第16話 ヒヨリ登場【イラスト付き】
教会の中央を見上げれば、夕闇を塗り潰すような灰色の影。
私は母親と二人で「救世主召喚の儀式」を行っていた。
教会の広い空間の床に描かれた、円形の幾何学模様。
黒い修道服を着た私と母が魔力を込めることでそれは発光していた。
これですべてが終わる。
そう思っていた。
そんな思いは、おぞましい鳥の声で遮られた。
教会の天井を破って現れたのは、全長十メートルはあるだろう、真っ黒なカラス。
頭には真っ赤な十個の眼球。
それぞれの眼球がギョロギョロと私達を見下ろす。
「……あれは」
私の声から感情が消える。
心臓の奥が、氷を流し込まれたように冷たくなった。 忘れるはずがない。
五年前、私のすべてを焼き尽くし、灰に変えたあの絶望の象徴。
(……ああ。お父様。お母様)
記憶の底から、あの日の灰が舞い上がった。
「今日から、お前の名は『ヒヨリ』だ。ガイアの恵みを受け、光と共に歩む子になりますように」
鼻をくすぐる、清らかなお香の匂い。
ガイア教会の洗礼堂で、お父様とお母様が私を抱きしめてくれた。
あの時の腕の温もりは、今でも肌が覚えている。
私の家は、田舎に住む敬虔な信徒の一族だった。
私はとある絵が好きだった。
教会の奥に飾られた、光の羽を持つ救世主の肖像画。
艶やかな黒髪と、凛々しくも優しいその姿。
幼い私は、いつかこの救世主様が私を迎えに来てくれるのだと、本気で恋をしていた。
毛先が緑色になっている銀髪を指でくるくると弄りながら、その救世主の絵画を見上げる時間は、何よりも幸福だった。
祈れば救われる。
善く生きれば、神様が見守ってくれる。
そう、信じて疑わなかった。
――けれど。
私の日常には、幼い心では理解できない「歪み」がいくつもあった。
一つは、時折修道院にやってくる、黒い装束に身を包んだ謎の男たち。
彼らは周囲を威圧するような鋭い眼光を放ち、お父様とお母様を別室に呼び出しては、夜通し何かを話し合っていた。
物陰から覗いた時。
お父様が彼らに深く膝をつき、まるで臣下のように頭を下げていた光景を、私は忘れることができない。
そしてもう一つは、私の体に刻まれる「理由のない傷」。
「……痛い、お父様。どこにもぶつけていないのに、腕が熱いの」
外で遊んでいるわけでもないのに。
私の体には突如として深い切り傷や、打たれたような痣が浮かび上がることがあった。
私は、わけあって傷がつきやすい体質だった。
そう言い聞かされて育ったけれど、その痛みはいつも私の意識を奪うほどに鋭い。
そしてどこか――「誰かの憎しみ」を孕んでいるような気がしてならなかった。
「かわいそうに、ヒヨリ。……大丈夫だ、すぐに父さんが治してあげよう」
お父様は悲しげに眉を下げ、私の傷口に温かな手をかざしてくれた。
彼の聖魔法は優しく、痛みを吸い取ってくれたけれど。
治しても、治しても。
またどこからか「誰かの痛み」が私の肌を裂く。
そのたびに私は、泣くのをやめ、唇を噛み締めて耐えることを覚えた。
いつしか周囲からは、「感情の読めない、無表情な子」と呼ばれるようになっていた。
最後にもう一つは、首筋の右側の傷だった。
物心ついた時からあった傷で、ずっと長い髪で隠すようにしていた。
こればっかりは父親の聖魔法による治療でも治らなかった。
そして、現在から五年前。
その奇妙で静かな生活は、帝国の軍靴と「灰」によって無惨に踏みにじられた。
空を覆い尽くしたのは、巨大なカラスの群れ。
そして、それらを従えて現れたのが、魔王軍幹部の冷酷な『灰の司祭』だった。
聖域の魔力を奪うためだけに、彼は村を、人を、思い出を。
すべてを音のしない灰へと変えていった。
「ヒヨリ! 母さんを連れて逃げなさい!」
お父様が、魔獣の前に立ちはだかった。
武器も持たず、ただ神の加護を信じて、祈りの言葉を叫びながら。
「神よ、我らを守り給え……っ!」
お父様の切実な祈り。
けれど、魔王軍幹部の灰の司祭が放ったのは、神の慈悲ではなく『腐食の灰』だった。
お父様の体に灰が触れた瞬間、その命の灯火である魔力が、根こそぎ奪い取られていく。
「あ、ぁ……っ」
力が抜け、膝をつくお父様。
その頭上から、カラスのような巨大な怪鳥の鋭いくちばしが振り下ろされた。
生きたまま、肉を食いちぎられる音。
お母様の絶叫。
お父様が最期まで握りしめていたロザリオが、血に染まり、灰の中に転がった。
私は、逃げながら見ていた。
敬虔な信徒が、神に祈り、神を信じたまま、これ以上なく無残に食い殺される光景を。
――祈りだけでは、誰も救えない。
その絶望が頂点に達したとき、私の脳裏に「何か」が弾けるような感覚があった。
「……やめて」
遠く、どこから伝わってくる強烈な「得体のしれない恐怖」。
そして、目前で失われる「父の命」。
二つの大きな痛みが私の内で衝突し、臨界点を突破した。
「やめて……やめてって言ってるのッ!!」
無表情だった私の顔が、怒りで歪んだ。
その瞬間、私の体から自分でも制御できないほどの、凄まじい黄金の光が溢れ出した。
それはお父様の使っていた穏やかな魔法とは一線を画す。
暴力的で、圧倒的な「拒絶」の光。
「!?」
「グガァァッ!?」
灰の司祭が放った腐食の霧が、私の光に触れた瞬間に蒸発した。
司祭自身も、見たこともない密度の聖魔力に焼かれ、たじろぎながら後退する。
一瞬の隙。
私は崩れ落ちたお母様を抱え、その光に守られるようにして、森の中に逃げた。
あの日、私の心から「感情」という名前の贅沢品は、完全に消え失せた。
残ったのは、ただ一つ。
神の奇跡などという不確かなものではなく。
目の前の絶望をねじ伏せるための、『真に縋るべき最強の力』への執着だけ。
だから……
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