理想
あらかた話し終えたところで紅茶を口に含む。初めて飲むが、緑茶とはまた違った趣で、これはこれでいける。少しさめているが喉を潤すのが目的なのでむしろ有難い。話の途中、長くなりそうな気配を悟った女性に、勘定台の前の椅子に座るよう促され、茶を出されたのだ。今、女性は勘定台を挟んで私の前に座り、考え込んでいるのか、やや視線を上に向けている。
ゆっくりと紅茶を飲みながらその女性の様子をうかがう。よく見ると、顔立ちの整ったきれいな人だ。大きな瞳はややつりあがり気味だが、まとう雰囲気が柔らかいせいかきつい印象はない。髪は女性にしては短いが、艶やかな黒だ。ふと、誰かに似ていると思った。
「その姿見はまず間違いなく当店の商品でしょう。少々昔のものですが……まだ効力が残っていたとは思いませんでした」
「効力?」
おそらく、これが私の夢の原因だ。
「使用者に、使用者自身の理想、もしくは目標を見せます。」
「理想……」
「はい。もっとも、理想や目標と言っても些細なものです。誰にでもある、なりたい自分、なろうとしている自分の姿、もしくはしたくともできないことを為す自分。そういったものを見せます」
したくともできないこと。……弟を殺すこと。ずっと思っていた。弟がいなければ、と。何度も思った。殺してやろうか、と。
「しかし、本来それが悪夢になることはあり得ません。あなたの夢の内容はわかりませんが……それは本当にあなたの理想なのですか?」
……ふと、思い出したことがある。以前、彼女に夢のことを話したとき。「弟が嫌いなくせに、弟殺すのが悪夢なのはなんでかなって思っただけ」彼女はそう言った。あの時は意味が分からなかった。
途中から夢の内容が変わった。弟を殺そうとする私、それを止めようとする私。どちらにも私の意識があって、しかし、どちらかは私ではないような気がした。弟を殺すことが私の望みならば、なぜ夢の内容はそんな変化を起こした? そして、私は二人いる私のうち、どちらでありたいと思っている?
何かをつかんだ気がした。
つかんだ何かを手放さないうちに、誰にも、何にも邪魔されずに考えたかった。私は早々に話を切り上げると、礼を言って店を出た。あとになって、かなり失礼な行動だったかもしれないと思ったが、このときは全く気にならなかった。
この店の前には小道を挟んでそこそこの規模の湖がある。さらに、その湖と店を囲むようにして木が生えている。おそらく森か、林なのだろう。考え事をしながら、誘われるように、湖に向かって歩く。水は澄んでいるようだが、深いのか、底は見えない。水面を覗き込んだのは、鏡に似ていたからなのか。
急に水面が近付いてきたような気がした。それが気のせいではなく、自分がバランスを崩したせいだと気付いた時には、私の体はすでに湖に音を立てて落ちていた。