12話 ぽこと緑屋敷②
本と干された薬草、実験道具などの物に溢れた部屋の、これまた物が乱雑に置かれた机の上で、僅かに空いたスペースを縫うように使って、ウシュエはお茶を淹れてくれた。
手渡された取っ手つきの杯を、ぽこは暖を取るように手で覆った。
一口頂くと、刺激のある香りがした。ジンジャーが入っているらしい。
「あなたがまた誰かを信頼できるようになるなんてね」
返事をせず茶を啜る俺をウシュエは、伺うように見る。
周りの勝手な期待や憶測に傷つかない程度には、慣れた話題だ。肯定するのも否定するのも疲れている。
ウシュエが薄く微笑む。
ここに長居しないのは、どうしたってこういう話題になるからだ。
ウシュエと再会したのは、三年前。互いによく似た状況で、薬草を集める伝手を探していたウシュエと、仕事を探していた俺の利害が一致した。
「こんなに沢山の薬草で何を作っているんですか?」
ぽこが、自分の近くに置いてある木の皮みたいなものに顔を近づけ、小さな鼻を動かす。
「この皮は、この辺の山で見たことはありません」
「あら、薬草に詳しいのね。私の仕事は、薬効の高い薬をつくることで、各地からも薬草を送ってもらっているのよ」
ウシュエの声が明るくなった。流れ着いたインマーグだが、魔術研究所の仕事にはやりがいがあるようだ。
「薬を作る? ウシュエさんは、薬に詳しいの⁉」
ぽこが、椅子から立ち上がった。
「普通の人よりはね」
「おばぁが、本当に凄い人は、自分の腕前を自慢しないもんだって言ってました!」
純真な言葉に、ウシュエの表情が和らいだ。
「種族変更の薬って知りませんか?」
「種族変更?」
ウシュエの目が、子供を見るような温かいものから、急に鋭くなる。
「古の薬って、おばぁの話に出てきたことがあるんです」
「今まで魔術とばかり思っていたけれど、そうね。薬という線もあるのね」
ウシュエは、厳しい表情を崩さないまま、暫し目を閉じ、記憶を探っている。
「種族変更について、私は個人的に調査しているけれど、薬では見聞きしたことはないわ。あったとしても、文献にない失われた技術でしょうね」
「そうですか……。教えて頂き、ありがとうございます」
二人揃って、肩を落として残念がる。
茶を飲み終わって、緑屋敷を後にし、三連の月に照らされて家路に着く。
ぽこは、あれっきり無口になってしまった。
「失われた技術なら、どこかに文献が残ってるかもしれんぜ。古い迷宮には、そういうモンがあることも多い」
「古い迷宮に⁉ なら、行ってみなくちゃ!」
後ろをついてきたぽこが、急に俺の前まで走ってきた。耳が出ていないことを確かめてから頭を撫でて、ふわふわの髪の毛をくしゃくしゃにしてやる。
ぽこは、目を細めて喜んだ。
「ところで、種族変更の薬がどうして必要なんだ?」
「そりゃ、決まってますよ。私が人間になるためです」
即答された返事を、復唱してしまう。
誰が、何になるだって⁉
「はぁ⁉」
「人間じゃなければ、お嫁にしてくれないと仰ったではありませんか」
「ちょっ! おま!」
興奮したぽこは、耳と尻尾を生やして、それでも足りないのか走り出した。
行く手には、インマーグの街がある。
大慌てで、笑い声を追いかけるが、頭の中は、戸惑いしかない。
俺が、人間とたぬきの夫婦なんて聞いたことがないと言った時、ぽこは、何と言っただろうか。
そうだ。「大丈夫! 人間になりますから!」とやけに自信あり気だった。
最初から、種族変更の薬で人間になるつもりだったのだ。
言いようのない不安と恐怖が、身体の奥から俺の臓物を鷲掴みにする。
そこまでしなくともいいじゃないか。俺なぞ、冒険者になり損ねた、ただの中年のおっさんだ。
目の前を走るぽこが、急に足を止めて、俺を振り返った。
大きな月を指さし、満面の笑みを向けてくれるが、それが眩しすぎる。
「そぉれ!」
ぽこが、平べったい腹を叩くと、高い太鼓の音が響いた。





