1話 たぬきの嫁入り
晴れ間に降る雪
人は、それを『たぬきの嫁入り』と呼ぶ。
❄
登る山の斜面を冷気が駈け下りてくる。
見上げれば、白く染まった山頂の向こう側が白くぼやけていた。
こいつぁ、一波乱あるかもしれんぜ。
背後からついてくる若い冒険者四人を振り返れば、すっかり息が上がっているようだ。
「それで、ベテランさん。狼がいる場所ってのはまだなんスか?」
リーダーと名乗った前衛が問うてきた。眉間に僅かな皺が寄っている。
「ここを回り込んだとこだな。そうさね。半刻もかからねぇよ」
引き返した方がいいと言うつもりだったが、血気盛んなこいつらに聞く耳はないだろう。さっさとクエストをこなして下山すべきだ。
いざという時の避難場所を頭に浮かべながら、顎髭を一撫でし、歩を進める。
増えすぎた狼を退治するのは、地域の保全のために領主が行う公共事業の一つで、俺達冒険者向けのクエストだ。
狼退治は罠が主流だから、今回のクエストは、退治というよりも、人の怖さを狼に教えると言った方が正しい。
いつものように新人引率のクエストを引き受けたが、仕事自体に慣れているとはいえ、ここ最近、寒さが妙に身体に響く。
後ろからついてくる四人とは違った意味で我慢しながら山を回り込むと、ちょうど良く、狼の群れがいた。
「いいか? 深追いは禁物。お前らの得意な攻撃で脅かしてやりゃいい」
鼻息荒く頷き、リーダーが真っ先に駆け出した。
雄叫びを上げ、窪地にいる狼の群れに突っ込む彼らを背後から見守る。
武器でもって追いかけまわし、一匹でも仕留めれば、広がったなわばりを狭めることができる。
新人だけでやるなら、クエスト屋から監視役も必要になるが、それも俺の仕事の一つってわけさ。
今日は、やけに粘り強いな。
いつもならとうに逃げ失せているはずのボス狼が、一回り小さいのを守るように立ちはだかっている。小さいのは窪地の奥の木の根元を嗅ぎまわり、前脚で引っ掻いている。
狼ってのは、他の肉食獣に比べ、獲物への執着心が薄く、仲間意識が高い。
新人リーダーが、ボス狼に対峙するのが目の端で見えた。
途端に、三匹の狼がボスを中心にして、新人リーダーを取り囲んだ。
弓使いが矢を射かけるが、かわされた上に、新人リーダーへの間合いが詰まる。
新人四人に動揺が走り、一瞬にして形勢逆転された。
言わんこっちゃない。
腰元から取り出した爆竹に着火し、輪へ投げ込むと、激しい破裂音が連続で響く。
ひるんだ狼たちの隙をついたリーダーの一突きが、うまいこと狼に当たる。
狼の群れは、それでようやく散り失せた。
興奮隠しきれず、歓声を上げる四人を脇目に、若い狼が引っ掻いていた木の根元を覗き込む。
そこには、たぬきがいた。
黒くまん丸な目で、こっちをじっと見て、犬のような唸り声で威嚇してくる。
ははぁん。こいつが原因か。
「逃げ込んだはいいが、穴が浅かったな」
放っておけば、勝手に出てくるだろうと思ったが、なぜか気になった。
たぬきにしては薄い毛色が目立つ。猟師なら見逃さないだろう。
よく見れば、木の根に後ろ脚を挟んでいる。こいつのせいで逃げられないらしい。
腰元から小型の手斧を出し、たぬきを傷つけぬように根を切ってやる。
すぐ逃げるかと思ったが、唸り続けて動こうとしない。
「ベテランさーん。何かいましたか?」
「誰にも見つからねぇ内に行きな」
小声で話しかけて、背を向けて立ち上がる。
「ウサギがいたんだがよ。逃げちまった」
手を挙げて、獲物がいないことをアピールしながら合流する。
「狼の奴ら、追いかけたいんスけど」
「止めたほうがいい」
新人たちの目がギラつき、今にも走り出しそうだ。
「一匹くらい仕留めたいんスけどね」
先刻のボスはこいつらの度量を知っている。追いかければ、仲間を集めて襲われかねない。
どう諫めようかね。
向き合う俺たちの間に、白いもんが落ちてきた。
「雪?」
見上げれば、青空から次から次へと雪が降ってきている。
「晴れてるのに?」
「こういうのをたぬきの嫁入りって言うのさ。今夜は冷え込むぜ」
新人の治癒士が豪快なくしゃみをして、俺たちは山を下りることになった。
❄
最初の一杯目はライエール。二杯目からはヴァダーを呑み、腹いっぱい食べる。これがひと仕事終えた後の俺の流儀だ。
昼間引率した新人冒険者とは飲まない。酒がまずくなるからだ。
「よぉ、ベテランさん。随分冷え込むね」
インマーグの行きつけの酒場で、何杯目かのヴァダーをちびちびやっていたら、八百屋の親父が隣の席に座った。
「ベテランさんがインマーグに来て、もう十年くらい?」
「そうさね」
「早く嫁をもらいなよ。もう三十過ぎだろ? 四十なんてあっという間だよ」
インマーグは、クエスト屋がある程度には栄えているが、所詮は田舎だ。こんな所に十年も根付いていたら、嫌でも個人情報は筒抜けになってしまう。
あぁ、早く引退したいねぇ。
あと五年もすりゃ、身体が思ったように動かなくなっちまう。その前に、どっか小さな村の古い宿でも買って、畑仕事でもしながら、余生は穏やかに過ごしたい。
そこに、元気な嫁がいて、子供が二人もいりゃ、この上なく幸せだろうに。
現実には、成功報酬で腹を膨らませるのがせいぜい程度の稼ぎしかない。
一山当てりゃ、金持ちにもなろうが、もう仕事に命をかけるつもりはねぇな……。
チャンスってのは、野心家の元にしか来ないものさ。
昼間組んだ新人の熱を思い浮かべて、自嘲する。
俺には一人がお似合いだ。
杯に残ったヴァダーを一気に煽り、帰途についた。
何やら足元にいる気がするが、酔ったせいだろう。
真っ暗なボロ家には鍵なんざかけていない。二階の冷めたベッドへ潜り込む。
「かみさんがいりゃあな」
そしたら、灯りもありゃ、暖炉に火もくべられてるんだろう。
酒で身体が熱い内に寝れば、寒さなぞ感じない。