第20話 アクアリア水中図書館【イラスト付き】
アクアリアの街並みを抜け、運河のせせらぎを聞きながら俺たちが辿り着いたのは、港の端にそびえ立つ「それ」だった。
俺は思わず足を止め、見上げる。
「……おいおい、マジかよ。これが魔法学校なのか?」
目の前に鎮座していたのは、建物というよりは、巨大な「船」だった。
それもただの船じゃない。
全長は数百メートル、高さは十階建てのビルを優に超えるだろう。
かつて神話の時代に座礁したと言い伝えられる「聖母の揺り籠号」。
古びた木材は魔力で硬化され、今は船体全体に美しい彫刻と窓が嵌め込まれている。
甲板からは何本もの巨大なマストが空を突き刺し、帆の代わりに魔力集積用のクリスタルが輝いていた。
「すごいですよね! アクアリア魔法学校の本校舎。学校そのものが巨大な船になっているんです」
エリーが誇らしげに胸を張る。
パーカーの上の、黒いマントが潮風にパタパタと踊っていた。
「……大きい。……中、酔いそう」
ヒヨリが無表情のまま、俺の袖を掴んでくる。
パタパタ揺らめくミニスカのから伸びる彼女の白い太ももが、歩くたびに視界に入って目の毒だ。
「酔ってる暇なんてないわよ。ほら、地下の図書室に行くわよ。あそこならカイトのバフに関する文献があるはずだから」
学校に詳しいエリーとサラが先頭に立って、船底へと続く階段を下りていく。
階段を下りるにつれ、空気はひんやりと冷たくなっていく。
「――わあ……!」
重厚な扉を開けた先には、幻想的な世界が広がっていた。
そこは、完全に水の中に沈んだ「水中の聖域」だった。
四方を囲むのは、厚さ数メートルはあるだろう強化ガラス。
その向こう側には、アクアリアの深い蒼い海が広がり、色とりどりの魚たちが書架の周りを泳いでいるように見える。
図書館の広い空間には本を沢山持った無骨なゴーレムが、生徒と一緒に歩いていた。
青い光が部屋全体を包み込み、浮遊する魔導灯が波のように揺れていた。
「ここが、アクアリア水中図書館。……驚きましたか?」
エリーが誇らしげに囁く。
その声が、静寂に包まれた空間に反響した。
「……すごいな。海の中で本を読むなんて」
「すごいね……カイト……」
「へー、学校には何度か護衛の仕事で来たことあるけど、図書館は初めて来たわ」
俺が感心して周囲を見回していると、一冊の分厚い本に目が止まった。
――『剣と駆力構築論』
何気なく手に取ってみる。
――結構、重いな。
筋力値強めの俺の身体なのに、かなりの重量を感じた。
パラパラめくる。
そこには剣を使う者が駆力をどう活かすべきなのかが書かれれていた。
ページの最後に一人の男性の写真が載ってあった。
頭が禿げかかった目つきの鋭い人物の写真。
そういえば、俺の高校の頃の担任もこんな顔だったな。
かなり似ている。
その人は体育科の先生で、クラスの人気者にも容赦なく叱る昭和気質なスパルタの先生だったが、その分真面目な生徒には優しく接していた。
俺は真面目というか、無気力なだけだったが、空っぽのモブだった俺にも平等に接してくれた数少ない人だった。
いい人だったな……
新谷先生……あの人は今何をしているんだろうか。
「なあ、これとかサラにおすすめなんじゃないか?」
「あら、そうなの? 見せて……」
俺は軽い気持ちで、その本をサラに返そうとした。
いや、正確には彼女の手に「置いた」のだ。
「――え、ぎ、ぎゃあぁっ!?」
ドッゴォォォォォン!!
「サ、サラ様!?」
「サラ!?」
次の瞬間、サラの姿が消えた。
いや、本に完全に押し潰されて、彼女は床に這いつくばっていた。
「……っ、ふ、ふざけないでよ……! なんでこんなに重いのよ」
サラは顔を真っ赤にし、ルビーのような瞳を潤ませながら、地を這うように呻く。
慌ててエリーが補足した。
「あ、言い忘れてました! この図書館の本は『情報の密度』が物理的な重さになるんです! その本、たぶん一トンくらいあります。普通は、あそこに居るゴーレムに頼むものなんですよ」
「そ、そんなに重い本なんて……」
だが、彼女は誇り高き騎士だった。
震える両腕に血管を浮き上がらせ、悲鳴を上げる筋肉に鞭を打ち、彼女はその「一トンの知識」をゆっくりと持ち上げていく。
「――持てるわけないでしょ!!!」
と叫びながら、本を完全に持ち上げた。
「持ち上げた……!? あの重さを根性だけで……」
「……サラ、すごい。……野生の、ゴリラ」
「誰がゴリラよぉぉぉ!!」
ヒヨリの無機質な毒舌に、サラが火のついたように叫ぶ。
そういえばサラも筋力は高い方だったな。
「……先に言ってくれ。サラが死ぬところだっただろ……」
俺は苦笑いしながら注意した。
エリーは図書館探索の効率を上げるための「案内役」を呼び出すことにした。
フロアの中央には、透き通った水がなみなみと注がれた美しい台座がある。
「これは『案内魚』といって、この図書館独自の検索システムなんです。水に魔力を通せば、その人の特性や今求めている知識に最も近い場所へ案内してくれますよ」
エリーの解説を聞きながら、俺は水が張られた台座に手を浸した。
すると、水面がぷっくりと盛り上がり、一匹の透明な「魚」が形作られる。
尾ひれを軽やかに振るその姿は、まるで生きているようだ。
「へぇ、面白いな。……サラ、ヒヨリもやってみてよ」
「やってみるわ。今度こそ、カイトの役に立つ戦術書を見つけないと」
サラが少し緊張した面持ちで水に指先を浸すと、彼女の凛とした魔力に反応して、一際活きのいい魚が飛び出した。
「私は……運命について、知りたい」
ヒヨリも無表情のまま、細い指を水面にくぐらせる。
彼女の魚は、どこか神秘的な銀色の光を帯びていた。
「よし、それじゃあ一旦解散だな。何か見つかったら報告し合おう」
俺の言葉を合図に、三匹の魚がそれぞれの方向へ泳ぎ出す。
「……あ、カイト様! 私はヒヨリ様に付いていきますね! ゴーレムの使い方を教えるので」
「エリーあなたね……私だってなんでも本持てるわけじゃないんだから……」
エリーが、小走りでヒヨリの後を追った。
白いパーカーを揺らしながら、聖女に寄り添う姿は、なんだか微笑ましい。どちらも銀髪なので、姉妹のように見えた。
『剣と駆力構築論』を持ったサラに付いた魚は、軍事学や英雄譚が並ぶ、重厚な革表紙の書架へと彼女たちを導いていく。
ヒヨリの魚は、さらに静かな、神学や古代史のエリアへとスイスイ泳いでいく。
というか、サラはゴーレムの使い方分からないから、やり方聞いたほうがいいんじゃないか?
そもそもサラは結構うっかり屋さんなんだよな。
この前だって一緒に雑貨屋さん行ったときに「ちょっと! このドア押しても開かないんだけど!」と怒ってたら、店主から「それ引き戸ですよ」と言われて顔を真っ赤にしていた。
自信満々に歩いていくサラを見ながらそう思った。
そして、俺に付いていった魚は――。
「……おい、そっちは行き止まりじゃないか?」
俺の魚だけが、整然と並ぶ立派な書架を無視して、図書館の「最奥」へと向かった。
たどり着いたのは、一番奥の、照明の光も届かないような薄暗い場所。
そこにあったのは、整理された棚ではなく――「ゴミの山」だった。
価値がないと判断された魔導書の端切れや、カビの生えた古い紙束が、乱雑に積み上げられている。
「……ここ? 何かの間違いじゃないか?」
俺が首を傾げると、水魚はゴミの山の頂点でピョンピョンと跳ね、そのままパシャリと弾けて消えた。
「ここに何かある」と確信しているようだ。
俺は目の前の、カビと埃にまみれた紙の山を見上げた。
整理された書架とは無縁の、情報の残骸。
だが、俺の《二重回路》が、この山の底から発せられる異様なプレッシャーに反応している。
「……よし、やるか」
俺はゴミの山に手を突っ込んだ。
指先に触れたのは、本というよりは「冷たい鉄塊」のような感触。
引き抜こうとしたが、指がピクリとも動かない。
「なんだこれ……根を張ってるのか?」
いや、違う。
情報の密度が質量に変わるこの図書館において、この「何か」は異常なまでの重力を持っている。
先ほどサラを押し潰した一トンの本なんて、これに比べれば羽毛みたいなものかもしれない。
俺は足を踏ん張り、腰を落とした。
駆力を全開にする。
「――《駆力》、最大出力!!」
全身の筋肉が爆発的に膨れ上がり、皮膚の下を魔力が熱い奔流となって駆け巡る。
視界が一点に集中し、周囲の音が消える。
俺は両手でその「塊」を掴み、一気に引き上げた。
「ぬ、おおおおおおおおおッ!!」
ドゴォォォォン!!
図書館の床が悲鳴を上げ、周囲のゴミ山が爆風を受けたように吹き飛ぶ。
俺の腕には、凄まじい「存在感」が伝わっていた。
引きずり出したのは、ボロボロの外装を纏いながらも、内側から黄金の光を漏らす一冊の重厚な魔導書だった。
「……はぁ、はぁ。なんだよこれ、本一冊出すのに死ぬ気で力入れなきゃいけないなんて……」
駆力を解くと、心地よい疲労感が全身を包んだ。
俺の腕の中にあるのは、古びた、しかし背表紙に重厚な金文字が刻まれた一冊の本。
――『原初詠唱体系:全一千巻集成(抜粋装丁版)』
「全一千巻を……一冊にまとめたのか?」
抜粋版とはいえ、一千巻分の情報を一冊に圧縮していれば、この異常な重さも納得がいく。
情報の重み。
文字通り、この世界における魔法の歴史そのものを持ち上げているような感覚だ。
……これだ。
これなら、俺の『バフを弾く性質』を逆手に取る術式が載っているかもしれない。
俺は期待に胸を膨らませ、その重厚な表紙をめくった。
何百年、あるいは千年以上も閉じられていたであろうページが、重々しい音を立てて開かれる。
パラリ……。
中には、驚くほど美しいカリグラフィーで、びっしりと文字が書き込まれていた。
図解もあり、魔法陣の構築図も極めて精密だ。
ページをめくるたび、情報の奔流が脳を直接揺さぶるような感覚がある。
「おお……。これ、めちゃくちゃ凄そうだな。……どれどれ」
俺は目を皿のようにして、その文字を追った。
……追った。
……追おうとした。
「…………」
俺の手が、三ページ目で止まった。
「……あ」
今、気づいた。
あまりにも自然にこの世界に馴染んで、会話も普通にできていたから、すっかり忘れていた。
「……よく考えたら、俺……この世界の文字、読めねぇわ」
絶望的な事実だった。
会話は女神様が与えてくれた「基本知識」のおかげで、日本語を話している感覚で意思疎通ができている。
だが、文字は別だ。
目の前に並んでいるのは、細いミミズがへばりついたような、あるいは幾何学模様のような、全く見覚えのない記号の羅列。
「あー……。えっと、『☆△□……』? いや、これ魔法陣のパーツか? 全然わからん」
さっきまでの「苦労して最強の魔導書を手に入れた主人公感」が、一瞬で音を立てて崩れていった。
目の前にあるのは、一トンの重さを持った、ただの「読めない紙の束」だ。
というか、読めないというレベルではない。
なんていうかこう、意味が霧散していくような…………
「……詰んだ。これ、サラとか呼んでくるしかないか?」
いや、でも三人とも自分の探索で忙しいはずだ。
俺が「文字読めないから助けて」なんて言うのもちょっと恥ずかしい。
俺は冷や汗を流しながら、必死に文字を解読しようと目を凝らした。
だが、見れば見るほど頭が痛くなってくる。
自分の無学さに絶望しかけた、その時。
──ページの間に挟まっていた、鈍い銀色の輝きを放つ「栞」が目に留まった。
表面には、まるで生きているかのように明滅する精密な術式。
なんだ、これ……。妙に惹きつけられる魔力だ。
俺がその栞を指先でつまみ、本から引き抜いた瞬間。
世界が、青い光に塗り潰された。
キィィィィィィィィン!!
耳を劈くような高周波の音と共に、俺の指先から膨大な魔力が栞へと逆流する。
器を失ったエネルギーがオーバーロードを起こし、青い光の粒子となって爆散した。
「うおっ!?」
光の粒子は、無数の「青く光る蝶」へと姿を変え、暗い書庫の中を舞い踊る。
幻想的で、どこか不気味なほどの魔力の胎動。
蝶たちが一点に集まり、渦を巻き、急速に実体化していく。
そして――光の中から、一人の少女が俺に向かって降ってきた。
「どわぁっ!?」
咄嗟に腕を伸ばすが、重力と加速がついた肉体を支えきれず、俺はそのまま背後のゴミ山へと押し倒される。
ドサリッ!!
背中に古い紙の束が当たる衝撃。
だが、そんな痛みなど一瞬で忘却の彼方へ吹き飛んだ。
「…………っ」
俺の体の上に、驚くほど柔らかく、そして熱を帯びた「女の肉体」が重なっていた。
鼻腔をダイレクトに突いたのは、古い紙の匂いと、それに混じった、蕩けるように甘い少女の香気。
「な……っ!?」
俺は目を見開いたまま、思考を停止させた。
俺の上に覆いかぶさり、完全に脱力して密着しているその少女は――。
腰まで届くぼさっとしている黒いロングヘア。
顔立ちは、透き通るように美しいが、その瞳は固く閉じられ、長い睫毛が微かに震えている。
何よりも衝撃的だったのは。
彼女が、一糸纏わぬ「全裸」で、そして意識を失っているということだ。
「…………おぉ……」
俺の胸板に押し潰されているのは、布地という障壁を一切持たない、生身の肉体の感触。
この世界でトップクラスのボリュームを誇ると思われるその巨乳は、気絶して自重を支えられない彼女の体勢に合わせて「ふにゅん」と大きく形を変え、吸い付くような弾力で俺を圧迫している。
肌と肌が直接触れ合う、吸い付くような熱。
上気した頬と、微かに開いた桜色の唇から漏れる、熱く、艶やかな吐息。
それが俺の首筋をくすぐるたびに、背筋に電流が走るような感覚に襲われる。
彼女の白い太ももは、俺の腰の間に無防備に割り込み、その秘めやかな熱量がダイレクトに伝わってきた。
ぐったりと横たわる彼女の体は、驚くほどしなやかで、それでいて女性特有の重みを持って俺を押し付けてくる。
……
……っは!
いかんいかん。
そういうことではない。
今はそんな、俺の胸板を押し潰している「ふにゅん」とした極上の弾力とか、首筋にかかる熱い吐息とか、艶めかしい肉感のある太ももを楽しむとか、そういうラッキースケベな状況に鼻の下を伸ばしている場合じゃないんだ。
「……おい、大丈夫か!?」
声をかけるが、反応はない。
「……どういうことだ?」
数秒考えた後、「もうちょっとこのままでいいかな」と思った俺であったが、そんな思考をすぐさま振り払った。
「とりあえず……誰か呼んでこないと……」
そう思った、その時だった。
「カイト様ー! こっちのエリア、強化魔法の記述が全然見つからなくて……」
「カイト、大丈夫? 変な音が聞こえたけど……」
聞き慣れた、そして今は一番聞いてはいけない声が、隠し図書室の入り口から響いた。
「――あ」
俺の口から、情けない声が漏れる。
ゆっくりと、錆びついた機械のように首を入り口の方へ向けると、そこには案の定、三人の姿があった。
「「「…………え?」」」
まず、案内役のエリーが固まった。
黒いマントを揺らしながら、彼女の手から戦術書が滑り落ちる。
彼女の視線は、俺の腕の中で「全裸」で気絶し、豊満な胸を俺の胸板にこれでもかと押し付けている黒髪の少女に釘付けになっていた。
みるみるうちに、彼女の顔が銀髪の隙間から見える耳の先まで、爆発したように真っ赤に染まっていく。
「あ」
次に、ヒヨリが無機質な声を上げた。
彼女は俺と全裸の少女の密着具合を、じーっと、まるで珍しい生き物を見るような目で観察している。
表情こそ変わらないが、そのアーモンド形の瞳には「カイト、やるね」という無言の圧力がこもっていた。
そして、
「……カ、カカカ……カイトォォォッ!!」
最後の一人――俺がもっとも恐れる女――サラが、ルビーのような瞳を限界まで見開いて絶叫した。
彼女は顔を真っ赤にするどころか、もはや茹で上がったタコのように赤黒く変色し、騎士の誇りも何もかも忘れて地団駄を踏んでいる。
「な、なななな何やってんのよ、この不潔男! 何よその女! なんで裸なのよ! なんで抱きついてるのよぉぉぉ!!」
「ち、違うんだサラ! これには深い、それはもう海の底よりも深い事情が……!」
俺は腕の中の女性を落とさないように支えながら、必死に言い訳を試みる。
だが、全裸の少女が俺の首筋に顔を埋め、俺の太ももにその白い脚を絡ませているという客観的状況の前では、どんな言葉も空しく響くだけだった。
「事情!? どんな事情があれば図書館で女の子を裸にして抱き合うっていうことが……この……っ、この、エロカイトー!!」
サラは光の速さで抜刀し、プルプルと剣を震わせていた。
海を透過した陽光に反射し、その切っ先を鋭くさせた剣が、一トンの本を持ち上げる少女の手にある。
「待て! やめて! 暴力反対! あ、ヒヨリ、エリー、助けて!」
「……カイト……随分と……楽しそうだね」
「カイト様……あ、あの……図書館で……そういうことは……」
助けを求めたヒヨリは嫉妬混じりのジト目だし、エリーにいたっては顔を真赤にして目を逸らしている。
「問答無用!!!」
「ひぃぃぃっ!?」
サラが剣を振りかざし、俺に向かって突進してくる。
水中図書館の静寂は、サラの怒号と俺の悲鳴によって、完全に粉砕されたのだった。
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