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第17話 救世主



 


 パチリ、と瞬きをして、私は現実に戻る。

 

 

 灰色の羽音が、神聖な静寂を切り裂いた。

 教会の高い天井を突き破り、降り注いだのは瓦礫と、そして絶望だった。

 

「ヒヨリ、私の後ろへ!」

 

 お母様の鋭い声。

 いつも穏やかで、百合の花のような香りを纏っていたお母様が、今は魔術師の顔をして私の前に立ちはだかっている。

 

「……お母様」

 

 私は震える手で、自分の銀色の髪を強く握りしめた。

 その向こう側、教会の中心に鎮座したのは、全長十メートルを超える巨大な怪鳥だった。

 悪魔が作り上げたような姿のカラス。

 信仰心を嘲笑するような十個の目が、母を見下ろす。

 まるであの時のように。

 

 お母様が両手を広げる。

 彼女の周囲に、眩いばかりの光の魔法陣が展開された。

 聖域を守る高位の術者としての、誇り高い輝き。

 

「ガイアの光よ、この穢れを焼き払え……!」

 

 眩い光の奔流が放たれる。

  けれど、怪鳥はその大きな嘴を、嘲笑うかのように開いた。

 

「――ッ!?」

 

 怪鳥の喉の奥から溢れ出したのは、どろりとした闇を孕んだあの時の『灰』だった。

 それは煙のように広がり、お母様が放った清らかな光を、まるで吸い取り、腐らせていくかのように飲み込んでいく。

 

「魔法が、消え……っ、あ……あぁ……っ!」

 

 お母様の悲鳴が響く。

 灰に触れた魔法陣は、硝子が割れるような音を立てて崩壊した。

 それだけじゃない。お母様の白くしなやかだった肌が、灰を浴びた端から生気を失い、ひび割れていく。 魔力を、命の根源を、あの灰が根こそぎ奪っているのだ。

 

「いや……やめて、やめてお母様!!」

 

 叫ぼうとした私の声は、恐怖で掠れて消えた。

 

 怪鳥が、無防備になったお母様を見下ろす。

 黄金色の冷酷な瞳。

 それは、獲物の肉の柔らかさを吟味するような、悍ましい視線。

 

 グシャッ、という嫌な音がした。

 

「……ぁ」

 

 目の前で、お母様の肩に鋭いくちばしが突き立てられた。

 聖服が裂け、そこから溢れ出した鮮血が、教会の床を赤く染めていく。

 お母様の、温かくて大好きだった匂いが、一瞬で鉄の混じった死の匂いに塗り替えられた。

 

 

 

 

「あ、が……ひよ、り……に、げ……て……」

 

 くちばしに吊り上げられ、力なく揺れるお母様の体。

 彼女の指先が、空を求めて虚しく彷徨い、そして灰の中に落ちた。

 

 

 

 

 

「あああああああああああッ!!」

 

 

 

 

 私の世界が、音を立てて崩れていく。

 祈っていた。

 毎日、欠かさず祈っていた。 善く生きれば、いつかあの肖像画の救世主様が、私を幸せにしてくれるのだと。

 

 けれど、神様は答えない。

 聖画の中で微笑む救世主は、血を流す母を、絶望に震える私を、ただ黙って見つめているだけ。

 

 私は膝をついた。

 冷たい灰が、私の膝を汚していく。

 死の影が、すぐそこまで迫っている。

 

「たすけて……」

 

 涙で視界が滲む。

 肖像画の、『彼』に向かって、私は最後の一縷の望みを絞り出した。

 

 

 

 


 

「助けて、救世主さま……」

 

 


 

 

 その瞬間。

 教会の外から、灰の空を切り裂くような、轟烈な衝撃音が響き渡った。

 

 その人は、私たちが描いた召喚術の魔法陣の上に降り立った。

 

 

 



 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 


 

 教会の屋根を突き破る瞬間、俺の背中には魔力で編み上げた『光の翼』が展開していた。

 

 腕の中では、サラが烈火のごとく怒鳴り続けている。

 

「ちょっとカイトおぉぉ!! 何よこの速度! 何なのこの翼! 飛ぶなら飛ぶって、もっと早く言いなさいよおぉぉ!!」

「悪い、緊急事態だから。……あいつか!」

 

 足元に広がる光景は最悪だった。

  十個の目を持った巨大なカラスが、倒れ伏した女性を今まさについばもうとしている。そのすぐ側で、銀髪の少女が絶望に顔を歪めて座り込んでいた。

 

 制動距離ゼロ、垂直落下。

 重力加速度を魔力でさらに上乗せして、怪鳥の首を狙う。

 頭上に向けて風魔法を放ちながら、一気に降りる!


 サラを放すタイミングは着地の一瞬前――

 

「っ、行くぞ! 衝撃に備えろ!」

「え!? 冗談じゃな――ひゃんっ!?」

 

 俺はサラを優しく、かつ迅速に放り出し、そのまま怪鳥の背中へ向かって弾丸のように突っ込んだ。





 

 ドォォォォォォン!!

 




 教会の床が爆ぜる。

 俺の背中の翼から溢れ出した『浄化の光』が、立ち込めていた不吉な灰を一気に吹き飛ばした。

 

「ギ、ギィィィィィッ!?」

 

 不意打ちを食らった怪鳥が、苦悶の声を上げて後退する。

 それぞれが苦悶の色を見せる十個の目。



 俺は立ち上がり、ゆっくりと腰の剣を引き抜いた。


 

 キィィィィィィン……。


 

 静謐で、どこか神々しい金の音が、崩れた教会の中に響き渡る。

 黄金のオーラを纏ったその刃は、闇が差し込む室内で、まるで太陽そのもののように輝いていた。


 この『聖魔剣』は俺しか使えない、剣と魔法の合せ技だ。

 この剣ですら《装備最適化》によって自在に変化する。

 

 ふと視線を感じて横を見ると、腰を抜かした銀髪の少女が、呆然と俺を見上げていた。

 



「……あ、あ……」



 

 彼女の震える唇が何かを紡ごうとしている。

 だが、今は感傷に浸っている暇はない。

 

「サラ、お前はその女の子と母親を守れ!」

「――っ、言われなくても分かってるわよ!  あの高さで放り出すなんて……普通死ぬわよ! バカイト!」

 

 サラが乱れた髪をかき上げながら、手に熱量を宿してヒヨリたちの前に飛び出す。

  怒ってはいるが、その瞳には騎士としての鋭い光が戻っていた。

 てか、アイツ結構頑丈だよな……

 

「さあ、駆除の時間だ」

 

 俺が踏み出すと、怪鳥が逆上したように喉を膨らませた。




 

「ガァァァァッ!!」




 

 吐き出されたのは、大量の『腐食の灰』。

 触れるだけで魔力を奪い、命を枯らす死の煙。

 それが津波のように俺を飲み込もうと迫る。

 

 魔力を吸う性質か……。

 なら、魔法で対抗するのは効率が悪い。


 魔力供給を最低限カットし、『剣技』と『駆力(くりょく)』だけで叩き切る

 


 俺は『光の翼』以外の、体内の魔力循環をあえて遮断した。

  全身を巡るのは、極限まで練り上げられた武人の気。


 『駆力(くりょく)』。



 

「カイト! 危ない、逃げて!」

 

 サラの悲鳴のような警告。

 けれど、俺はその灰の渦の中へ、躊躇なく足を踏み入れた。

 



「……!?」

 

 銀髪の少女が息を呑むのが見えた。

 本来なら、魔導師にとって死の宣告であるはずの灰。

 だが、俺にとってはただの『煙』に過ぎない。

 




「剣技――『神輝一閃セイクリッド・ブレイク』」




 

 黄金の剣を一閃。

 

 この一振りが、真空の刃を作り出し、迫りくる灰の津波を真っ二つに切り裂いた。

 

 そのままの勢いで、俺は怪鳥の懐へ飛び込む。

  魔力に頼らずとも、俺の体はこれまでの修練で鋼以上に鍛え上げられている。

 


「ギッ!? ギガァッ!?」


 

 灰が効かないことに混乱した怪鳥の胴体へ、聖魔剣の切っ先を突き立てる。

 金色の輝きが、怪鳥の体内に潜む闇の魔力を内側から浄化しさせる。



 

「な、なんで……」



 

 背後から、銀髪の少女の震える声が聞こえた。

 

「なんで、……そんなに凄まじい剣技に……聖魔法を纏えるの?……両方を、極めていられるの……?」

 

 彼女の瞳には、驚愕と、そしてそれ以上の熱を孕んだ『何か』が宿っていた。

 救世主を待っていた少女の前に現れたのが、祈りではなく、暴力的なまでの『強さ』を振るう男だったのだから。

 


 俺は怪鳥を蹴り飛ばし、返り血を拭うこともなく、銀髪の彼女の方を振り返った。

 

「祈る時間は終わりだ。……生きてるか?」

「は、はい……」


 倒した、と思ったのは俺の慢心だった。

 

「ギ、ガァ……ッ!!」

 

 事切れたはずの怪鳥の瞳に、どろりとした執念の火が灯る。

 奴は折れ曲がった首を無理やり固定し、地面を這うようにして、至近距離にいた俺の心臓を目掛けて鋭いくちばしを突き出した。

 

「――カイト、危ないッ!!」

 

 背後からサラの悲鳴が上がる。

 鎧の隙間を縫うような、巨大なカラスの死の刺突。

 けれど、俺の視界の中では、その動きはあまりにも鈍く、退屈なものに映っていた。

 これも戦場のルールを有利なものにする《領域同期》の力だ。

 

 (心臓への直線軌道。迎撃には最短距離での垂直一閃。魔力を一点に凝縮し、物理法則を上書きする――)

 

「終わりだと言っただろ」

 

 『略式模倣』によってヴォルドガムから奪った『第三の目』によって、完全に対応。

 俺は一歩踏み込み、腰の聖魔剣を抜き放つと同時に、練り上げた魔力を一気に解放した。

 

「『神輝一閃(セイクリッドブレイク)』」

 

 視界が黄金に染まった。

 シュン、という静かな音。





 次の瞬間、俺の目の前を通り過ぎようとしていた()()()()()()()()が、羽毛のように軽々と宙に舞っていた。

 




 首の断面からは血が噴き出す暇もない。

 浄化の光が、断面を焼き切り、闇の魔力を即座に昇華させていく。

 

 だが、これだけじゃ終わらせない。


 俺は流れるような動作で軸足を回転させ、宙を舞う巨大な十眼のカラスの頭部を、空手で鍛え上げた回し蹴りで真上へと蹴り上げた。




 

「――っらあ!!」

 



 ドゴォォォォォン!!




 

 凄まじい蹴りの衝撃音。

 十メートル級のカラスの頭部が、まるで砲弾のような速度で教会の天井へと吸い込まれていく。

 それぞれの眼球が、日が沈んだ後に顔を出した月光を映し出す。

 厚い石造りの屋根が、紙細工のように粉々に砕け散り、夕日の空が室内に顔を出した。

 

 そして。

 

 ゴォォォォォォォォォォン……。

 

 高く、重厚な音が鳴り響いた。

 蹴り飛ばした頭部が、教会の塔に吊るされた巨大な鐘に直撃したのだ。

 

 街中に響き渡る、勝利を告げる鐘の音。

 それは奇しくも、この教会の神事の始まりを告げる音と同じ旋律だった。

 

「…………」

 

 頭のない怪鳥の巨体が、ズシンと音を立てて床に沈む。

 舞い上がる埃と、天井の穴から降り注ぐ瓦礫。

 その光景の真ん中で、俺はゆっくりと剣を鞘に収めた。


 鐘が何度も鳴る。




 ゴォォォォォォォォォォン……。



 

「カイト……あんたってホント……」

 

 サラが呆然とした様子で、俺の背中を見つめている。

 ワンピースの裾を汚しながら、彼女の頬には戦いの熱と、俺に対する形容しがたい感情が浮かんでいた。






■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■






 絶望の灰に閉ざされていた私の世界に、ありえないほどの『光』が降り注いだ。

 

 ゴォォォォォォォォォォン……。

 

 教会の塔で鳴り響く、重厚な鐘の音。

 それは、醜悪な怪鳥の頭部が打ち付けられて鳴った、勝利の産声。

  砕け散った天井から差し込む月光。

 

「…………っ」

 

 私は、息をすることさえ忘れて、その光景に見惚れていた。

 

 怪鳥の死骸を背に、こちらへ歩いてくる一人の少年。

 彼の背中には、魔力で編まれた純白の『光の翼』が、神々しく羽ばたいている。

 その手に握られた黄金の剣からは、浄化の光が粉雪のように溢れ出し、私の肌を焼いていたあの忌まわしい灰を、跡形もなく消し去っていく。

 



 (……ああ。見つけた)

 



 心臓が、あの日止まってしまったはずの鼓動を、激しく刻み始めた。

 教会の壁に掛かっていた、あの古ぼけた肖像画。


 あの救世主。

 

 私の目の前にいるのは、圧倒的な『力』で絶望をねじ伏せ、光を纏って歩いてくる、生きた本物の神様。

 彼が歩くたびに、絶望の色に染まっていた教会の床が、清らかな輝きを取り戻していく。


 鐘の音が鳴り響く。



 ゴォォォォォォォォォォン……。

 




「大丈夫?」

 

 目の前で、彼が止まった。

 逆光で顔はよく見えない。

 けれど、差し出されたその手は、お父様のそれよりもずっと大きく、そして頼もしかった。

 

「…………はい」

 

 喉の奥が熱い。

 私はその手を取り、吸い込まれるように彼を見上げた。

 銀髪の毛先を弄る指が、小刻みに震えている。

 これは恐怖じゃない。歓喜だ。

 

「はい……。私の、救世主様……」

 

 うっとりと、その言葉を口にする。 私の声は、自分でも驚くほど甘く、熱を孕んでいた。








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