7話 ぽことベッド
仕事で身体を酷使し、湯あみもして腹も満ちれば、眠くなる。
二階に上がり、干し草のベッドを整える。
振り向くとカーディガンを脱いだぽこが、自前の枕を胸に抱いて待っていた。おそらく化け術で出したもんだろう。
「ほら、寝床はここだ」
大人しくベッドに入り込み、上掛け布団をくんくん嗅いだ。
「旦那様の匂いがします」
控え目な声に、臭いのかと、喉が粘つく。
仕方ない、年を重ねれば誰だって匂いくらい出らぁ。
清潔を心掛けてはいるが、明日にでも干し草を入れ替えるべきか。
「じゃあな。落っこちるなよ」
いたたまれず、回れ右したが、上服の裾が引っ張られた。
「どこに行くんですか?」
「あぁ、一階で寝るよ」
「なぜ?」
「なぜって、そりゃ、お前」
上目遣いで、さも一緒に寝るのが当然のように言われれば、まるで誘っているように思えてくる。
ぽこは子供、ぽこはたぬき。
呪文のように唱えなければ、勘違いしてしまいそうだ。
「うちにはベッドは二階の一つっきゃないからだ」
「皆で一緒に寝れば、温かいですよ。夫婦なのですし」
ぽこがベッドの奥に寄って、上掛け布団をめくり、干し草の上に敷いたキルトを叩いて、ここに入れと言う。
微塵も照れを感じさせない様子に違和感がある。
さっき、川で水浴びをするときには、裸を見せるのを恥ずかしがった。そんな女が一緒に寝ることを恥ずかしがらないわけはない。
「もしかしてたぬきは群れで寝るのか?」
俺の問いかけに、ぽこは不思議そうに「家族とです」と訂正しながら頷いた。
「あのなぁ。人間の男女は一緒に寝ない」
「以前、兄が人間の男女も一緒に寝ると言ってましたよ?」
「そりゃ、夫婦だからだ」
「ぽこは、妻です」
人間のように見えて、やはりたぬきだ。人間の常識は伝えなければ、通じない。
「妻っつったって、お前さんと俺じゃ、下手すりゃ親子ほどの年齢差があるだろう」
クエスト屋も、今日の新人たちにも、俺がいたいけな子供を騙しているように見えたやもしれぬ。
元より一見さんの新人たちにどう思われようが構わないが、世間にはそう見えたはずだ。
「そうですか?」
「俺はもうすぐ三十五になる。お前さんは?」
「十八です。もう成人しています。お酒だって飲めるし、同じ年の友達にはもう子供がいます」
ぽこは、ベッドから身を乗り出して、巾着袋から冒険者登録証を出してきた。
生まれた年が記されているが、確かに十八だ。
「待て。そもそも、この冒険者登録証は偽造品だろう」
「書いてあることは事実です」
「だったら、猶のこと駄目だろ」
十八には見えず、身体つきを再確認してしまう。
薄い上着の胸元は薄いが、腰のカーブは悩ましい曲線だ。柔らかそうな尻を思い出すと、下半身に血が通う鈍い感覚があった。
まずい。
子たぬきとばかり思っていた。れっきとした大人とわかったとたん、女を意識する身体が憎い。
「夫婦なのに駄目な理由がわかりません」
ぽこはぶるっと震えた。
寝るつもりで、上着を脱いだから寒いらしい。
そもそも、夫婦ではないのだし、何と説得したものかな。
顎鬚を撫で、頭を捻る。
「そうさな。たぬきには恋の季節があるだろう?」
「恋の季節? あぁ……。そうですね」
ぽこの頬に赤味が差した。何のことを言っているのかわかったらしい。
「人間は、季節に関係なく、いつでも恋の季節だ」
「いつでも?」
「あぁ、そうだ」
ぽこは、俺の顔をまじまじと見て、信じがたいのか視線を降ろした。
腰まで見たところで、ぐっと視線が上がり、目があったら、顔を覆った。
みるみる内に耳まで真っ赤に染まる。
やっと意味が通じたらしい。
「でも、ぽこは旦那様の妻ですから、一緒に寝ましゅ」
精一杯の宣言の語尾を噛んでしまうのを見て、思わず笑ってしまう。
視線なんか泳いでるじゃあないか。
「そんな赤い顔して、何生意気なこと言ってやがる」
ぽこの林檎のような頬をつねってやる。
まるで赤ん坊の肌のように柔らかく、吸い付くような肌触りに、おさまりかけてた熱情が鎌首をもたげる。
手を離した速さが不自然で、お互いに言葉に詰まった。
「俺は一階で寝る」
「どうやって?」
「床で」
「駄目です。風邪をひいてしまいます」
厄介なことになっちまった。
この家に、再び女が入るなぞ考えたこともなかったから、何の用意もない。それなのに、ぽこは頑として譲らない。
「なら、私がたぬきの姿になって床で寝ますよ」
それならいいでしょう? と続いた言葉にひらめいた。
「じゃあ、たぬきの姿で一緒に寝るか?」
「たぬきの姿で?」
「俺は、たぬきには欲情しない。どうだ?」
若い娘なら問題だが、たぬきなら何の問題もない。
ぽこが煙に包まれて、床には小さな金色のたぬきが現れた。
すんすんと鼻で俺の匂いを嗅ぐ。
抱き上げて、ベッドに入れてやり、俺もその脇に入った。
ぽこは、俺の腕と身体の間にすっぽりと入り込み、鼻を脇に入れ込んで、大きく息を吐いた。
初めてたぬきを抱いたが、毛は柔らかく、もふもふしていて、抱き心地がいい。
他人の温かさが染みる。
「旦那様は、果物の香りがします」
お、たぬきの姿でも喋れるのか。
「お前さんもだ。ぽこ」
温まった布団の中で、湯あみに使った柑橘類の香りが立つ。
今日はいい夢が見られそうだ。