17話 ぽこの婚約者
吸い付くような肌触りが心地いい。
ひりつくような欲望のまま、手を這わせれば、官能的な曲線に続いて腰骨の確かな固さに当たった。
求めて止まず、決して与えられることのない温かさに、込み上げてくる衝動。
激しく抱き寄せ、違和感があった。
やけに薄く、小さい。
それでも、腹にかかる息が嬉しかった。
生きていたのか。
「ノエル――」
❄
目が醒めたら一人だった。
やっと掴んだ幸せを手放しちまった後悔にも似た気分で、心身共に重い。
一階へ降りると、朝食の準備ができていた。
嬉しくて、顔が綻んでしまう。
自炊は億劫で、それでも食わねば腹が減る。空腹は苛立ちを増長させ、適当に食っても満たされない。ぽこが来るまでは、食事はこの繰り返しだった。
ぽこの働きぶりに、心の中で感謝して、姿を探す。
――が、いない。その代わり、戸口に四角い籠が二つ置かれていた。
買った覚えのない籠を手に取って見ていると、外で何か音がした。
外に出れば、ぽこがクワで土を耕していた。
「ぽこ、何してるんだ?」
「旦那様、おはようございます!」
ぽこは、一瞬こっちを向いて挨拶したら、またすぐに土を起こし始める。
「畑を作ってるんですよ」
見れば、空いた小さ目の木箱に土が入り、色が変わっているから、種を蒔いて水をやったのだろう。
家の前に、俺の腕で縦横一つ半程度の広さの畑を作るつもりらしい。
「どら、代わろう」
腕まくりして、クワを取ろうとすると、ぽこは嫌がった。
鼻からため息をついて、ぽこの顔を見る。
いつも朗らかで鼻歌を歌っているが、今日は何やら機嫌が悪いらしい。
「家を磨き上げて、薬草を採って、今度は籠を作って売るつもりだろ? その上、畑作りだ。食事も湯も用意してくれている。ぽこ、お前さんはちと働きすぎだ」
一瞬動きを停めたが、それでもクワを振り上げる。よろめいたのを支え、半ば強引にクワを奪い取った。
「言っただろう? 続けるつもりがあるなら、力の配分をしろってな」
ぽこを下がらせて、クワを振るってから、振り返る。
俯き気味で、降ろした両手は握られ、震えている。
今にも泣き出されそうで、心底参る。
こんなとき、どうすればいいのか。錆づいた記憶を探るが、見当がつかない。
「ぽこがいてくれて、助かってるさ。どうしたって言うんだ。えぇ?」
泣くほどのことがあっただろうか。
ぽこは首を振って何かを否定した。
「ぽこは! 押しかけですから!」
押しかけ⁉ それがどうかしたかと言いかけて、留まる。
俯いたぽこから、涙が零れた。
どうしたというのか。なぜ泣くのか。
不明なまま、それでも慰めたくて手を伸ばす。
伸ばした手が弾かれ、一陣の風が俺とぽこの間を遮る。
間髪ない何者かの攻撃をクワの柄で弾き返し、隙をついて突く。
クワを挟んで、若い男と向き合った。
目の周りが窪み、鋭い眼光が油断なく俺を睨む。
クワの先を脇に挟まれ、勢いよく引いても離されない。
実戦経験がそこそこあるらしい。
こいつは誰だ⁉
「ぽこを泣かすんじゃねぇよ。おっさん」
はっと、鼻で笑って間を繋ぐ。女受けしそうな物憂げな雰囲気だ。
「ジョアン⁉」
ジョアンと呼ばれた男は、拘束していたクワの柄を解放して、ぽこへ向き合った。
ぽこの腰に腕を巻き付けて、引き寄せ、目じりに溜まった涙を逆の手ですくう。
「ぽこぉ~、心配したんだぞ!」
ぽこは、男の胸を腕で遠ざけるが、嫌がられているのも燃えるタイプらしく、さらに二人の距離が縮まった。
鼻を近づけて、ぽこの耳の辺りをくんくん嗅ぐ。
どうやら、ぽこの仲間のたぬきらしいが、それにしても距離が。
「やだ! 近いってば!」
ぽこに握りこぶしで叩かれ、笑いながら俺を振り向いた。
「ってことで、おっさん。ぽこが世話になったな」
男が、開いたシャツの胸元に腕を差し入れると、不自然な煙が見えた。
「これは、世話賃だ。取っといてくれ」
手渡されたのは、大金貨三枚だった。
鼻から息を吐く。
「まず、ぽこを離せ」
俺の言葉と同時に、ぽこが狸になって、男の腕から逃れ、俺の後ろへ回る。
腕が伸びてきたのを、俺が打ち払い、さらにぽこが、唸り声で威嚇した。
「こいつを貰う理由はないな」
手を開いて大金貨を見せ、ぐっと握った。
金貨がこすれ合う高音がして、手の平に硬さが伝わってくる。
惑わされるな。これは木の葉、これは木の葉だ!
目を閉じて、木の葉をイメージし、力任せに金貨を捻じ曲げる。
軽い物が潰れた音がした後は楽だった。
再び手の平を開いて見せると、木枯らしが葉っぱの屑をさらっていった。
「はぁん。ちっとはやるじゃないの。おっさん」
男が首を左右に伸ばすと、骨が鳴る音がした。
「俺はジョアン。ぽこの婚約者だ。ぽこを返してもらおう」
今度は、俺がぽこを見る番だった。