第28話 大剣
「きゃああああああっ!?」
先頭にいた私の体が、一瞬で足元から掬われる。
冷たい濁流が全身を叩き、私は成す術もなく押し流された。
「サラ!」
咄嗟にカイトが手を伸ばし、私の腕を掴む。だが、水の勢いは想像を絶していた。
私の体を支えようとしたカイトまで、そのまま激流に引きずり込まれる。
「うわああああっ!?」
「カイトさん! サラさんっ!」
背後に残されたヒヨリとミナの叫び声が、遠ざかっていく。
二人の姿が視界から消える。
「…………ッ!!」
激流に揉まれながら、私は必死にカイトの手を握りしめる。
冷たい水の中で、カイトの体温だけが唯一の頼りだった。
──どれくらい流されただろうか。
視界が青い閃光で塗り潰され、身体中を襲う衝撃に意識が遠のきかけたその時、水の勢いがふっと弱まった。
「――がはっ、げほっ……!」
放り出されたのは、本棚に囲まれた見覚えのない小さな踊り場。
私は石畳の上に突っ伏し、肺に入った水を吐き出した。
「……っ。サラ、大丈夫か……?」
すぐ隣で、同じようにずぶ濡れになったカイトが、荒い息をつきながら私を覗き込んでいた。
カイトの黒髪から滴る雫が、私の頬に落ちる。
「……カイト……あの、私……」
喉の奥が、ヒリヒリと痛む。
謝らなきゃいけない。私の焦りのせいで、私だけじゃなく、カイトまで巻き込んでしまった。
ヒヨリやミナと分断され、この迷路のようなダンジョンで、二人きり。
「……私の……せいで……」
ポツリと漏れた言葉は、情けなくて震えていた。
白金位『剣導師』の騎士が、罠を察知できずにパーティーを半壊させるなんて。
カイトが大切に思っているはずのヒヨリとミナを、危険の中に置き去りにしてしまった。
「…………」
カイトが、ゆっくりと途方に暮れたように天井を見上げる。
怒られる。
見放される。
そう思って身をすくめた私の肩に、カイトの温かい手が置かれた。
「……参ったな。二人と分かれちまった……」
カイトは責めるのではなく、困り果てたような、気まずそうな苦笑いを浮かべていた。
それが、今の私には何よりも…………痛かった。
青い古文書の光に満ちた、未知のエリア。
残されたのは、私とカイト。
二人きり。
遠くで水の音が、私たちの孤独を嘲笑うように冷たく響いていた。
全身が重い。ずぶ濡れになった真紅の鎧の隙間から、冷えた空気が肌を刺す。だが、肉体の冷えなどよりも、もっと決定的な絶望が私を襲った。
(……ない。……嘘でしょ)
腰の鞘が、あまりにも軽い。
白金位の騎士として、今日まで肌身離さず持っていた私の魂。それが、無惨にも空っぽになっていた。
「ないのよ、カイト……。私の剣が……流されちゃった」
震える声が出るのを止められなかった。剣のない騎士など、牙を抜かれた獣にも劣る。
カイトが何か励まそうと口を開きかけたその時――壁の向こう側から、いくつもの高い悲鳴が鼓膜を震わせた。
「……ッ!? 誰かいるのか!」
カイトが弾かれたように走り出す。私もまた、騎士としての本能に突き動かされ、空の鞘を叩きながら彼の後を追った。
書庫の角を曲がった瞬間、私の目に飛び込んできたのは、地獄のような……あるいは、あまりにも無防備で低俗な光景だった。
「助けて……ッ! もう、これ以上は……あぁっ!」
そこにいたのは、五人の女性魔導師たち。
魔法学校の卒業生で結成されたという、その美貌で有名なアイドルパーティーだ。
だが、今の彼女たちにその華やかさはない。情報の澱みから生まれた「スライム」の群れに絡め取られ、蹂躙されていた。
「ひどい……」
私は思わず絶句した。
透明な粘液が彼女たちの豪奢な衣装を容赦なく溶かし、白い肌をこれでもかと暴き立てている。
リーダー格の少女は壁に押し付けられ、粘液の触手で両腕を吊るし上げられていた。
溶けかけたブラウスから溢れんばかりの豊かな果実が露わになり、震えるたびに粘液が糸を引いてその先端を卑猥になぞる。
「んぅッ、そこ……っ、やだぁっ!」
彼女が身をよじるたびに、透けきった下着の境界線さえもスライムに侵食されていく。
同じ女性として、直視に堪えない屈辱的な光景。
……だが、隣にいる男の反応は違った。
(……このバカ、何をボサっとしてるのよ!)
カイトの横顔を見る。
鼻の下を伸ばし、その視線はあられもない姿の少女たちの肢体を、舐めるように這い回っている。
助けなければいけない場面で、彼の脳を支配しているのは不謹慎な欲望なのが見え見えだった。
「カイト! 何鼻の下伸ばしてんのよ! 早く助けなさいよ!」
私の怒声で、カイトはようやく正気に戻ったようだった。
「わ、わかってるよ! ――聖魔法、消失の波動!」
彼が放った魔法の光がスライムの核を貫き、粘液が霧散する。
拘束を解かれた少女たちが、床にドサドサと崩れ落ちた。
「大丈夫か?」
カイトが駆け寄ると、半裸状態の彼女たちは、競い合うように彼にしがみついた。
「ありがとうございますっ!」
「死ぬかと思いました……!」
粘液で濡れそぼり、火照った彼女たちの柔らかい体が、カイトを包み込む。
透けた生地越しに押し付けられる豊かな胸の弾力。
それを拒みもせず、鼻の下を伸ばしてデレデレとしているカイト。
(……なによ、あれ)
胸の奥が、チリリと焼けるように痛む。
彼女たちは、私よりずっと綺麗で、柔らかそうで、守ってあげたくなる「女の子」だ。
それに比べて私はどうだ。ずぶ濡れで、鎧は重く、何より自慢の剣さえ守れなかった……。
「……あの、騎士様」
アイドルの一人、炎の魔導師だという少女が私の前で立ち止まった。
彼女のローブも半分以上溶けて、胸の谷間が露わになっていたが、その表情には感謝の色があった。
「……なに? 私は何もしてないけど?」
「騎士様は……クラーケンに街が襲われている時、私を助けてくれましたよね。あの……ありがとうございました」
思い出した。
たしかにクラーケンがアクアリアの港を襲っている時、丸腰の女の子を触手から守った気がする。
必死すぎて忘れていた。
彼女は背中に背負っていた、身の丈ほどもある巨大な剣を差し出してきた。
「これ、途中で拾った『サラマンダーの重剣』なんです。魔力を通すと火が出るんです。わけわかんないですよね……剣と魔法は両立できないのに。剣を失くしたって聞こえたから、もしよかったら使ってください」
「……え?」
「炎を出す魔力がないと、ただの重い剣ですけど……。でも、ないよりはマシだと思いますから」
私は黙って、その大剣を受け取った。
……重い。
でも持てる。
私はゴリラなのだから。
私の筋力なら容易く振れるだろう。だが、私には彼女たちのような華やかな魔法の力はない。
この剣を赤く燃え上がらせることは、今の私にはできないのだ。
(……情けないわね、私。同情されて、施しを受けて)
カイトはまだ、四人の女の子に囲まれて「役得」を享受している。
彼を守るべき騎士であるはずの私は、ただ一人、熱を持たない冷たい鉄塊を握りしめて立ち尽くしていた。
「……カイト、行くわよ。さっさと台座を見つけないと、ヒヨリたちに合わせる顔がないわ」
私はわざと冷たい声を出し、カイトの手を乱暴に引いてアイドルたちから引き離した。
唇を強く噛みしめる。
手のひらに伝わる大剣の重みが、今の私の無力さを、これ以上ないほど雄弁に物語っていた。
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