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第14話 カフェ





 街外れにある小さなカフェ。

 午後の柔らかな光が窓から差し込み、店内に漂う香ばしい珈琲の香りと、焼きたての菓子の甘い匂いが混じり合う。

 

 戦場の殺伐とした空気とは無縁の、穏やかな時間。

 目の前では、サラがカップを両手で包み込むようにして、ふう、と温かい息を吹きかけていた。

 

「はぁ……。やっぱり、ここは最高ね」

 

 幸せそうに目を細める彼女の顔は、前の凛々しい騎士のそれではなく、年相応の少女の可愛らしさに満ちている。

 逆光に透ける金髪のショートカットがキラキラと輝く。

 

「それでカイト。さっきの続きだけど……あんた、自分が手に入れた力のヤバさ、本当に理解してる?」

 

 サラが真剣な表情で作法よくカップを置く。そのギャップに、俺は少しだけ背筋を正した。

 

「《大結界》のことか?」

「そうよ。ついでに、このガイア帝国についても、あらためて説明しておくわね」

 

 彼女は店員を呼んで、紙とペンを借りた。

 そしてその紙に地図を描いた。




挿絵(By みてみん)

 



「私たちが今いるガイア帝国は、左側の白い空間。区切られてる線は、魔王誕生以前の地域区分よ。ガイア帝国は大陸最強の国家……というか、人間の中で国家らしい国家はガイア帝国だけ。そして、横線の真ん中上側の土地は中立地帯で、常に紛争しているの」

「ほう……今の俺たちはどこにいるんだ?」

「一番左下の地域に点があるでしょ? そこがガイア帝国の首都、セントラルガイア。その首都をすこし南に行った海岸が、ここ、アクアリアよ」

「なるほど……」

「あとガイア帝国は人間だけじゃなく、エルフや獣人、昆虫種、ドワーフ、()()()()()()()()()()()……あらゆる種族が共存している多民族国家よ。まあ、帝国の上層部は色々腐敗してるって噂だけど、武力に関してはどこの国にも負けない。」

 

 まさにファンタジーの住人といった種族が住んでいるらしかった。

 しかしその、オルガノン、スペキュラーといった種族は知らなかった。


 周りを見れば、街並みを様々な種族が行き交っている。

 近くで犬の獣人と小さいドワーフが話し合っている。

 エルフは見かけなかった。

 活気にあふれ、この帝国がいかに強大で豊かであるかが肌で感じられた。

 

「でもね、そんな最強の帝国でさえ、魔族の侵攻にはずっと頭を悩ませてきたの。人が住める安全な土地には限りがあるから。例えば右側の縦線は魔王の領地よ。一番東に魔王城があると言われている。……そこで、あんたのスキルよ」

 

 サラが身を乗り出してきた。

 近い。

 彼女の吐息の温かさと、真剣な瞳の熱が伝わってくる。

 

「あんたの《大結界》は、都市一つを丸ごと、魔族の干渉から完全に遮断できる。これがあれば、人類は今まで踏み込めなかった魔境にさえ、新しい街を作ることができるわ。……つまり、人類の勢力圏を劇的に拡大できるのよ」

 

 俺は自分の掌を見つめた。

 女神様から授かったあの力が、そこまでの政治的・軍事的な価値を持っているとは。

 

「カイト、あんた分かってる? そのスキルを持ってるってことは、世界中の人々があんたを奪い合うか、さもなくば他に渡さないために拘束しようとしてるってことなのよ? あんたは今、歩く戦略兵器になったの」

「……奪い合う、拘束……。物騒な話だな」

 

 俺は脳内で、今後のリスクを即座に演算する。

 もし俺が特定の勢力に組み込まれれば、世界のバランスが崩れる。

 身を守るためには、帝国の中でも発言力を高めるか、あるいは誰にも文句を言わせない圧倒的な武力を示す必要があるだろう。

 

「それに、この《大結界》には条件があるんでしょ?」

「ああ。天使も言ってたな。どこでも無制限に張れるわけじゃない。対象は『台座』とやらがある場所で、発動には『幹部級の魔石』が必要だ」

「『台座』が何かは私は分からないわ。そして魔石……この世界のあらゆる生き物にある、魔力の結晶体ね」

 

 サラは自分の胸元に手を当てた。

 

「ネズミ一匹からドラゴンまで、魂を持つものには必ず魔石が宿る。もちろん私たちにも心臓の横にある。でも、都市を覆うほどの結界を維持するには、魔族の幹部クラスが持つ、とてつもない高密度の魔石が必要になるわ。つまり……」

「結界を一つ張るたびに、俺は魔族の幹部を一人狩らなきゃいけないってことか……というか、俺があのイルレとかいう魔王軍幹部を倒しただろ? でも魔石が出なかったよな」

「うーん……それが不思議なのよね」


 俺たちはあのあと、イルレの魔石とやらを探したが、見つからなかった。

 俺の爆発魔法でどこかに吹き飛ばしてしまったのかもしれない。


 俺は冷めた珈琲を飲み干し、不敵に口角を上げた。

 論理は単純だ。守るべき場所が増えるほど、俺は敵を倒し続けなければならない。

 ……悪くない。


 俺の《二重回路》と《大結界》、この二つがあれば、攻防ともに俺が主導権を握れる。

 

「……なによ、その自信満々な顔。少しは怖がりなさいよ」

 

 サラが呆れたように、でもどこか安心したように笑う。

 

「いい? 無茶はしないで。あんたに何かあったら、世界も困るけど……私だって、困るんだから」

 

 少しだけ顔を赤らめて視線を逸らす彼女の声は、鈴を転がすように可愛らしく、俺の胸の奥を優しく震わせた。

 

 




 



 




 

 潮風が、少しだけ冷たくなってきた。

  オレンジ色に染まった港の岸壁。沈みゆく太陽が、海面に長い光の道を作っている。

 

 私は、隣に立つカイトの横顔を盗み見た。

 さっきまでカフェで明るく話していた彼も、今は静かに水平線を見つめている。

 その涼しげで、でもどこか強さを秘めた瞳を見ていると、胸の奥がキュッとなる。



 ふと、カイトは自分の足元を見る。

 その視線の先にあるものを、私はもう知っていた。


「……やっぱり、不気味だよな」


 街灯に照らされた石畳の上。

 カイトの足元から伸びる影には、あるはずの「頭部」がない。

 首から上がすっぱりと抜け落ちたその形は、何度見ても、この世の理から外れた異質さを放っていた。


「……この影を見るたびに思うんだ。自分は本当はこの世界に存在しちゃいけない幽霊なんじゃないかって。いつか、影と同じように俺の実体も消えてしまうんじゃないかって」


 無敵の《二重回路》を操り、魔族の幹部さえ圧倒するカイト。

 そんな彼が、今は迷子の子どものような、ひどく脆い顔をして影を見つめている。


 ……もう。

 本当に、この人は。

 私はため息を飲み込み、カイトの肩を掴んで、少し高い彼の体を下げさせた。


「……サラ?」

「カイト……じっとしてて」


 私はわざと、少しかがんだ彼の影の「欠けている部分」に自分の影が重なるように立った。

 地面の上では、私の影の頭が、カイトの影の首の上にぴったりと乗っている。


「影に頭がないなら、私があなたの『頭』になってあげる。あなたがどこへ行けばいいか迷ったり、幽霊みたいに消えそうになったら、私がその手を引いて、ここに引き止めてあげるわ」


 私はカイトの背中をぽんと叩いた。

 この世界のこと何にもしらないカイトだけど、その不安を消してあげられるのも、きっと私しかいない。

 彼は幽霊じゃない……ただの世間知らずなだけなの。

 だから私が頭になって導くの……


「あなたは一人じゃない。私がついているんだから、そんな心細い影に負けないで。……わかった?」


 カイトは驚いたように振り返って目を見開き、それから少しだけ照れくさそうに笑った。


「……ああ。そうだったな。サラがいてくれるなら、幽霊になっても怖くないかもな」

「ちょっと、幽霊になるのは許可してないわよ!」


 私は赤くなった顔を隠すように、また歩き出した。



 

 不意に、隠していた心の蓋がふわりと浮いたような気がした。

 

「……ねえ、カイト。私の実家はね、もうないの。正確に言えば、名前だけの『没落貴族』なんだけどね」

「ああ……あの(自称)エリート騎士もそんなこと言ってたな」

 

 自分でも驚くほど、自然に言葉がこぼれた。

  潮騒に紛れて消えてしまいそうな私の声に、カイトは驚いたふうもなく、ただ優しく耳を傾けてくれる。

 

「私の領地はね、数年前に魔獣の大群に襲われて消滅したわ。当時はただの災害だと思ってた。でも……後で知ったの。あれはガイア帝国が秘密裏に開発した《魔導誘導兵器》の実験だったって」

 

 カイトの眉が、ピクリと動く。

 彼の鋭い思考が、瞬時にその情報の危険性を演算し始めたのが分かった。

 

「帝国はデータを取るために、わざと私たちの領地を実験場に選んだ。救援信号だって届いていたはずなのに、彼らはあえて軍を動かさず、壁の外で私たちが食い散らかされるのを観察してたのよ」

 

 思い出すのは、あの日、空を埋め尽くした不気味な紫色の光と、地響きを立てて迫る魔獣の咆哮。

 

 そして――。

 

「父様と母様は、すごかったんだから」

 

 私の脳裏には、最後に見た二人の背中が焼き付いている。

  父様は白銀のフルプレートアーマーに身を包み、家伝の大剣を構えて。

 母様は、戦場には不釣り合いなほど美しい、刺繍の施された真っ赤な戦闘ドレスの裾を翻して。

 

「二人とも、ボロボロになりながら笑ってた。『サラ、あなたは生きなさい。私たちの誇りを連れていきなさい』って。たった二人で、数千の魔獣を相手に殿(しんがり)を務めたの。……その姿は、どんな神話の英雄よりも綺麗だった」

 

 視界がじわりと滲む。

 風に舞った私の金髪がカイトの肩に触れる。

 私の体温が少しだけ下がったのを感じたのか、カイトがそっと、大きな手で私の肩を抱き寄せた。

 

「……そうか。君の両親は、本当の騎士だったんだな」

 

 カイトの声は、驚くほど温かかった。

 鈴を転がすような私の震える声を受け止めてくれる、彼独特の落ち着いたトーン。

 彼の体温が伝わってきて、凍りついていた私の心が少しずつ解けていく。

 

(カイトなら、もしあの場にいたら……きっと、力で戦況をひっくり返して、絶望的な状況すら書き換えてくれたんだろうな)

 

 彼の思考を想像してしまう。

 カイトなら、左脳で魔導誘導の波長をジャミングし、右脳で駆力を爆発させて魔獣の群れを瞬殺していただろう。

 そんな彼の「強さ」が、今は何よりも頼もしかった。

 

「私ね、いつか貴族の再興を果たしたいの。名前を取り戻すためじゃない。お父さんとお母さんが命を懸けて守ったこの命に、胸を張れる自分になりたいから。……カイト、笑わない?」

 

 顔を上げると、至近距離にカイトの顔があった。

 夕日に照らされた彼の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。

 

「笑うわけないだろ。……サラ、その夢、俺にも手伝わせてくれ。俺の《大結界》があれば、もう二度と君の大切な場所が奪われることはない」

「カイト……」

 

 彼の甘い匂いと、力強い言葉に、心臓が痛いほど跳ねる。

 不器用だけど真っ直ぐな彼の優しさが、私の孤独を溶かしていく。

 

「……約束よ?  逃げても、もう遅いんだから」

 

 私は少しだけ背伸びして、彼の耳元で悪戯っぽく、でも切実な願いを込めて囁いた。

 海風に揺れる私の香りが、彼にも届いているといいなと思いながら。

 



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