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たぬきの嫁入り  作者: 藍色 紺
第2章 ふたり暮らし
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8話 ぽこの買い物

 寝返りを打ち、脇腹にくっつく何かに薄く覚醒する。

 ベッドの中が、いつもよりも温かく心地よい。


 愛する人と朝を迎えたような感覚に、熱源を抱き寄せる。

 柔らかく、手触りに満足する。

 柑橘と甘い匂い。

 夢にまで見た日常、醒めてしまうにはあまりにも惜しい。


 手足の先々まで甘くとろけるような幸福感に満ち、まどろむままに意識を手放す。



  ❄



 目覚めると、隣にぽこはいなかった。

 寝ていたときに感じた心地よい感触が消えていて、化かされた心地がする。


 一階か?


 昨日の朝は、いつもとは違っていた。あの違和感の正体はきのこ汁だったわけだが。


 大きく伸びをし、階下へ降りたが、暖炉に火もついていない。


 寒いな。


 外に出て軒下に積んである薪を抱えて部屋に入り、暖炉の前の椅子に座る。

 火搔き棒で、灰を掻き出し、熾火を掘り起こす。松葉や松かさを積んで熾火を大きく育てながら、広葉樹の薪を組む。細い薪の上に針葉樹を組み終わる頃には、部屋も暖かくなった。


 それでも、肌寒くて、背中を丸めてしまう。


 ぽこは、帰っちまったのだろうか?


 昨日は、妻になるのだと張り切っていたが、一晩一緒に寝て幻滅された可能性は否定できない。

 知らぬ内に大いびきでもかいたのか。

 独り身が長いから、就寝中に悪癖がついていたとしてもわからない。


 低い椅子に深く座り直し、薪をなめる炎を見る。



 伸びた顎鬚を撫で、大きく息を吐いた。


 他人の温もりを味わえば、人心地つくのは知れたこと。

 だから、誰とも関わらぬようにしている。

 ぽこの一途さと頑張りにほだされて、一夜を共にしたのがまずかった。


 出て行ったのなら、仕方ない。

 元々一人なのだし、昨日のことは忘れてしまえばいい。

 化けたぬきのいたずらにあったと思えばいいことだ。



 暖炉の炎にあたっている側は熱いくらいだが、逆側は寒い。

 何の音もしない部屋に苛つき、勢いよく立ち上がった。


 大きく伸びをして、何もかもリセットする。

 今日一日を始めるとしよう!

 気合を入れて頬を叩いたとき、玄関扉が開いた。


「ただいまー。旦那様おはようございます!」


 ぽこは冷たい外気を身にまといながら帰って来た。

 背中の風呂敷リュックをテーブルに下ろすと、中からあれこれ出してくる。


 突然のことに、返事すらままならず、ぽこの言いなりになってしまう。

 ぽこが帰っただけで、部屋は賑やかになった。


 中くらいの紙袋を二つ渡され、「食糧庫の中段へ」と言われる。

 中を見てみたら、片方が全粒粉で、もう片方がライ麦だった。


「チーズに肉でしょ、じゃがいもに、玉ねぎ」


「たぬきに玉ねぎは毒では?」


「人間に化けている間は平気なんだなぁ、これが!」


 手に持ったセロリを、俺に手渡しながら自慢げに言われるが、どうしてそうなるのかは言われない。


 最後に、蕎麦の実と燻製ハムを出してきて、これは調理台の上に置かれた。


「金はどうした?」


 街へ出て、朝市に行ってきたのはわかったが、よもや木の葉の偽金なのではないかと疑ってしまう。


「昨日稼いだお金を使いました」


 ぽこは、きのこと燻製ハム、リーキを手早く刻み、鍋に入れた。水瓶を覗き込み、肩を落とされた。


 水瓶の中はほぼ空のはずだ。

 バケツを持つぽこを制して、井戸から水を汲んでくる。


 ぽこが戻ってきたことに安堵する自分がいる。

 それに気づいて、辟易する。

 温かさに馴染んでしまえば、失ったときに傷が大きいというのに、俺は一体なぜ、ぽこを受け入れてしまうのだろう。

 昨日といい、今日といい、調子が狂う。

 そもそも誰かを名前で呼ぶことだって、もう何年もしていない。

 ぽこはいとも簡単に今まで俺が拒絶してきたことを乗り越えてくる。



 水甕を満たしたころには、部屋にはスープの匂いが満ちていた。



 食卓に着き、蕎麦の実のスープを頂く。ハムの塩気とリーキ、きのこの香りが合っていて、蕎麦の実がほこほこと美味い。


「何もかも大興奮ですよ!」


 俺の飲みっぷりを観察し、ぽこが話し始める。


「なんだね」


「私、初めてだったんです」


 元気のいい声に、耳が喜んでしまう。


「ほぉ」


「お金を稼ぐのも、お金を使うのも!」


 今までたぬきだったのだから、それはそうだろう。


「今まで、お兄ちゃんたちが話してたのを聞くだけでしたが、値切ってみるのも楽しくて!」


 朝市では、店番との会話が一番楽しいという人もいるくらいだ。


「半分出すよ」


 元はと言えば、食糧庫を空同然にしたままだったのがまずい。

歳の差もあるから、最初は全額出すつもりだったのだが、ぽこが労働の喜びを感じているのなら、水を差すのも野暮というものだ。


 しかし、ぽこは俺の提案に不満そうな声を挙げた。


「家に置いて頂いていますから、食材くらい私が出します」

「そういうわけにはいかん」


「薪代だってかかりますし」

「じゃあ、薪は一緒に集めてくれりゃいいよ」

『違うな。これは俺が一緒に集めに行きたいのか』


 内省の声が冷静に分析する。


 林はすぐそこだし、森に入ればいくらでもある。サボらずに一年中拾っていれば、一冬くらい越せるはず。


 そう思い、最後に疑問が残った。


 ぽこはいつまでいるのだろう?

 長期になるのなら、薪も食料もちゃんとやらにゃいかんな。


 これまでだって、数日世話をした新人たちだっていた。

 それと何ら変わらないと思えば、気楽に提案できる。


「誰かに負担が偏ると、仲間割れの原因になる」

『我ながら言い訳がましい。嫌気を差されるのが怖い』


 ぽこは、ようやく納得したようで、スープに口をつけた。


「とにかく食材は半分出す。これは譲れん」

『つまらない男のプライドだな。格好つけたいという気持ちが俺にも残っていたのか』


 だいたい銀貨二枚くらいだろうと、半分を食卓の上に置いた。


「ところで、お前さん、しばらくここにいるのなら冬支度をせにゃならんよ」

『俺は、一緒にいて欲しいのか。まさか、そんな』


 ぽこの頭から、耳が生えた。

 喜ぶ姿を見れば、心がざわつく。


 ぽこはたぬきなのだから――と、さざ波の立つ心を落ち着かせた。


「その分、いっちょ稼ぎに行くかね」


 今度は尻尾。嬉しそうに揺れるから、働くのが本当に嬉しいらしい。


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