2話 勝手に想像した話
相川湊の教職日記
「教育実習を勝手に想像して勝手に不安になる回」
教職の授業中、教授が何気なく言った。
「2年後は教育実習ですね。皆さん、準備しておいてください」
その瞬間、僕の視界がスッ……と狭くなった。
体感で、ピアノの鍵盤だと6オクターブ分くらい視野が減った。
別に教師になりたくないわけじゃない。
ただ、教育実習の場面を想像し始めると――
なぜか、いろんな“不安のシーン”だけ高画質で再生されるのだ。
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■ ① 朝のホームルームのイメージ
僕は黒板の前に立っている。
黒板って、実物の方が想像より大きいんだよな、というリアルな不安。
「おはようございまーす」
声がちょっと裏返る。
クラス全員の視線がこちらに向く。
この時点で、もう「早く帰りたい」という気持ちが頂点に達している。
でも、ここから本番らしい。
「今日は、教育実習生の相川先生が担当します」
相川先生……? 僕が?
“先生”と言われ慣れてなさすぎて、たぶん一瞬気づかない。
そして、生徒の一人が言う。
「先生、趣味なんですか?」
突然の質問。
僕は動揺のあまり、なぜか本当の趣味が言えない。
「えっと……え〜……家具を見ること……とか……」
なんだその嘘。
家具を見ても別に何も思ってないのに。
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■ ② 授業開始のイメージ
僕はピアノの話をしている。
「えー、ピアノはですね……88鍵あります」
生徒が言う。
「知ってるー」
……でしょうね。
その瞬間、僕の心の中で“鍵盤の蓋”が閉まる音がした。
それでも続けないといけない。
「では実際に弾いてみます」
ピアノに座るが、椅子の高さが微妙。
足が床につくかつかないかのラインで、授業どころじゃない。
弾く前に椅子を直すと、「あ、緊張してる」って思われそうだし、
直さないといつもの感覚じゃないし……。
どっちが正解……?
この“椅子の高さ問題”、実習で一番の敵かもしれない。
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■ ③ 給食(または昼休み)のイメージ
生徒が寄ってくる。
「先生、彼氏いるんですか?」
いや、僕は男だし。
なぜか質問の方向性だけ暴走している。
「先生ってさ、家でずっとピアノ弾いてんの?」
「先生って、先生っぽくないよね」
「先生って、実習生なのに緊張してるの?」
いや、何もしなくてもバレている。
しかも僕は、こういう“雑談”が一番苦手だ。
ピアノの難しい和声の話なら10分持つけど、
雑談は30秒で息切れする。
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■ ④ 授業の最後、教授のチェック
現実の教職の授業でよくある場面。
先生役の学生を教授が評価するやつ。
「相川くん、良かったですよ。ただ――」
ただ。
教授の「ただ」は長い。
ここから5つくらいダメ出しが来る前置きの“ただ”だ。
僕はそのたびに、自分の中で
“ピアノの蓋が勢いよく閉まる音”を想像してしまう。
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■ ⑤ 不安だけ増えて戻ってくる現実
現実の教室に意識が戻ると、教授が言っていた。
「教育実習は、皆さんが成長する大事な機会です」
隣の席の白石さんが、普通に頷いていた。
その横で僕は、完全に“想像の実習”だけで疲れ切っていた。
実習はまだ一年も先なのに、
もう今から帰りたくなっている自分がいる。
でも、ノートにはちゃんと書いた。
『教育実習 → 不安 → 多分なんとかなる(はず)』
書きながら、ちょっとだけ思った。
なんでも“想像”の段階が一番こわいのかもしれない。
本番になったら、案外どうにかなる気もする。
…いや、どうだろう。
結局、不安は消えていない。
けれど、ピアノの練習よりはまだマシだと思えるあたり、
僕の人生の優先順位はだいぶ歪んでいる。




