、俺はそのリングを見た。
満点の星空と、夜空に高価な絹糸が浮かんでいるようにも見えるその二本の環。
赤の線と、青の線。
前世では見れなかった、美しい異世界の光景
「あのリングが象徴するように、駆力と魔力はどちらか一つだけ。それがこの世界の法則です」
俺の《二重回路》が、どれだけ異常なことか改めて理解できた。
「でも、おかしいんです」
会話に入ってきたのは、燃えるような赤い髪をショートカットにした、活発そうな少女――チナツだった。
ボーイッシュな雰囲気とは裏腹に、彼女の身体もまた、制服の生地が悲鳴を上げるほどに発育が良い。
体育座りをしている彼女の膝の上には、その重そうな胸の膨らみが、こぼれんばかりに乗っかってしまっている。
「ここは帝国の西部……つまり、魔王領から一番遠い安全地帯のはずなんです。なのに、どうしてあんなドラゴンが……」
チナツの声が震えている。
そうだ。前線でもないこんな場所に、高ランクの魔獣がいること自体が異常事態なのだ。
彼女はギュッと自分の膝を抱きしめた。
「……私のパパとママも、昔、魔獣に殺されました。辺境の村だったから、逃げ遅れて……」
突然の告白に、場が静まり返った。
チナツの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「怖かった……また、あんなのが出てきて……みんな死んじゃうんじゃないかって……うぅ……」
見た目の活発そうな印象とは似つかわしくない、華奢な肩の震え。
その震えが伝播するように、他の生徒たちの顔にも不安が広がる。
嫉妬で騒いでいた空気は消え、みんなが沈痛な面持ちになる。
俺はエリーの極上の膝枕から身を起こすと、チナツの頭にそっと手を置いた。
「大丈夫だ」
俺は彼女の涙を指で優しく拭ってやる。
温かい涙の感触。
「俺がいる。二度と、あんな思いはさせない」
気休めじゃない。本心だった。
この力は、そのためにある気がしたからだ。
チナツは潤んだ瞳で俺を見上げ、鼻を啜りながら、顔をボッ!と林檎のように赤らめた。
「……はい。カイト様がいてくれるなら……私……」
彼女は俺の手に、自分から頬を擦り寄せた。
守られる安心感に、うっとりと表情が緩む。
その様子を見て、他の生徒たちが再び「あっ、チナツちゃんだけずるい!」「私も慰めてください!」と騒ぎ出しそうになった、その時だった。
――ゾワリ。
背筋に冷たいものが走った。
甘い花の香りや、女の子たちの汗の匂い。
それらを切り裂くように、鼻をつく強烈な腐臭が風に乗って流れてきた。
鉄錆のような血の匂い。獣の脂の匂い。
ズウン、ズウン、と地面が微かに振動し始める。膝枕の余韻など、一瞬で吹き飛ぶような殺気。
「……カイト様?」
エリーが不安そうに俺の顔を覗き込む。
俺は立ち上がった。
思考が一瞬で戦闘モードに切り替わる。
《領域同期》が、周囲の異常なマナの乱れを感知していた。
「……来たな」
森の奥。
さっきドラゴンが現れた方向から、無数の気配が押し寄せてくる。
ドラゴンの死体から流れた大量の血。
その強大な魔力を帯びた血の匂いに釣られて、森中の魔獣が理性を失って集まってきているのだ。
一匹や二匹じゃない。
森が揺れるほどの、大群だ。
「みんな、俺の後ろに下がれ! サラを起こせ!」
俺が叫ぶと同時に、木々がなぎ倒される音が轟いた。甘い時間は終わりだ。 再び、暴虐の時間が始まる。
木々をへし折りながら現れたのは、悪夢のような軍団だった。
緑色の肌をした小鬼のゴブリン、豚の顔を持つ巨漢のオーク、そしてさっき倒したのとは別の個体のオーガたち。
ドラゴンの血肉を求めて、森中から湧いて出た蛆虫のような大群だ。
数百はくだらない。
その奥、魔物の群れの最後尾に、ひときわ異質な気配があった。
長い銀髪、黒いローブを纏い、紫色の妖艶な魔力を漂わせる、白い仮面を付けた女――おそらく、この軍団を統率している人の形の魔獣。
「きゃあああっ!?」
「いやっ、来ないで!」
生徒たちが悲鳴を上げ、パニックに陥りかけている。
無理もない。温室育ちの彼女たちにとって、ここは地獄そのものだ。
だが、俺の思考は冷え切っていた。
《領域同期》が戦場全体を俯瞰図として脳内に投影する。
敵の配置、進行ルート、生徒たちの位置、地形――全てがチェスの盤面のように把握できる。
更に《略式模倣》によって、ケルベロスから奪った《冥界の加護》を女子生徒とサラに付与する。
「エリー! 全員を連れて3時の方向、あの岩場の陰に入れ! あそこなら敵の視線が切れる!」
俺は叫んだ。
迷いなく、鋭く。
その声には、有無を言わせない強制力があった。
パニックになりかけていたパーカーを着た銀髪のエリーが、ハッとして俺を見る。
「は、はいっ! みんな、こっちよ!」
「サラ! いつまで寝てる! 左翼だ! 左から回り込んでくるオークを抑えろ!」
俺は続けて、まだふらついているサラに指示を飛ばした。
サラはビクリと肩を震わせ、反射的に剣を抜いた。
「な、なんで私があなたの命令を……って、うわっ!?」
文句を言いかけたサラの目の前に、オークの棍棒が迫る。
彼女はそれをギリギリで受け流し、鋭い突きを返した。
さすがはエリート騎士、身体が勝手に戦い方を覚えている。
だが、彼女の顔には驚愕が張り付いていた。
「(……この状況で、一瞬で退路と迎撃ポイントを見極めた!? )」
サラの驚きを他所に、俺は群れのド真ん中へ突っ込んだ。
ゴブリンが飛びかかってくる。
遅い。止まって見える。
俺は剣を一閃させた。
――剣技《水平円舞》。
真横に薙ぎ払われた刃が、真空の刃となって広がり、前列にいた十匹のゴブリンを同時に両断した。
血飛沫が舞うより早く、俺は左手を突き出す。
詠唱はいらない。イメージだけで、回路を繋ぐ。
――火属性魔法《爆炎弾》。
掌から放たれた圧縮された炎の塊が、後続のオークの顔面に着弾し、爆発四散させた。
剣で斬りながら、魔法で撃つ。
完全に並列処理された戦闘スタイル。
「嘘……剣技と魔法を、完全に同時に!? 呼吸するように連続で……そんなの、宮廷魔導師長でも不可能よ!」
背後でサラが叫んでいるのが聞こえる。
俺は止まらない。
右へ、左へ、踊るようにステップを踏みながら、近づく敵を次々と肉塊に変えていく。
だが、敵の数が多すぎる。
ゴブリンたちが、俺の隙を突いて、生徒たちが隠れている岩場へ回り込もうとしていた。
「(……ちっ、小賢しい!)」
岩場の陰には、エリーやアヤ、チナツ、クレアたちが震えている。
あんな可愛い子たちに、薄汚いゴブリンの指一本触れさせるわけにはいかない。
そして一体のゴブリンが、一人の生徒の背後に迫っていた。
狙われたのは、眼鏡の、深い緑色の長髪の少女――クレアだ。
ゴブリンが、汚い短剣を振り上げる。
「危ない!」
エリーが叫ぶが、間に合わない。
少女が振り返り、絶望に顔を歪める。
死ぬ――そう思った瞬間。
――ザンッ。
風を切る音と共に、ゴブリンの身体が縦に両断された。
噴き出す血の雨を、透明な障壁が弾く。
少女の目の前には、いつの間にか俺が立っていた。
《瞬動》。
物理法則を無視した高速移動で、俺は間に割って入ったのだ。
さらに《装備最適化》によって、どのような速度でも剣技が対応できる。
「……怪我はないか?」
俺は剣についた血を払い、至近距離で彼女の顔を覗き込んだ。
彼女は腰を抜かして座り込む。
俺の顔と、彼女の顔の距離は数センチ。
戦いの熱気と、俺の汗の匂いが、彼女を包み込む。
「あ……あ……」
彼女の瞳孔が開く。
恐怖が消え、代わりに強烈な熱情が瞳に灯るのがわかった。
絶対的な死の淵から、圧倒的な強さで救い出された瞬間。
彼女の脳内で、何かが焼き切れた音がした。
「……カイト、様……」
心の声が漏れ聞こえてきそうなほど、彼女の視線はドロドロに甘かった。
その様子を見ていた奥のリーダー格の魔族の女が、興味深そうに目を細めたのが見えた。
だが、まだ敵は残っている。
俺は少女に「下がってろ」と優しく声をかけ、再び剣を構え直した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
もし「続きが気になる!」「面白かった」と思っていただけましたら、画面下の評価(☆☆☆☆☆)や、ブックマークで応援していただけると、執筆の大きな励みになります!
また、一言でも感想やコメントをいただけると、ありがたいです!




