32話 ぽこと落ち葉
朝から、家の壁の隙間に苔を詰めている。
夏場に乾燥して無くなってしまうから毎年せねばならない季節仕事だ。
「クエスト屋に行きましょう!」
もう何度目かわからぬぽこの提案に辟易している。
夕べの酒場以降、返事せずに来たが、どうもこのままでは乗り切れなさそうだ。
「迷宮に潜って、帰ってきたら凍死したいか?」
外は今日も雪が降っていて、昨日よりもさらに積もっている。
本来なら、真冬になる前に終わらせておくべき家仕事を今頃やっている。
薪拾いはどうにか間に合ったが、最後にこれだけ残っているから、丁度いい言い訳になる。
「タルト……」
実は、最後の一口を食べた後、ぽこは何度か涙ぐんでいる。
あまりに迷宮をせっつかれたので、気を逸らしたかったのだが、それどころか火に油を注ぐことになってしまった。
一言目には迷宮、二言目にはタルトと言う始末。
たぬきというのは存外に執念深いらしい。
食い物の恨みは根深いのやもしれぬが――。
「悪かった。今度食べさせてやるよ」
「今度っていつですか?」
言い逃れるために軽はずみに言ったことに食いつかれた。
「次の仕事が終われば」
「わかりました」
膨れっ面をしながら、器用に唇を尖らせ、愛らしい顔が台無しになっている様子がおかしくて、音を出さずに喉を鳴らした。
「うちは兄弟が多くてですね」
「ほぉ?」
初めてぽこ自身から、家の話を聞く。
「兄ばかり七人もいるんです」
「それは多いな」
まてよ。たぬきならそんなものだろうか?
「上から三人が五つ上で、下の四人が三つ上です。七人も兄がいる生活って考えられます?」
首を振ると、ぽこが苔を詰めるのを忘れて拳を振り始めた。
「私のおやつは、端から盗られていくんですよ!」
ぼやぼやしている間に、おやつが無くなる様子を思い浮かべて、申し訳なさが増した。
ぽこは、実家の過干渉が嫌で家出しているのに、俺が同じようにおやつを盗ってしまった。俺はぽこの兄の恨み分も加算されて怒られるわけだ。
自分の仕事を終えて、茶を淹れる。
ぽこは、慌てて自分の仕事を再開した。
「俺は滅多と迷宮には潜らない。王都に行ったこともない」
理由を聞いてこないのがぽこの優しいところだ。
「ここにはぽこのおやつを盗る悪いのは七分の一しかいないから、安心するこった」
「そこはいないって言うところじゃないですか⁉」
ぽこが怒るのがおかしくて、とうとう大声で笑ってしまった。
❄
早めの夕食にリーキたっぷりスープをのんびり食べ、皿洗いを終わらせた。
夕食を作ってくれたぽこの代わりに、皿洗いは俺がした。何でも世話を焼いてもらうことには違和感がある。
広いリビングは、隙間風ひとつなくてかなり温かい。
毛皮の敷物の上でぽこは、熱心に何かを並べていた。
背後から覗き込むと、この間集めた葉っぱだった。
形で分けているらしく、欠けのあるのは弾いてある。
最後の一枚を区別し終わると、形ごとに集めて、また並べ始める。
今度は、何を基準に並べているのかわからない。
「この葉っぱは、いい葉っぱです」
一枚を手に取って、暖炉の光にかざす。
紅葉はしているが、ただの葉っぱだ。他と区別がつかない。
「とってもいい赤でしょ?」
真っ赤な葉っぱを丁寧に左上に置き、また違うのを手に取る。
「こっちもいい葉っぱです」
今度の葉は赤ではない。
「こっちは、色の混ざり具合が絶妙でしょ? オレンジ色から黄色のバランスを見てください。ほら」
「なるほど」
そう言われればそうかもしれず、同意しておく。
「もしかして、葉っぱの具合によって、化け具合が違うのか?」
「それもありますけど、モチベーションが一番変わります」
いわばぽこの仕事道具みたいなものだと理解して、俺も仕事道具を研ぐことにした。
互いを意識せずに、それぞれの好きに過ごし、ふと気づくと、暖炉の前の椅子に座った俺の膝の上に、たぬき姿のぽこがいた。
溶けたチーズのように身体中脱力し、長く伸びるぽこの腹を撫でる。
人間姿だとできないが、たぬき姿でならいくらでも甘やかせることを、ぽこに知られちまっているらしい。
どうにも飼いならされちまって……。
撫でる手が止まれば、身体の向きを戻して、鼻先で手を突いて催促される。
時折、薪が崩れる音しかせず、平穏で幸せだ。
板戸で窓を塞いでいるから、外の様子はわからないが、どうせいつものように雪が降っているのだろう。
不躾に三度、玄関扉がノックされた。
誰だ?
街から離れた俺の家にわざわざくる輩は殆どいない。
警戒しながら扉を開けると、冷たい空気が入り込んだ。若い男が四人立っている。
「あんたがベテランさん?」
「あぁ、そうだが」
昨夜の八百屋の親父と肉屋の話を思い出してしまう。
こんな時期なのに冒険者が来ていたと言っていた。その目的まで思い出してしまう。
嫌な予感しかしない。
「あんたを雇いたい」
ぽこに言われてもクエスト屋に行かなかったのは、いらぬ仕事をしたくなかったからだ。
だが、わざわざ雪の中出向いてくるとなれば、話が違う。
「話を聞かせてもらおうか」
仕方なく、肩をすくめて家へ通した。