44話 ぽこと宿り木
自宅の畑に、ぽこが蕪とほうれん草の苗を植えている。
芽が出て可愛いだとか、間引くのが惜しいだとかいう話を、薪割りをしながら聞く。
迷宮に持って行った小型斧は、手に馴染み、よく働く。
決していい武器ではないが、値段の張る武器に限って紛失し、こういうのは失くさないから不思議だ。
「あの白い子は、獣脂のお礼がしたかったそうですよ」
「ほぉ」
ぽこが、幼獣にあんずで仕込んだ価値観がいい仕事をしたらしい。
「それで、何を要求したら、あんな無茶につながるんだ?」
割れた薪が思わぬ方へ飛んだのは、僅かばかり苛立ったせい。
助かったとはいえ、ぽこは危険なことをした。
「旦那様を助けて、無事に迷宮の外に出して欲しいって頼んだんですよ。ほら、道を教えてもらうのは凝りましたからね」
あれからぽこが辿った悪路の続きを教えてもらった。道ですらないのを思い出して、苦笑いしてしまう。
こうして助かったからよかったものの、ぽこ一人走らせて、とんだ危険に合わせてしまった。
白い幼獣がイエティと消えた後、一匹のノームがやって来た。
そいつにまともな道を案内してもらい、迷宮を脱出できたのが夕方だ。
三連の月灯りの下、街に戻った俺たちを、クエスト屋だけでなく、住人たちも喜んでくれた。
ジョアンは助けを呼びに行ってくれたようだが、冒険者でもどうしようもない大屋根山の主相手に、どう助ければいいのかわからなかったらしい。
当然だ。
冒険者っていうのは、一般民と違って使い捨てされる身分で、助けてもらう側ではない。
ジョアンは、それでも、クエスト屋をせっついて、治癒薬を持って来てくれた。
迷宮を脱出し、安堵のあまり立ち上がれなくなっていた俺たちには、ありがたかった。
若手たちも俺も、丸薬のおかげで命拾いし、若手たちは身体が癒えるとインマーグの街から出て行った。
いらぬ知恵をぽこに授けて――。
十分な量の薪を片付けて、今日の分を抱え、ぽこの動向を伺う。
そろそろ苗植えも終わりのようだから、チャンスは少ない。
納屋に農具を片付けに行っている隙に、家へと駆けこむと、外からぽこの抗議の声が上がった。
今、俺の家の玄関には宿り木が飾られている。
本来、木の枝に寄生するはずの球体に丸まった宿り木が、玄関なんかにあるのは、治癒士のおせっかいのせいだ。
迷宮から出る道を登りながら、高揚した気持ちを、若手たちは駄弁って発散した。
出たら何を食べたいとか、どこかの街の酒場娘に惚れているとか、そんな話だ。
「恋人同士が宿り木の下でキスをすると結婚の約束を交わしたことになり、宿り木の祝福が受けられるのです。宿り木の実はくっついたら簡単には取れませんし、古代から再生の意味を持ちます」
何をどう話していたら、そんな話題になるのか。
喋るのが好きではないから、いい加減に参加していれば、とんでもないことになっていた。
その結果、ヤツらは、宿り木をぽこにプレゼントして出て行ったのだ。
極めつけは、市場の連中にまでこの話が知られているということだろう。
最低だ。
どこの世界に、嫁からそんなもんをねだられる夫がいるというのか。
そもそもぽこはたぬきだ。
「もう! またしくじりましたよ!」
家に入ってきた途端に、文句を言われる。
淹れたての茶をぽこに手渡しながら、宿り木から目を逸らしてしまう。
「そんなもん民間信仰の中でできたデタラメだ」
そうは言ったが、どうしたって避けてしまう。
丸薬も切れてイエティの前に立ったとき、イエティが最後の一撃を止めたのは、入山するときに捧げた白ワインとローズマリーの儀式のおかげかもしれないと、今では思っている。
古くから伝わる伝承や習慣は、侮れない。
おかげで、家に入るのにぽこがいない隙を狙ったり、窓の板戸を外して窓から入ったりする羽目になるわけだ。
ぽこはなかなかの策略家で、玄関の鍵の調子が悪いだとか言って、事あるごとに俺を罠にはめようとしてくるから、油断ならない。
「もう、いいです」
ぽこが唇を突き出して俯いた。
温かい茶が入った杯を食卓に戻し、外に出て行く。
また罠だろうか?
ここで、後を追いかければ、待ち伏せているのだろう。
そうはさせまい。
顎鬚を撫でて、茶を啜る。
ぽこは、納屋から梯子を取って来た。こっちを見ないまま、梯子に登り、宿り木に手を伸ばす。後少しで届かずに空振りした。
「取っちまっていいのかい?」
取ってもらえれば、普通に出入りできて助かる。
質問する形を取ったつもりが、想像以上に安堵した感じが声に出た。
「何も無理強いしたかったわけじゃないですから」
茶を置いて、席を立つ。
今度こそ宿り木を掴んだぽこの手ごと、左手で梁に押さえつける。
梯子と俺の身体でぽこを挟みこみ、梯子の上部でぽこは身動きが取れずに固まった。
いつもは身長差が激しすぎて見えないぽこの顔が真正面に見える。
右手でぽこの頭の上にある本物の耳の裏から頬までを撫でおろす。
ぽこの頬はやわっこくて触り心地がいい。
「どうした? 顔が赤いようだが」
今にも窒息しそうな表情、大きく開いた瞳がおもしろい。
そもそも誘ってきたのはぽこの方なのに。
顔を近づけると、ぽこは目をぎゅっと瞑った。
気が変わって、丸い額に軽く口付けた。
ゆっくり離れると、ぽこの目が開いた。
目が潤んでいて、やや開いた唇が柔らかそうだと思った。
食みそうになり、思いとどまる。
身体を離してやると、そのまま梯子から落っこちてきた。
「おっと、しっかりしろ」
抱きとめたぽこを、降ろしてやる。
どさくさに紛れて宿り木と梯子を納屋に片づけて戻ってくると、ぽこは額に手を当てて、茫然としていた。
額を指ではじいてやると、膨れっ面に戻った。
「茶が冷めちまうぞ」
テーブルの上には、丸ごと買ったベリーと木の実のタルトの残りがある。
ここまでご愛読いただき、ありがとうございました。
これにて第一部は終わりですが、オズワルドとぽこの話はまだまだ続きます。
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第二部で、一人と一匹の関係がどう深まるのかお楽しみください。