店
しばらく彼女が話す横で物思いに沈んでいた。このとき、私は彼女に訊くべきことがあったのを半ば忘れていた。それを思い出したのは彼女が唐突に話題を変えたからだ。「そう言えば、あの夢はまだ見るの?」と。
一瞬で思考を現実に引き戻され、ほぼ反射的に肯定の返事をした。そのまま、夢の内容が変化したことと、部屋の姿見が気になること、その姿見はもともと叔母―――――彼女の母―――――が使っていたもので、購入した店は叔母の夫である彼女の父から紹介されたと聞いた事を話し、最後に、その店について何か知らないか、と尋ねた。
本当は夢と姿見を関連付けて質問するつもりはなかった。常識で考えて、夢とあの姿見に因果関係があるなどと思う人間はいまい。しかし、いまだどこか混乱しているのか、気付けばすべて素直に話してしまっていた。彼女もばかにすることも否定することもなく、ごく普通に話を聞いている。
「心当たりならあるけど」
少し考え込んだ後、彼女はそう言った。正直なところ、あまり期待していなかったのであっさり答えが返ってきたことに驚いた。必要なら案内する、という彼女の申し出に、驚きの抜け切らない頭で反射的に頷くと、彼女は立ち上がって私の前に移動し、片手を伸ばして私の胸部にあてた。自然と、彼女の顔を見上げることになる。その顔が、柔らかく、しかし少しだけ悪戯気に微笑んだ。
「いってらっしゃい」
そのまま、突き飛ばすように強く押され、後ろに倒れこむ。縁側に座ったままなので、このまま倒れても普通なら頭をぶつけるだけだ。しかし、胸を押された瞬間、座っていたはずの縁側の感触が消え、盛大に尻もちをついた。衝撃に思わず目をつぶる。痛みに顔をしかめながら、苦情を言おうと目を開け、呆然とした。
目の前に彼女はおらず、代わりのように「OPNE」の札がかけられた扉があるだけだった。
驚愕にあわてて立ち上がり、その勢いのまま扉を開く。扉の上部に取り付けられていたらしいカウベルがやかましいほどの音をたてた。中では壁際に棚が並び、様々な雑貨が陳列されている。ここが、叔母が鏡を購入した店と同じであるならば、あれらの雑貨は商品なのだろう。奥には勘定台があり、女性が一人いた。半ば駆け込むように入ってきた私の勢いに驚いたのか少し目を見開いていたが、すぐに笑顔になり「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。落ち着いたその声に、あわてていた自分の行動が少し気恥ずかしくなり、無意識に目線をそらした先に―――――あの姿見とよく似た鏡を見つけた。
その鏡は、私の部屋の姿見よりもふた回りほど小さい。近寄って眺めてみたが、若干の装飾の違いがあるものの非常によく似ている。
「気になりますか?」
声に振り向くと、勘定台の向こうで女性が微笑んでいる。
「……家に、よく似た姿見が……」
女性の存在を忘れかけていたことにばつの悪さを感じ、答えに不自然な間が空いた。どうにも失態が続くが、落ちこんだり気後れしたりしても仕方がない。向こうからきっかけを作ってくれたのをこれ幸いと、私の部屋の姿見と、ここ最近見続けている夢について話す。流石に夢の内容についてはぼかしたが、夢と姿見の間に因果関係が存在することを前提で話した。この奇妙な場所では、因果関係がないと考える方がおかしい気がしたからだ。
その部屋と外とを隔てていたふすまが静かに開く。そこから、足音も立てずに入って来た者がいる。その者は何の遠慮も躊躇も戸惑いも見せずに姿見の前に立つ。しかし、その姿はどういうわけか鏡面には映らない。姿の映らないものが口を開く。
「貴方ももう限界でしょう。」
応えるように、鏡面の片隅が淡い光を見せる。今にも消えそうな、幽かなものだが、錯覚でも、ただの光の反射でもない。
「力を貸してあげる。」
言葉と共に幽かだった光は強くなり、輝く鏡面から出入り口を通るかのような自然な動きで人影が現れた。同時に、光はまた淡いものに戻るが消えはしない。その人影は、細身でやや女顔だが、高校生くらいの男の姿をしている。“彼”は姿見の前に立つ者には目もくれず、開いたままのふすまから、廊下へと出て行った。