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第18話 確信犯シスター【イラスト付き】






 目がチカチカする。瞬きした瞬間に白い閃光のようなものが瞼の裏に現れる。

 これは『第三の目』を使った代償だ。

 このような代償があるからこそ『()()模倣』なのだろう。




「……っ、あ……ぁ……」

 

 少女の母親の呻きが、俺の耳に入る。

 肩の傷口からは、どろりとした黒い魔力が溢れ出していた。

 ただの傷じゃない。あの『腐食の灰』が、彼女の命の根拠を食い荒らしているらしかった。

 

「カイト! この人、死にかけてる……!」

 

 少女の母親は懸命に自分に聖魔法をかけて治療しようとしている。

 しかし彼女の放つ光は、灰に触れたそばから汚染され、霧散していく。


 通常、回復魔法は「自己治癒力」を底上げするものだ。

 だが、この灰は違う。肉体という器だけじゃなく、その中にある生命の「設計図アーキタイプ」そのものを腐らせて消去しているんだ。

 

 設計図がなければ、どれだけ治癒力を高めても治すべき『形』がわからない。

 なら、俺が上書きするしかない。

 

「サラ。俺がやる」

 

 俺はサラの隣に膝をつき、お母様の血に濡れた肩に手をかざした。

 手から伝わる彼女の肌は、驚くほど冷たい。

 死の影が、すぐそこまで迫っている。

 

「――《神創再生(テオゴニア・リバース)》」





 ――ふとした瞬間に、もう二度と触れることのできない「あちら側」の記憶が蘇った。

 それは、前世の母親との、なんてことのない昼下がりの一幕だった。


 陽だまりの公園。追いかけっこに夢中になっていた僕は、足をもつれさせて無様に転んでしまった。剥き出しの膝がアスファルトに擦れ、じわじわと熱い痛みが走る。滲み出す赤い血を見て、急に心細さが込み上げた。


「……大丈夫よ。痛いの、飛んでいけ」


 その時、ふわりと日向のような匂いがして、柔らかな腕が僕を包み込んだ。母は僕の涙をそっと指先で拭うと、魔法でもかけるかのように、丁寧に絆創膏を貼ってくれた。


 今となっては、その絆創膏にどんな絵が描いてあったかすら思い出せない。けれど、あの時背中に感じた手のひらの温もりだけが、異世界にいる今の僕の心に、消えない灯火を感じている。




 

 魔法陣は必要ない。

 俺はただ、俺の聖魔法を彼女の存在の深層へと流し込んだ。


 女神様からもらった魔法の知識が、俺の頭の中に流れ込む。

 使用できる魔法の基本から応用まで、全てが分かる。


 

【第一工程:浄化】

 まずは、傷口にこびりついた『死の概念』を焼き払う。

 俺の魔力を「生のエネルギー」の奔流へと変え、腐食の灰を根こそぎ中和、消滅させた。

 これは毒を抜く作業じゃない。

 世界から「彼女が死ぬ」という理を一時的に消去する作業だ。

 


【第二工程:情報復元】

 次に、俺の魔力を彼女の全身に巡らせ、灰によって消された「情報の空白」を特定する。

 彼女が本来持っている、傷つく前の完全な設計図。

 細胞の一つ一つに「お前のあるべき姿はこれだ」と、強制的に思い出させていく。

 

(よし、座標固定。あとは足りないパーツを埋めるだけだ)


「……仕上げだ」

 



【第三工程:質量定着】


 俺は魔力の出力を維持したまま、もう一つの核───『駆力回路』を限界まで回した。

 魔力が実体のない「青写真」なら、駆力はそれを現実へと縫い付ける「杭」だ。

 俺の体から、生命の奔流がどっと溢れ出し、彼女の欠損部へと流れ込む。

 魔力で形作られた淡い光の霧に、高密度の駆力が猛烈な圧力となって叩きつけられる。

 二つの相反するエネルギーが衝突し、逃げ場を失った熱量が臨界点を突破した。


 ───エネルギーが、質量へと相転移する。


 光の霧がギュッと凝縮され、急速に赤みを帯び、熱を持ち、ずっしりとした『生身の肉』へと姿を変えていく。

 パチパチと細胞が爆発的に増殖する音が鳴り響き、魔力の粒子が、生々しい筋肉の繊維へ、硬い骨の組織へ、そして脈打つ熱い血液へと、文字通り「物質化」していった。





「……っ!」




 

 黄金の光が彼女の体を包み込み、肉が、血管が、意思を持つ光の糸のように編み直されていく。

 それは、俺と彼女の命が一時的に溶け合うような、極めて親密で不可逆的な救済だった。

 


「な……に、これ。肉体が、光で……」



 

 サラの声が震えている。

 鉄の匂いは消え、清らかな百合と陽光の匂いが教会を満たした。

 

 彼女の肌に瑞々しい赤みが差し、深い眠りにつく幼子のように穏やかな表情に変わる。

 



「……ん、ぁ……」




 

 その時、横たわっていた女性が、静かに瞼を持ち上げた。

 

「お、お母様……?」

「ヒ、ヒヨリ……?」

 

 ヒヨリと呼ばれた少女の声が震える。

 先ほどまでの、すべてを諦めたような無機質な響きではない。

 年相応の、一人の娘としての震える声。

 

「ヒヨリ……。私、は……」

 

 母親はゆっくりと上体を起こした。

 その動きは滑らかで、つい数分前まで死の淵にいたとは到底思えない。

 彼女は自分の肩に手をやり、傷跡一つない滑らかな肌に触れて、驚いたように目を見開いた。

 

「傷が……消えてる。それどころか、体が、こんなに温かくて、力が漲っているなんて……」

「お母様っ!!」

 

 ヒヨリが、たまらず母親の胸に飛び込んだ。

  お母様もしっかりとその細い体を抱きしめ、二人は崩れた教会の真ん中で、声を上げて泣き始めた。

 

 よし、成功だ。

 魔力と駆力が繋がったおかげで、俺の『生のエネルギー』が彼女の衰弱した精神まで底上げしてくれたみたいだな。……少し使いすぎた気もするが、この涙を見れば安いもんだ。

 

 ……ふと、俺の背中に冷気があたったかのような、ほのかな寒さを感じた。


 ?


 なんだこれは?


 ……まぁ……いいか。

 

 二人の泣き声と、遠くで響く鐘の余韻。

  鼻をくすぐるのは、浄化された空気の中に混じる、安堵の涙の匂いと、二人の髪から漂うかすかな花の香りだった。




 しばらくして、落ち着きを取り戻した二人が、寄り添いながらこちらに向き直った。

 

「光の翼を持った方も……。そして、女性の方も。……娘を、そしてこの命を救っていただき、言葉もございません」

 

 お母様が、深く、深く頭を下げる。

 隣のサラは謙遜した。


「い、いえ、私は何も……」

「いえ、あなたのお陰でもあります。ずっと隣で『大丈夫ですからね』と声をかけてくださりましたね。本当にありがとうございます」


 その横で、ヒヨリも再び跪いた。

 彼女の瞳はまだ赤く潤んでいたけれど、その奥に宿る光は、先ほどよりも一層強く、熱く俺を射抜いている。

 

「ありがとうございます……。貴方たちは、私たち親子の、本当の神様です」

 



 ヒヨリの声は、鈴を転がしたような可憐な響きに、隠しきれない情愛が混じっていた。

 彼女が俺を見上げるたびに、その潤んだ瞳から一滴の涙がこぼれ、月の光を反射して光る。


 その美しさに、俺は一瞬だけ言葉を失いそうになった。


 てかこの子





 ……すごい、かわいいな。





 無表情だが、どこかあどけなくて。

 艷やかな銀髪がきれいで、長いまつ毛が彼女の可憐さを象徴している。


 

 

「い、いや、俺はただ……」

「……ちょっと、カイト」

 

 言いかけた俺の袖を、サラがぎゅっと引っ張った。

 見れば、サラは頬を少し膨らませて、どこか面白くなさそうな顔をしている。

 

「……まあ、よかったわね。感謝されて」

「ああ。サラが時間を稼いでくれたおかげだ」

「ふん、わかってるじゃない。……でも、その、あんまりニヤニヤしないでよね。デレデレしすぎよ」

 

 サラの指先が、俺の腕に触れる。

 いつもの彼女の言葉が、戦場だったこの場所を日常へと引き戻してくれる。

 

 母親は真剣な眼差しで口を開いた。


「……カイト様。このご恩は、一生忘れません」




 ヒヨリが俺を一瞥したのち、隣の母親に対して口を開いた。


「お母様。まずは、外に居る街の者たちに、怪鳥が倒されたことを伝えたほうがよろしいのではないでしょうか。騎士団の方々も、教会の異変に気づいて集まっているはずですから」

「……たしかに。今からお伝えしていきますね」


 お母様は俺に深く一礼すると、清々しい足取りで教会の入り口へと向かった。

 さっきまで怪我人だったとは思えないその凛とした後ろ姿に、俺は自分の魔法の「やりすぎ」を改めて実感する。

 





 月光が、砕けた天井から銀色の砂のように降り注いでいた。

 お母様が外へ向かった後、静まり返った礼拝堂には、俺とサラ、そしてヒヨリの三人だけが取り残された。

 

「……あの、カイト様。本当にお怪我はありませんか?」

 

 ヒヨリが、俺の顔を覗き込むようにして問いかけてきた。

 さっきまで死を覚悟していた少女とは思えないほど、その瞳には熱っぽく、どこか湿り気を帯びた光が宿っている。


 ただ、呼び方がどうにも気恥ずかしい。

 

「ああ、大丈夫だ。それとヒヨリ、その……『様』はやめてくれ。カイトでいいし、タメ口でいいよ。俺もそんなに偉い人間じゃないからさ」

「カイト……様。……いえ、カイト。……わかった、努力、する」

 

 ヒヨリは、シスターの黒いベールに縁取られた白い頬を、ほんのりと朱に染めて俺の名前を呼んだ。

 無表情に近いけれど、その声は鈴を転がしたような可憐な響きで、俺の鼓動を不必要に跳ねさせる。

 

「でも、カイト。……そこ、血が出ている」

 

 ヒヨリの細い指が、俺の首筋をなぞった。

 言われて触れてみると、指先に生暖かい感触がある。

 さっきのカラスのくちばしが、最後の一撃の際にかすったのだろう。

 

「あ、本当だ。……弱ったな。俺の魔法、他人は治せるんだけど、自分に使うのはできないんだ。固有スキルのせいで、うまく馴染まないというか」

「……それなら、私が」

 

 ヒヨリが、迷いのない足取りで俺の懐へと踏み込んできた。

 漆黒の修道服が、彼女の動きに合わせてさらりと音を立てる。

 

「私、聖魔法が使える。けっこう治療の自信あるよ……魔力も、多い方だし……カイトを、治したい。お願い」

「え? ああ、そうなのか。じゃあ、お願いしてもいいか?」 

「……ん。任せて」

 

 俺が頷いた瞬間だった。 ふわり、と。

 彼女の銀髪から、教会の奥に燻るお香と、夜の森に咲く白百合を混ぜたような、冷たくも甘い香りが鼻腔を突いた。

 




「…………っ!?」

 

 次の瞬間、俺の思考は停止した。

  首筋に、驚くほど柔らかく、そして熱い感触が押し当てられたからだ。






  それは、ヒヨリの唇だった。





 

「ひ、ヒヨリ!? ちょっと、何を――」

 

 驚いて身を引こうとしたが、彼女の細い腕が、俺の首に驚くほど強い力で回された。

 それだけじゃない。 ヒヨリはそのまま俺の体に自分を密着させ、逃がさないと言わぬばかりに体重を預けてきた。

 

「ん……カイト、動かないで……」

 

 黒い修道服は一見厳かだが、密着したことでその下の肉体の生々しさがダイレクトに伝わってくる。

 俺の胸板に押し潰されているのは、布地越しでもはっきりとわかる、驚くほど豊かで、吸い付くような弾力を持った胸の膨らみだ。

 

「っ……あ……っ」

 

 彼女が傷口に吸い付くたび、耳元で艶やかな吐息が漏れる。

 さらに、彼女は自分の脚を俺の太ももに絡ませ、密着度を極限まで高めてきた。

 

 銀色の髪が俺の頬をくすぐり、視界が彼女の黒と銀に支配される。

 傷口から彼女の清涼な魔力が流れ込んでくるのが分かった。

 だが、その方法があまりにも官能的すぎて、俺の頭は沸騰しそうだった。

 



「ちょ、ちょっとあんたぁぁぁ!! 何してんのよぉぉぉ!!」



 

 横で見ていたサラが、顔を真っ赤にして絶叫した。

 俺の腕を強引に引っ張ろうとするが、ヒヨリは吸い付くような唇を離さず、頑なに俺をホールドし続ける。

 むしろ、さらに深く、俺の中に潜り込もうとするように体を密着させてくる。

 

「は……、ん…………っ」

 

 ヒヨリの口から、治療の代償なのか、それとも官能に酔っているのか、熱い吐息が俺の首筋に吹きかけられる。

 俺の顔は、もう限界を通り越して真っ赤だろう。

 

「ちょっと! ヒヨリ! 何してるんだよ!?」

 

 ようやく彼女が唇を離した時、俺は心臓が口から飛び出しそうなほど動揺していた。

 対するヒヨリは、わずかに潤んだ唇を舌でなぞり、どこまでも無機質な、それでいて情熱を孕んだ瞳で俺を見上げている。

 すこし乱れた長い銀の髪から首筋の傷のようなものが見える。


 

「? ……治療、ですよ?  聖魔法を、一番効率よく、かつ確実に流すには、体の芯まで密着させて、波長を合わせるのが、一番なんだよ。カイト」

「そんな治療法、聞いたことないわよぉぉ!!」

 

 サラが俺の背後からヒヨリを指差して吠える。

 だがヒヨリは、小首をかしげて平然と言ってのけた。

 

「教会に伝わる、秘匿された、救済の術式だからね。……カイト、痛みは引いた?」

「あ、ああ。……確かに、すっかり治ってるけど……」

 

 首を触ると、傷跡一つ残っていない。

 だが、その代わりに俺の理性という名の防御壁が、跡形もなく崩壊している。

 


 この無表情……。


 本当に天然なのか?


 いや、さっき俺の首筋をなぞった舌の動きも、腰を密着させた時のあの絶妙な力の入れ方も、明らかに逃がさないように計算されていた。


 魔力の流れも、治療に必要な分を優に超えて、俺の奥深くまで浸食してきていたし……。

 




 俺は、自分の顔がひきつるのが分かった。


 この子、信仰深い清純なシスターの顔をしているけれど……

 






 こいつ、『確信犯シスター』だ……!




 

 俺の心の叫びも虚しく、ヒヨリは「成功です」とでも言いたげに、ガッツポーズをした。



 


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