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たぬきの嫁入り  作者: 藍色 紺
序章 手を差し伸べるのなら最後まで
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2話 ぽこは押しかけ女房

 満ち足りた気分で目が覚め、何かいつもと違う気がした。

 窓から入り込む光の角度は、いつもより高い。

 深酒した翌朝特有の身体の怠さがあり、喉が渇いている。そして、やけに空腹だ。


 汲み置きの飲み水を思い浮かべるだけで、寒さに身震いする。昨夜は暖炉に火を入れなかったから、水瓶は凍っているやもしれぬ。


 寒さを覚悟してベッドから抜け出したが、妙に温かい。


 天気でもいいのかね。昨夜は随分冷え込んだが。


 大あくびしながら、急な階段ばしごを下りる途中で、一階に人の気配がした。

 思わず気配を殺し、様子を窺う。


 暖炉と食卓の間で、くるくる動く背の低い人がいた。

 袖から伸びた白い手足は華奢で、腰の線から女と分かる。シルバーブロンドの髪を肩の上でふわふわ揺らしながら、鼻歌を歌っている。何よりも特徴的なのは、花の咲いたような笑顔だった。


 昨日、何かやらかしちまったか?


 身に覚えはなく、連れ込んだ痕跡もない。そもそも、年端もいかぬ子供に興味はない。


 どこの子だ?


 インマーグの街人なら、ほとんどが顔見知りだ。


 階段ばしごにかじりついたまま、動けない。


 俺に気付かず、暖炉の鍋を掻きまわした後、柄の長いフライパンの中身を返した。ベーコンの脂が爆ぜる音と香ばしい香りに、スープの匂いが混ざる。

 起き抜けの満ちたりた気分と空腹は、この匂いのせいらしい。


 両手で食糧庫から卵を四つ掴み、振り向いた瞬間、俺を見て動きが止まった。

 その拍子に、卵が手から零れ落ちる。


「あっ!」


 走り寄り、床に落ちる寸前で卵をすくい上げる。


「間一髪だ」


 顔を上げれば、目の前に大きな瞳があった。黒目がちでまん丸な目で見つめられる。丸顔で、口と鼻が小さい。愛くるしさが庇護欲を刺激する。


「ありがとうございます」


 礼を言われて、返事ができないのは、見惚れていたからだ。言葉にならない返事で誤魔化す。


「ベテランさん、おはようございます」


 凛とした涼やかな声を聞きながら、卵を受け渡して、立ち上がる。

小さい。つむじまで見える。


「えーっと、どちらさんで?」


 強く言えないのは、この子が俺を知っているらしいのに、こっちは全くわからないから。加えて、この見た目だ。

 最近面倒をみた冒険者の中にいただろうか?

 考えてみるが、いなかったようにも思える。

 これだけ器量のいいお嬢さんが記憶と一致しないはずはないのだが。

 新人たちと深く関わらないようにしている手前、自信はない。


「私は、ぽこって言います」


「あぁ、いや、そうじゃなくてだな」


 ぽこなんて変わった名前には、ますます心当たりがない。

 仕事で女と話すことはあっても、プライベートでは久しぶりすぎて、頭を掻きながら、言葉を探す。


「昨日助けてもらったたぬきです!」


「はぁっ⁉」


 驚く俺を見て、いたずらっ子のように声を弾ませて笑う。


「ほら! 木の根を切ってくれたでしょう」


 持ち上げた右足首は、青く打ち身になっていた。


「信じられん」


 顎鬚を撫で、思案する。確かに、あのたぬきは右足を木の根に挟んでいた。


 だが、まさか、しかし……。

 狐につままれている気がしてならず、頬をつねるが、しっかり痛い。

 あぁ、狐ではなくたぬきだったか。


「これならどうです?」


 たぬき娘は、肩から下げた巾着から葉っぱを一枚出してきた。

頭の上に載せて、真剣な表情で頬を膨らませた。

サーモンピンクの頬に赤味が増す。


 きゅうぅぅっ ポンっ!


 小さな破裂音がし、一瞬にして娘が煙に包まれる。

 煙が消えた跡には、小柄なたぬきが俺を見上げていた。


 この薄い色、確かに昨日のたぬきだ。

 さっきの娘の髪の色とも一致する。


 愕然とし、落ち着くために髭を撫でる。


 たぬきが化けるなんて、迷信じゃなかったのか⁉

 そんなおとぎ話は聞くが、実際に騙されたヤツも知らないし、クエストで化けだぬきが出たこともない。


たぬきは、ベーコンが焦げる匂いに鼻をひくつかせた。再び破裂音と煙が立ち、先刻の娘に戻って、慌てて卵を割り入れる。

慌てたせいか、化け損ねたらしく、今度は耳と尻尾がたぬきのままだ。


 二度も見せられては、信じぬわけにはいかぬ。


 大きく呼吸を二度して、食卓に出ていた水を飲んだ。


「それで、どうしてここに?」


 どうにも解し難い。


「私、ベテランさんのお嫁さんになります!」


 たぬき娘が、鍋をかき混ぜた長柄の匙を片手に持ち、勢い込んで前のめりになる。


 たじろき、座ろうとした椅子が音を立てた。


「よ、嫁?」


 嫁という言葉には、羨望と諦め、それに臓物を凍らせるような悲しみがついてまわる。俺には縁遠いもんだ。


「御恩を返すために来ました」


 照れたように、後ろで手を組み、頬を紅潮させているが、俺と目を合わして離さない。愛らしい顔立ちだが、決意の固さが見て取れる。


「ほら、焦げてるぞ」


 気が動転した俺は、料理に話題を逸らして時を稼ぐ。


たぬき娘は慌てて、木の皿にベーコンエッグを、椀にスープをついでテーブルに配膳した。


視線を外されて、ようやく息ができる。

大の男が、小娘にいいように動揺させられている。

また髭を撫で、たぬき娘を観察し、気が付いた。


 卵とベーコンは俺が買っておいたものだが、スープの具材には心当たりがない。


 よもや、こいつも木の葉だったりしないだろうな。


「こいつはどうした?」


「きのこ汁ですよ。おいしいのを集めてきました」


 得意そうに薄い胸を張りながら、俺の向かい側に座り、自分も匙を取った。

 椀を手に取って啜れば、滋味に溢れた味わいに涎が溜まる、冷えた身体に温かさが染みる。

 次の一口がもどかしく、かき込む様に一気に飲みつくした。


「うまい」


 思わず出た言葉に、零れ落ちそうな笑顔を向けられる。おかわりをするために立ち上がれば、手を出して椀を受け取り、暖炉へ向かう。スカートから出た尻尾が揺れている。


「お前さんはたぬきだろう?」


「たぬきだったら駄目ですか?」


「人間と獣人は聞いたことがあるが、人間とたぬきなんざ聞いたことがねぇ」


「なら、私が人間になります!」


「何言ってやがる。化けるのとは違うぞ」


「大丈夫! 人間になりますから!」


 差し出された椀を受け取り、食欲に釣られてきのこ汁をずずっと啜る。


 わけがわからん。子だぬきの妄想か何かだろうか。


 自信があるのか満足そうに、再び食事に戻るたぬき娘。啜ったきのこ汁が熱かったらしく、身体がびくつくのは獣さながら。


 小さく笑った己の声が、温かい部屋に響いた。


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