5話 ぽこと初仕事③
俺とたぬき娘も洞窟に入った。
洞窟の高さは、俺が立って入れる程度、一番狭いところが横に男が並べる幅程度だが、奥には長い。
奥に行くほど、腐敗臭がきつく、慣れていても嫌になる。
来年は、もっと早くクエストを出すように、クエスト屋に進言しなきゃならん。
決意しながら、壁にひっかかったままのスライムを触れば、生きているやつよりもヌルつく。この仕事をやって長いが、この感触には慣れない。
意を決し、一気に引き抜くと、ずるりと剥がれた。重みがかかる。
「うぎぃ」
リーダー男の情けない声が響く。見れば、己の手を見ていた。手袋をスライムの粘液が糸を引いて、伝い落ちる。
ねっとり絡みつく分泌物に鼻を近づけ、またえづいた。
「よせばいいのに」
「ここから、何百と運ぶんだからさぁ」
攻撃役の女と治癒士の女の声に、力ない笑い声が各自から響いた。
もはや臭いと声に出すのはタブーになりつつある。口呼吸でも匂うし、匂いが目に染みる。無意識に臭気を脳が感じなくしているようにも思える。
「一個がかなり重いね」
スライムの死骸は、ぱんぱんに入った水袋のようなものだ。不定形でヌルつくから持ちにくい。
俺と治癒士、リーダー男と攻撃役の女が組になり、女二人が男の腕の窪みにスライムを持てるだけセットする。よくて六つってところだ。男が表の穴に運んで、落とす。
男が戻るまでの間、女二人は、たぬき娘のリュックにスライムを詰めることになった。
七往復目に戻ったとき、たぬき娘のリュックが満杯になったと歓声が上がった。
見れば、たぬき娘の身体よりかなりでかい。
「ベテランさん、リュックの隣に並んでみて」
「ベテランさんとほぼ同じ大きさだね!」
「沢山入るでしょう? これは風呂敷って言うの。ご先祖様から伝わったありがたい知恵なんだよ」
自慢気だがなぁ。
顎鬚を撫でようとして、手袋が匂い、思いとどまる。
「お前たち、重さってもんを考えてるか?」
「あっ」
「たぶん、大丈夫ですよ」
「そんなわけあるか」
「ベテランさんだって、風呂敷に入れば持ち上げられるはずです」
そういえば、受付でも同じことを言っていた。
たぬき娘は、しゃがみ込み、リュックに腕を通した。
「うんしょっ」
「嘘だろ。おい」
よろめきはしたが、確かにたぬき娘は荷物を持ったまま立ち上がった。
「ハハ、ちょっと重いかも」
「ほら見ろ、何も一度に運ばなくてもいい。ちょっと降ろせ」
「今回はこのまま運びます。座ったらもう立てません」
宣言通り、歩を進めていく。
たぬき娘は、このメンバーの中で最も背も低いし、荷物を持たせるよりは、持ってやりたくなる。それが、この頑張りよう。
「これ、俺らのクエストだよな?」
「臭いとか、汚いとか言ってられないね」
攻撃役の女が気を利かせて、急いで俺にスライムを持たせてくれた。
たぬき娘を追いかけ、追い抜き、階段が登れないのを上から引っ張りあげてやる。
「これから何往復もするんだぞ。頑張りすぎるな」
「これくらい大丈夫」
「違う」
穴の縁でリュックを降ろすのを手伝い、中身を少し減らしてから、穴へスライムをぶちまける。
リュックの中は、スライムの粘液でぬたくっている。
先祖伝来の自慢の風呂敷だろうに。
自分の仕事ではないのに、精一杯働くたぬき娘を見ていたら、俺の認識が変わった。
もうただのたぬきの子ではない。この子はぽこだ。
「ぽこは子供だから、わからんかもしれんが、仕事ってのは、ずっと続くもんだ。来る日も来る日もせにゃならん」
「あ、名前呼んでくれた……」
ぽこが、俺を見上げる。
「精一杯やド根性ってのは、然るべき時までとっておけ」
「然るべき時って?」
「魔獣から逃げたり、お前さんなら赤ん坊を産んだりだな。ともかく、命が懸かっているときだ」
ぽこは、思案顔で頷いた。
その後も、ひたすらスライムを穴に落とす作業が続いた。
ぽこの荷物は、七割程度に抑えられている。今回の新人たちの飲み込みがよくて助かった。
全員で運ぶが、それでもぽこの荷物とは比べ物にはならない。
荷運び人を雇っただけの仕事をぽこは成している。
この新人パーティーは、仲がいいらしく、作業中もよく喋る。その話題は俺にもふられる。
洞窟で音が反響するから、離れて作業していても声が届く。
「新人引率って儲かるの?」
「新人なんてしょっちゅういるわけじゃないでしょ」
「ベテランなんだし、自分でクエストを受ければいいのに」
言いたいことを言ってくれる。あけすけで風通しがいいがね。
「俺には熱意ってもんがねぇからな。自分の食い扶持のためにやってるだけさね」
「なんで冒険者やってるの? もっと楽な仕事もできるだろ?」
冒険者への未練ってやつだろう。
毎回同じような仕事内容に、飽きないのかと聞かれれば、答えはイエスでもありノーでもある。
惰性は安心と言い換えられるし、慣れは仕事を研ぎ澄ませる。
「老後は、温泉宿でもやりたいがね」
「温泉かぁ! 俺入ったことないんスよ」
「入りたい!」
スライムの粘液は、もう身体の至る所に付着している。
仕事終わりの水浴びが、待ち遠しい。
スライムの死骸を埋め終わった後、ようやく新鮮なスライムを持ち帰る算段になった。
各自が持てるだけ持ち、ぽこの風呂敷リュックにも詰める。
「これが売れるって信じられないなぁ」
「ゼリー状のところも、色の濃い球状のところも生薬の材料になるらしいな」
「へぇ、どのくらいで売れるのかな!」
「一日の宿代分ぐらいかねぇ」
本日三回目の抗議の叫びを聞きながら、北の洞窟を後にした。
クエスト屋に行けば、中に入るなと言われ、外で報告した。
ぽこは、分け前の金を誰よりも喜んだ。
新人たちと別れ、街の外れにある我が家を目指して歩く。
隣家と離れた林の先にある、小さな納屋付きの一軒家が、俺の持ち家だ。
ぽこは、まだ俺の後を追いかけてくる。
「ぽこ、お前さん、家に帰らなくていいのかい?」
「ベテランさんの妻ですから」
疲れ切った身体がより重くなる。
朝、俺はぽこを放っておいたら、勝手に出て行くと思った。
次に、クエスト屋で追い払われるはずだったが、ぽこは化け術で乗り切った。
それでもついて来るとなった時、汚れ仕事が嫌で音を上げると踏んでいた。
だがどうだ。実際には、我慢強く、文句一つ言わずに、よく働いた。
俺は、ぽこを見くびっていたのだ。
「風呂敷だったか? 汚れちまってすまんな」
ぽこは、俺を見上げてにやりと笑った。
予想外の反応に、ぽこに意識が集中する。
ぽこは、畳んで手に持っていた風呂敷を林の奥へ投げ入れた。
「おい⁉」
「ぽんぽ~ん♪」
風呂敷は林の奥でふわりと広がり、ぽこの掛け声で煙と共に大量の木の葉に変わって落下した。
「また葉っぱを集めればいいですから、気にしないでください」
「手伝うよ」
「本当ですか? ベテランさん!」
ぽこが、その場でくるりと回転し、短いスカートがぶわっと舞う。興奮したためか、立派な尻尾が現れた。
化け術を見なければ、殆ど人間と見分けがつかないんだがな。たぬきなんだよな。
「ところで、その呼び方どうにかならんかね」
我が家を通り越し、近くの小川を目指す。
こんな汚れた格好で家に入るわけにはいかない。
「その呼び名は好かんのだ」
誰が呼び始めたか定かではないが、詳しいのはせいぜいこの辺りの狭い範囲のことだけだ。俺は、冒険者の端くれでしかない。
不思議そうに見上げるぽこの顔を見てから、前を向き、今しがたの己の言葉を否定する。
いや、端くれでさえない。
危険を冒すようなことは、しないのだから。
何者でもない、ただの――。
「お名前を教えてください」
「オズワルドだ」
あぁ、名前なぞ聞かれるのはいつぶりだろうか。
新しく知り合ったヤツの名を、心の中で呼ぶのでさえ、もう何年もなかった。
ぽこは、俺の名を呼ぼうとして、口をもごもごさせる。
夕日が白い顔に当たって、顔が赤く見える。
「ぽこ」
「はい! 旦那様!」
照れ屋なんだかなんだか、わからない。
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