10話 ぽこと薬草摘み
休みの日に山の中に入るのは、気持ちがいい。
木々の発する清涼な香りや、道なき道の草や落ち葉を踏む柔らかい感触を味わえる。
仕事で山に入るときには、初めて会う新人たちの性格や力量を測りながら、どうすれば問題なく仕事を終わらせられるか考えてしまう。
今は、ぽこが一緒だが、ぽこには新人たち相手のような感覚はない。
何しろ、この山の住人で、庭のようなもんだ。
隣を歩くぽこが指さす方を見れば、藪の影に小鳥が出入りしていた。胸が赤いからロビンだ。雛がしきりに鳴く声がするから、あの窪みに巣があるのだろう。
顔を見合わせて笑顔を交し合い、藪を迂回する。
山を登り始めて半刻程度で右手上にせり出した大きな岩が遠目に見えた。
「あの岩の上に、炊いた蕎麦の実みたいな白い花が咲いていたはずだ」
「でべそ岩の上の白い小さな粒々の花? あぁ、お目目ぱっちり草ですね。じゃ、回り込みましょう」
ぽこは迷いもせずに、山道を逸れた。道案内してくれるらしい。
この山に入り始めてもう十年は経つが、予想よりも早く目的の切り立った岩場に到着した。
岩の裂け目を縫うように咲いている白い花を摘む。一か所を根こそぎ採取しないのは、来年も再来年も同じ場所で採取したいからだ。
群生する薬草を何か所も知っておくことで、まとまった量を狙える。
「こんなところ、よく見つけましたね」
「運が良かった。ほら、ぽこと出会った日に、仕事の最中に遠目に見つけてな」
「冒険者は山に入るから、薬草を見つけるのにぴったりですね」
ぽこの言葉に、苦笑いしてしまう。
「まともな冒険者なら、薬草は摘むもんじゃなく、買うもんさ」
喋りながらも、互いに手は動かす。
「どら、そろそろいいだろう」
前屈みが続いて、痛む背中を逸らせて伸ばす。
ぽこは、苦にならなかったらしく、そのまま立ち上がり、右手を見て笑い出した。
「見てください!」
白い手が薬草の汁で、濃い緑色に染まっている。
その仕草で、古い記憶を思い出した。俺が新人冒険者だった頃、クエストで緑に染めた指を、当時の恋人は嫌がった。指の色が戻るまで、触らせて貰えなかった。
女ってのはややこしい。
ぽこは、染まった指の匂いを嗅いだ。
「苦そうな匂い!」
楽しそうに笑うのを見て、緑に染まった手で迫る。
「ほぉら! 色が移っちまうぞ!」
てっきり逃げ出すと思ったのに、ぽこは大人しく目を瞑って、上を向いた。
白い頬を両手で覆うと、冷たい。
「逃げないのか?」
「お目目ぱっちり草は、目につける薬ですよ?」
ぽこの大きな瞳が開く音が、聞こえた。
無垢な行動に、こっちが照れてしまう。
「次は、ベラドンナを探そう」
咳払いして、後ろを向いてしまう。
どうも、こういうのは苦手だ。
あちこちに群生しているベラドンナと、ぽこの気に入る木の葉を探す。途中でみつけたきのこを頂き、胡桃や栗を見つけて拾う。
背負子の籠がいっぱいになったころには、視界が開け、眼下に丸湖様が見えた。
真冬でも澄んだ水をぽこぽこと沸かせるこの湖は、敬愛を込めて丸湖様と呼ばれる。
広大な草原に、白い岩が点在する。
丸湖様は、深い紺碧を湛え、背後に赤茶色の山がそびえている。
昼間にしては低い位置から差す陽光が、湖面を白く輝かせている。
何度訪れても、同じ景色は一つとしてない。
美しさに圧倒され、毛穴が開き、叫びたい衝動に駆られる。
これだから、山はやめられない。
何も登頂せずともいい。
インマーグに居ついているのは、クエスト屋があって、ほどよく田舎であるからだが、実は、ここの山が好きだからだ。
薬草を探し、頭を空っぽにしたい。
ここまで登った達成感が、ちっぽけな自分でもいいと言ってくれる気がする。
背負子から、焚火台を出し、薪に火をつける。
湯を沸かし、家から持ってきた茶葉で濃い茶を淹れる。景色を楽しみながら、至福の一服。
そういえば、ぽこが一緒にいるのだった。
お茶を飲み始めたころは、一緒にいた気がするが、忘れてしまっていた。
見回すと、草原の向こうにぽこが見えた。
小さな花が沢山咲いている草むらに入っては、姿が消え、しばらくすると、違う場所からぽこが湧く。
たぬきになったり、人間になったりして一人で楽しんでいるらしい。
「おぉーい! ぽこ!」
駆け寄ってきたぽこに、真っ赤な薪の中から、黒く焦げた芋を取り出してやった。
「わぁ!」
厚手の布で包んだ芋を、ぽこは温かいと懐に入れ、俺が食べ終わったころに、やっと出してきた。
どうやら、熱いのは苦手らしい。
芋を手で割って、湯気を吸いこみ、目を輝かせる。
一口食べて、笑顔になった。
「とっても美味しいです!」
気に入ったのか、夢中で食べて、喉に詰まらせそうになり、背中を叩き、冷めた茶を渡す。
目を白黒させていたぽこは笑い出した。それを見たら、俺も笑ってしまった。