37話 ぽこと氷窟⑤
「上だよ」
妙にしおらしい声を辿れば、雪に突き刺さった木の枝に、服の背がひっかかっていた。
「降りてこられるか?」
「腕をやっちまった」
なるほど。自力で降りてこられないほどの怪我なのだろう。
魔術師が魔術を使おうとして取り出した杖は、折れていた。
「嘘だろ、おい」
魔術を使う者にとって、魔力を術に変換する相棒というのは大変重要であるという。
相性があり、魔術書、長杖、短杖、カードに宝飾品と実に様々な種類がある中から、最も自分の魔力と相性がいいものを選ぶ。 常日頃から、魔力を流し込み、相棒を育ててやっと自在に使えるものだと聞いている。
折れた杖を、何度もくっつけようとして、その度に直らない事実に、青ざめていく。
「どら」
ベルトに通していた小型斧を取り出して、暗殺者が引っ掛かっている枝へ投げようとしたら、今度は暗殺者が叫んだ。
「待ってくれよ! 当たったらどーする?」
「当たらないから心配するな」
「ちょっと待っ」
待ってと言わさぬ内に、小型斧を投げる。
小型斧は宙を回転しながら、枝をへし折った。
落ちてきた暗殺者を盾役が受け止める。
治癒士と同じように治癒薬を支えて飲ませてやると、暗殺者は、指を動かした。
問題なく動くようになったのを見て、盾役が、空になった薬瓶を捨てた。
目で確認できる盾役の治癒薬は残り二つだ。
転がっていく薬瓶を暗殺者が目で追った後、項垂れる。いつものような調子は出ないらしい。
「悪ぃ。俺が縄張りに入ったばっかりに」
盾役と魔術師が顔を合わせてから、俺を見上げた。
「それより、どうやってここから上がるかだ」
全員でもう一度出口を見上げる。
「綱でもなければ、上がれないだろうな」
「あんな高さから落ちて、全員が生きてる方が奇跡だぜ」
魔術師の言葉に、盾役が雪を踏む。
「雪崩で、大量の雪が先に落下していてくれたおかげだろうな」
「クッションになったってことですね」
目が覚めたぽこが話に参加して、今度はぽこを囲んだ。
真っ白だった顔色が、マシになっていて、胸を撫でおろす。
ぽこが、上半身を起こしたのを見て、また脱出の話になった。
「綱なら、荷物に入れたはずだ」
「それがあれば、魔術で上に……できないな。あれがないとコントロールが悪すぎる」
魔術師の言葉に、全員が黙る。
「綱じゃなくとも、荷物は探さないとな」
「俺は盾も長剣もない」
「ないない尽くしだな。何としても探さないと」
それぞれが背負っていたはずのリュックを探すが、すぐには見つからない。
薄暗い中では、視界が効かないが、カンテラもどこかに行ってしまった。
雪山で過ごすための念入りな準備をしてきたが、それらは全てリュックの中にある。
荷物は生命線だ。
治癒士の状態が悪いのなら、ここから先の怪我は治療薬だけで対応していかねばならない。
「あ!」
雪に挟まったリュックのベルトを見つけて、掘り起こすが、ベルトの端切れだ。
一つでも見つからないかと誰しもが焦っている中、小さな希望が落胆に変わる。
「ここは?」
治癒士が気づいたらしい。
四方に散っていたのが今度は、治癒士に集まった。
ぽこも、ゆっくりと歩いてきた。
血色もよくなり、目もしゃんとしている。これなら、動けるだろう。
「ここは、大屋根山の氷窟の深層だ」
黙っていても仕方ないので、答える。
治癒士が回復するまで明かせなかったのは、絶望に拍車をかけたくなかったからだ。
言い出す前に十分時間が取れたからか、ちゃんと声に出た。
「どうしてそれがわかる?」
盾役が訝しげに片目を細める。
「ここは、俺が仲間を失った場所でね」
また全員が沈黙した。
何一つ朗報はなく、状況を確かめる度に、窮地に立たされていると思い知らされるばかり。
「だから、ベテランさんはヤツらの縄張りに入るなって言ったのか」
納得するのは、盾役と治癒士。
「畜生! なら、最初から言ってくれよ!」
悪態をついたのは暗殺者と魔術師だ。
逆境で人は、本性を表してしまうというが、無理からぬことだ。
だが、この状況下で言われっぱなしでいるわけにはいかない。
生死がかかっているのだ。誤解されたままではこちらの身が危ない。
「優秀なはずのお前たちに、俺があてがわれた時点でおかしいとは思わなかったのか?」
「それは、雪山には案内人が必要かと」
「クエスト屋が俺をあてがったのは、お前たちを同じ目に合わせたくなかったからだ」
気まずい沈黙が流れる。
理解して納得するのは若手の彼らの方だ。
そう時間がかからず、盾役が小さく息を吐き、空気が緩んだ。
「荷物を探しに戻ろうぜ」
盾役の声かけで、治癒士から皆が離れようと踵を返す。
その瞬間、一斉にカンテラの灯りが灯った。
いつの間にか、俺たちをぐるりと取り囲むノームたちは、興味津々にぎょろついた目で俺たちを観察している。
上で起こった騒ぎを、こいつらはまだ知らないのか?
距離で考えればあり得る話だ。
群れの中から、好奇心旺盛な一匹が恐る恐る近づいてきた。
右手に持ったフォークの先で、一番近い魔術師が手に持ったままの折れた杖の先を突こうとする。
「やめろ!」
盾役が止めた瞬間、魔術師はノームをボールのように蹴っ飛ばした。
群れを巻き込んで、壁に激突し、地面にべしゃりと落ちる。
「こいつらのせいだ! 畜生!」
蹴り飛ばした後、魔術師が地団駄を踏んだ。
蹴っ飛ばされたノームと、巻き込まれたノームたちが起き上がる。
凶悪で憎悪に満ちた目、歯をむき出しにする。
「逃げろ!」
盾役と魔術師が治癒士を立たせて、肩に腕を回して運ぶ。
「荷物は⁉」
「命の方が大事だ!」
若手の中で唯一自前のナイフを持った暗殺者がしんがりを務め、俺が小型斧で道を切り開く。
ぽこはうまいことノームからカンテラを奪い、俺の後ろについた。





