第24話 おんぶ
ザパァッ!
夕闇の迫る港。
激戦の喧騒から少し離れた、人気の途絶えた桟橋へと滑り込むように着地する。
俺は膝をつき、肩で息をしながら、依然として海中で不気味に蠢く影を睨みつけた。
「大丈夫ですか!?カイトさん!?」
ミナが走って駆け寄る。
五年間、運動していなかったから見るからに足がもつれている。
「だめだ……本体の周囲十メートル以内に、絶対的な結界が張られている。物理も魔法も、触れることさえできずに逸らされる……原理がわからない。ただの硬い壁なら、俺の魔法と剣で貫けるはずなんだ」
「それは、原理が『合理的』すぎるからです、カイトさん」
息を切らしながら、眼鏡を直しながらミナが言った。
彼女の青い瞳は、絶望的な光景を冷静に「解読」していた。
「あれは《最適解の拒絶》。奴の持つ九つの脳が、接近するあらゆる運動エネルギーのベクトルを並列演算で算出し、その『正解』をすべて屈折させているんです。……つまり、あなたが『正しく』攻撃すればするほど、九つの脳はそれを『正しい答え』として処理し、無効化します」
「……なんだそれ。つまり、俺の攻撃が合理的であればあるほど、通用しないってことか?」
たしかに俺はヴォルドガムの『第三の目』によって最適な行動をし続けていたが、それが裏目に出たらしい。
「はい。あの結界にとって、正攻法は単なる『予定調和』でしかありません。……あれを突破できるのは、奴の九つの脳が『記述不能』と判断するほどの……圧倒的なノイズだけです」
ミナは、俺の濡れた腕をそっと握った。
その手はもう震えていなかった。
「……どうすればいいんだ。あんな『正解』しか受け付けないバリア、どうやってブチ破ればいい」
俺は荒い息を吐きながら、戦場全体を見渡した。
遠くではエリーが必死に逃げ遅れた町人を誘導し、その側ではヒヨリが安息の光を振り撒き、重傷を負った騎士たちの四肢を繋ぎ止めている。
そして港の最前線――。
「この、タコ焼き野郎ぉぉぉぉぉぉッ!!」
サラが絶叫していた。
いつの間にか邪魔だったのかあの清楚のワンピースを脱ぎ捨て、例の「防御力より露出度が高い」としか思えない、ミニスカと胸元が大きく開いた赤の甲冑姿で暴れ回っている。
……おぉ……相変わらず、すごい……
……いやいや!そうじゃなくて!
一瞬、俺の脳内に「バカイト!」というサラの罵声が再生された気がして、俺は慌てて雑念を振り払った。
だが、その時だ。
サラの戦いを見て気づいたことがあった。
サラの戦い方は、お世辞にも効率的とは言えなかった。
普段の彼女の剣技は洗練されているはずだが、今は焦りと、何より街の中であの格好に対する恥ずかしさのせいで、明らかに無駄な動きが増えている。
叫び、怒り、感情のままに重い剣を振り抜く。
無駄な動き、無駄な叫び、無駄な熱量。
だが、その「無駄」に満ちた一撃だけが、わずかにクラーケンの触手を怯ませていた。
「……そうか。分かったぞ。……おい、ミナ!」
俺はいきなりミナの両肩を掴んだ。
「ひゃいっ!? な、なんですかカイトさん……!」
「ミナ、俺が君をおんぶする。そのまま海へ飛び込むぞ」
「え、えぇぇぇぇぇっ!? おんぶ!? 五年間も運動してなかったから、けっこう重いかも…………」
真っ赤になって動揺するミナを無視して、俺は作戦を叩きつける。
「いいから聞け。ミナには、俺の背中で『詠唱』し続けてほしいんだ。さっきみたいな一回限りの発動じゃない。俺が戦っている間、リアルタイムでお前のあの『長くて非効率な詠唱』をずっと繋ぎ続けてくれ」
「ずっと……詠唱を?それじゃあ魔法がいつまで経っても完成しませんよ?」
「それでいいんだ。それが狙いだ」
俺は海中で蠢く九つの脳を見据えた。
「あのクラーケンの結界は『最適解』を計算して屈折させる。つまり、俺の攻撃が『完成した意味』として確定した瞬間に、奴はそのベクトルを読み取るんだ。……だが、もし攻撃の『意味』が常に書き換えられ続けていたらどうなる?」
ミナがハッとしたように目を見開いた。
「ミナの詠唱は冗長で、美しくて、回り道ばかりだ。……ミナが俺の耳元で詠唱し続けることで、俺の魔力の波形は常に『未完成の詩』であり続ける。奴の脳がどれほど並列演算をしようと、一秒ごとに意味が変わる俺たちの『ノイズ』は、計算式に当てはめることができない!」
最短距離を突っ走る俺の《二重回路》と、永遠に完成しないミナの《冗長な詠唱》。
合理性の極致であるクラーケンにとって、それはまさに予測不能な「バグ」になる。
「奴の脳を、君の無駄でパンクさせてやれ。……いけるか、ミナ!」
ミナは一瞬、不安そうに自分の細い指先を見つめた。
だが、すぐにその指で赤縁の眼鏡をキリッと押し上げる。
「……面白い無駄ですね。効率こそが正義だと教えられてきた私の故郷なら、失笑されるような大博打……。でも、カイトさんの背中でなら、私は世界で一番美しい『無駄』を書き続けられる気がします」
「そうだ……『情報の波』で翻弄させるんだ」
「……! ……ナミ……」
彼女は突然、ぴくっと反応して、俯いてしまった。
しかし彼女は、覚悟を決めた瞳で俺を見つめた。
「分かりました。……カイトさん、しっかり私を捕まえていてくださいね。……一文字も聞き漏らしたら、承知しませんから!」
「ああ、頼りにしてるぜ。……あ、そうだ。ミナ」
俺は跳躍の構えをとったまま、ふと思い出したように言葉を繋いだ。
「なあ、このクラーケンを倒したら、ミナにお願いしたいことがあるんだ」
「なんでもいいですよ、あなたなら。……記述の続きでも、何でも……」
ミナが少しだけ顔を赤らめて答える。
俺は真剣な顔で、最大の「秘密」を打ち明けた。
「……文字の読み書きを、教えてくれないか?」
「……」
町人の悲鳴が遠くで響き渡る中、長い沈黙がその場を支配した。
ミナが「目を丸くする」とはこのことだ、と言わんばかりの表情をしている。
「……え!? よ、読めないんですか!?」
ミナが本日一番の衝撃を受けたような声を上げた。
「そうなんだよ。読み書きは全然できないんだ。俺は別の世界に居たからこの世界の文字は…………いや、なんでもない、今のは忘れてくれ。なんていうか、文字を読もうとしたら、急に頭が混乱してくるんだ。でも、なぜか詠唱だけはできるんだ」
「意味わかんないですよ! 記述の基礎すらスキップして、どうやって高次術式を演算してるんですか!? まさにバグ……あなたは存在自体がバグなんですね!」
「はは、倒したら教えてくれよ。……行くぞ!」
「は、はい! たっぷり教えてあげますよ!」
ミナが俺の背中に勢いよく飛び乗った。
……一瞬、思考が止まった。
……なんていうかこう、あらためて思う。
――デカすぎる、と。
「どさっ」という柔らかな重みと共に、海水に濡れて肌にぴっちりと張り付いたブラウス越しでも分かる、とてつもない熱量と質量が俺の背中全体を包み込む。
「カイトさん!行きましょう!」
それは単なる柔らかさという言葉では生ぬるい。
熟れきった果実のように重く、それでいて驚くべき弾力に富んだ彼女の双丘は、俺の背中の凹凸に合わせて形を変え、吸い付くような密着感で俺の理性を激しく揺さぶってくる。
少し動くたびに、その規格外の弾力が俺の広背筋をむにゅりと押し潰し、彼女の激しい鼓動さえもがダイレクトに背骨へと伝わってきた。
……くっ!
……集中できない!
「……カイトさん?どうしましたか。魔力の波形が、少し乱れているようですが……」
耳元で囁かれるミナの声は、吐息が直接肌を撫でるほど近く、その甘い香りが脳を痺れさせる。
「い、いやなんでもない」
「そうですか。とりあえず 水神の加護を詠唱し直しますね」
「お、おう……あ、靴に小石が入っているな」
俺は咄嗟にそう嘘をつくと、その背中の感触をより深く、より広範囲に味わうために、わざと体を上下に大きく揺らした。
そのたびに、背中で「むにゅん、むにゅん」と形を変えて押し寄せ、逃げ場を塞ぐような極上の肉感が、俺の神経を一本ずつ愛撫するように刺激する。
あまりの心地よさに、思わず鼻の下が伸びそうになるのを必死に堪えた。
「《――銀の栞に綴られた五年の静寂を、今、あなたの鼓動へと翻訳します。
一文字の無駄を許さぬ冷徹な世界に、私は愛しき冗長さを以て抗いましょう。
青き深淵、光届かぬ水底に、失われた古の凪を記述します。
あなたの肺に宿るのは、千年前の風の残り香。
それは強制ではなく、調和。
窒息を拒み、溺死を笑い、逆巻く潮流さえもあなたの記述の一部と成さん。
この水はもはやあなたを拒む壁ではなく、あなたの翼を支える揺り籠。
さあ、私の言葉を食べて、私の魔力を纏って。
青き墓場を、祝福の道へと書き換えなさい――水神の加護!!!」
……はっ!
……いかんいかん。
「はぁ、はぁ……どうでした? カイトさん……私の詠唱……?」
「お、おう。すごいよかったぞ! そ、それじゃ行くぞ! ミナ!」
俺たちは再び、夕闇に染まる蒼い死地へと跳躍した。
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