20話 ぽこの不満
まだ日のある内に家に帰ると、いつも通りぽこが出迎えてくれた。
追い返す予定だったジョアンは、まだ家にいる。
しつこいヤツだ。
「畑ができたな。お疲れさん」
よしよしとぽこの頭を撫でて、土産のアイスラビットの肉を渡す。
無邪気に喜ぶぽこを見れば、今日の疲れも飛ぶというものだ。
「何の種を蒔いた?」
「蕪とほうれん草です」
粉屋の女将さんと親しくなったらしく、あれこれ教えてもらっているらしい。
出された湯で身体を拭っていると、ジョアンがぽこの尻を触ろうとして、お玉で手を叩かれた。
この分なら、問題はなかったかな。
安堵と共に、一日中こうしてじゃれ合っていたのかと想像すれば、胸糞悪い。
「旦那様はお疲れなんですから、早く出て行ってください!」
ぽこがジョアンを戸口へ追い立て、ジョアンは、両手を挙げて降参ポーズを取る。
「さっきの話、よく考えておいてくれよ」
ジョアンは、ウィンクをして、やけにあっさり出ていった。
さっきの話?
何のことだか聞きたいが、聞いて楽しい話ではないだろう。
それより、いつものようにぽこと楽しい時間を過ごしたい。
「あいつは、どうするって? 山に帰りそうには見えなかったが」
「さぁ、その辺りで寝るんじゃないですか?」
つっけんどんな言い方に、話題を誤ったと分かる。
「アイスラビットの仕事は今日で終わりだ。次の新人も来てないし、明日は一緒に仕事ができるといいな」
精一杯寄り添ったつもりだったのに、ぽこは返事をしなかった。
無言のままパンで作った団子のスープと豚と根菜の煮物が出された。
いつもなら会話が弾む食事だが、こういう状況では気軽に話しかけることもできない。元々俺は口数が多い方じゃない。
これはジョアンと何かあったな。
さっきの話ってのが、心に引っかかって仕方ない。
ジョアンと一緒に出ていくのだろうか。
ひたひたと冷水が腹の底に溜まるのを感じる。
口角が下がり、奥歯を噛みしめて耐える。
仕方ない。
ぽこを、思いの外大事に思っていたらしい。
しかし、別れとは突然来るものだ。
四の五の言わずに、ぽこの決断を受け入れるべきだ。それが大人というもんだろう。
暖炉の温かさを感じながら、食事を囲むのが辛く、手早く夕食の残りをかき込み、席を立つ。
自分の分の皿を適当に洗って、顔も見ないで階段ばしこに手をかけようとして、腰壁に香水の瓶が置いてあることに気が付いた。
こんなところにあったか?
だが、今は一階にいたくない。
「寝る」
それだけ言って、二階へ上がる。
支度をしながらも、階下の物音が気になる。
こんな素っ気なくしていれば、ぽこは今すぐに出て行ってしまうかもしれない、と考えて、情けない気持ちを打ち消すように、干し草のベッドへ横になる。
両手で顔を覆い、ゆっくり顎髭まで撫でおろす。
ぽこの幸せが一番だ。
目を瞑り、深呼吸を繰り返す。
床が軋む音で、うたた寝から覚醒した。
目を開けると、人間型のぽこがいて、こちらの様子を伺っている。
まだいてくれることに胸のつかえが軽くなる。
上掛け布団をめくってやれば、いつもなら飛び込んでくるのに、今日は立ったままだ。
「どうした?」
ぽこの目の端が光った。
今朝と同じだ。今朝も、ジョアンが来る前に、ぽこは泣いた。
どうも今朝からぽこの様子がおかしいのに、ジョアンのせいで、何も話を聞いてやれないままだった。
問題を解決せぬまま、別れるわけにはいかない。
「言ってくれんとわからんが」
身体を起こして、後頭部を掻く。
「ぽこは、誰かの代わりですか?」
「あん? 何のことだ?」
突然、訳の分からぬ話をされて泣かれるのは困惑しかないが、ここは根気強く話を聞かねばなるまい。
「ぽこと寝てると、誰かを思い出しますか?」
「俺ぁ、犬とでさえ一緒に寝たことはないがね」
「ぽこは、人間になりたいです!」
ぽこは、噛みしめた歯の間から、嗚咽を漏らし始めた。
「どうして、お前さんが人間にこだわるのかわからんがね。そんなに実家が嫌か?」
ぽこは首を振って否定した。涙が遅れて散る。
「ぽこが、人間になりたいのは、旦那様の妻になりたいからです」
大きなため息が出てしまい、ぽこがびくついた。
「どうして俺なんかを? そればっかり考えちまうよ」
「旦那様は、俺なんかじゃありません。ぽこは旦那様じゃなきゃ嫌なんです」
「わかった」
理由はちっともわからないが、兎に角そういうことらしい。
これもまた、理解はできないが甘受すればよいことなのだろう。
「ぽこは、旦那様の一番の人間になりたい」
しゃくり上げながら話すもんだから、ぽこの声が引きつった。
何とかしてやりたい衝動に駆られるが、今の俺にできることは殆どない。
髪をかき上げて、ありのままを伝える。
「一番も何も、他に誰もおらんだろう?」
自分で言うのも情けないが、こう言わねば、ぽこにはわからないらしい。
誰かの一番でいたいという気持ちは、俺だって理解できる。
「旦那様の心の中にもいないですか?」
返事に窮する。
「それを理解するには、もっと時が必要だと思うが」
ぼそぼそと呟くようになった声に、ぽこは呆れたのか微かに笑った。
「時間が必要ってのは納得ですが、返事してもらえないのは不満ですよ」
突き出した唇を愛おしいと思った。
「なぁ、ぽこ。俺はこんな年まで独り身だ。若くない。若さってのは、心に燃えるもんを持ってて、それでとんでもないことをしちまうもんさ」
「ぽこが、旦那様の妻になりたいのは、とんでもないこと?」
ぽこを手で制する。
「まぁ、待て。急くな」
ぽこは、素直に頷いた。
ベッドから腰を上げて、近くのぽこの手首を掴んで引き寄せる。
難無く、ぽこは再び腰かけた俺の膝の上に座った。
「でも、それを間違ってるとは思ってなくてな。熾火みたいなもんで、一度冷えちまった薪を焚きつけるには、時間が必要なのさ」
ぽこの鎖骨に額をつける。
大男が背を屈め、こんな小さな女に甘えるのは、恰好が悪いと、己の中の何者かが嘲笑した。
俺の後頭部を、小さな掌が撫でる。
まるで幼き頃に、爺さんがしてくれたような仕草に、胸の奥にこびりついた何かが融けたように感じた。
許して欲しい。
そうか。俺は許して欲しいのか。
かつての仲間を思い出した。
ジェームズ、グレッグ、ノエル――。
顔を上げると、ぽこの大きな瞳が見えた。
「一緒に寝たくないのなら」
言いかけた途端、爆風が上がる。
きゅうぅ~っ ぽん‼
煙と出てきたたぬきのぽこが、俺の膝の上からベッドの中へ移動する。後れて俺もベッドに入った。
ぽこが納得した理由はわからないが、時間が必要だと分かってくれたのだろう。
いつものようにふかふかの毛を撫で、今日初めての至福の時間だと気が付いた。
「ぽこは気持ちがいいでしょう?」
「あぁ」
「史上最高?」
真剣な声に笑ってしまう。
「あぁ、空前絶後だ」
満足したような大きな鼻息が腹にかかり、ぽこは大きく伸びをして、いつものように、俺の脇に鼻を差し入れた。





