4
平和を維持するために『住み分けること』が重視されてきた。『中立の街』でさえ、資格を持ったもの以外は人間たちの領域へ送り出すことを躊躇っている。あそこのヒトビトは商人が占めるゆえに、人族への偏見があまりない。いち早く戦争についての疑問を投げかけた街でもある。それでも二の足を踏んでいるのは、人族を慮ってのことだ。
エドは大きな目をすがめると、シートにもたれかかって大きく息を吐き出した。エルザを検索にかけても、自分たちの領域では望んだ答えが出てこない。
(なにかが起こってるんだ。人族のあいだで)
あのエルザが動くような何かが。
知らないことが多すぎる、とエドは臍を噛んだ。問いたかったことは、工芸の街ではぐらかされたっきりだ。こうして自分で動くしか情報は手に入らない。
(まさか、戦争がまた……?)
エドはため息をついた。ただの憶測だ。エルザはもう捕まったのだ。列車との接続を中断し、エドはカードブックをしまった。何か飲み物を、と手を伸ばして気付く。
リンがいない。
「え、まだ戻ってないの」
思案に熱中していて気付かなかったが、もう十五分が経っている。いくら長いといっても長すぎる。嫌な予感がして、エドは仕度もそこそこに立ち上がっていた。
どうせ誰かのところへ遊びに行っているに違いない。リンは人懐っこく、子どもなのでいつも誰かに構われている。いつだったかはヘビ男と一緒にかくれんぼをやっては「見つかっちゃうの」と楽しそうに話していた。だけど今回は胸騒ぎがした。探しに行くのは、毎度エドの役目だとはいえ……。
そうしてエドは知る。
車掌のエリックからリンが外へ飛び出して行ったということを。
すぐ戻ると行って、いまだ戻ってきていないことを――
十五分ほど前に出て行っちまったきり、戻らねえ。
がらんとしたホームで改札口を眺めていた車掌の言葉が、何度もなんどもエコーした。列車の下方では自動で動く機械が荷物の出し入れを行っていた。そろそろ終了間際だ。オーウェインのホームには駅員が一人もいない。機械だけが静かに、忙しなく動き回っている。一拍置いて、くらりと視界が傾いたのを、エドは堪えた。
「どうして、止めなかったんですか!」
食って掛かったエドに、車掌も苦ったようすだ。
「止めたさちゃんと。だが飛び出して行っちまったんだよ」
「無理にでも止めるべきでしょう、あなたは。何見送ってるんですか!」
「お前さんこそ、教えてやらなかったのかい?」
呟いたエリックをにらみ付け、ああもう、とエドは頭をくしゃくしゃにした。どうしてヒトの忠告を無視するのだろう。釘をさしたのに伝わってなかったのか。リンが出て行くと告げたとき、自分も行っていれば止められたのに。
しかし落ち込んでいられなかった。すぐさま顔をあげ、エドはコンパートメントにとって返した。手早く荷物をまとめ「探してきます」と車掌に告げる。トランク片手にステーションを駆けるエドを、エリックが慌てて追いかけた。
「諦めろ。お前さんまで列車に遅れちまう」
諦めろ? カッとなったエドがつかまれた腕を振り払った。緑の瞳に怒気が宿る。
「あなたがそれを言うの」
心の内にあるのは、エリックに対する怒りと飛び出していったリンへの怒り。でもそれ以上を占めるのはエド自身への怒りだった。あいつが納得していないことぐらい想像がついたのに、どうしてちゃんと見張っていなかったのか。言うことを聞かないリンもリンだが、不注意だったのはエド自身だ。あれほど危険だって言ったのに。
――リンが傷つくことが嫌だった。
トリビトを見たとき、家族といっしょだと言って嬉しそうだった。知らないままでいて欲しかったんだ。
――だけどそれは、僕の都合だった。
落ち込んでいたリンを、さらに突き落としたくなかった。悲しむことは目に見えていたのだ。
しかしこんなことになるぐらいなら、ちゃんと全部、話せばよかった。
「アイツにとって、この街がどれほど危険か知っているあなたが。一人で行かせたあなたが、それを言うの。バカみたいにホーム眺めても、あいつはここに今、いないのに?」
エリックの静かな眼差しに、エドは唇を噛みしめた。彼のせいにして失態を誤魔化そうとしている自分に気がついたせいだ。リンが傷つくから、とエドは逃げたのだ、真実を打ち明けることを。そしてまた目を逸らそうとしている、自分のミスから。
ぜんぶ見透かして、なにも言わないこのヒトに、罪をなすりつけて。
(最低だ)
エドはエリックの腕をつかんでいた手を、力任せに振りほどく。これが八つ当たりだと――わかっている。
(僕のミスなんだ)
懐中時計を見ると、もう停車時刻はとうに五分を切っていた。止めたか止めなかったか……そんなことを言ったってリンはここにはいない。揉めている時間はない。
「あいつをこんな街に、置き去りにするつもり?」
エリックは無言のまま、初めて視線をそらした。エドはそれを見て、唇をゆがめる。
「だったら、僕だけでもあいつの傍に行く。あなたにとって僕ら(乗客)は積荷の一つかもしれないけど、あいにく意思を持っているんだ。――邪魔しないでくれる」
「列車は、待てねぇんだ。わかってんのか」
恐らく、残り時間でリンを探し出すのは不可能だ。リンは「すぐに戻ります」と言って出て行ったのだ。列車の出発間際になっても、戻ってこないことはありえない。そして、この街は人間にとって危険すぎる。何らかのトラブルに巻き込まれた可能性も否定できない。
ゆえに、エドは自分の荷物も持ってきた。その覚悟を決めて、だ。
車掌をひたりとエドは見据えた。
「僕らは助けてもらおうだなんて、考えていない」
低い声でエドは呟くと、トランクを握りしめて走った。車掌が力なく止める声を背に受けて、その姿は光の中にとけていく。真っ白な街のどこかに、リンがいるはずなのだ。
どうか無事でいて、とエドは願わずにいられなかった。
残されたエリックは重い息を吐いて、少年を再び見送った。エドの金色にきらめく瞳は必死で、止めたって無理なことなどわかっていたのだ。リンもそうだった。真剣な表情を垣間見せた少年に、エリックの言葉は届かなかった。二人とも、この列車を飛び出していってしまった。
でも言うしかねえじゃねえかよ。俺は車掌なんだから。
「諦めろ、か……。諦めきれねえからこの列車はあるんだろうよ」
無人の星間ステーションの薄暗い内側で、淡々とした声が響いた。軽くかぶりを振るそのようすは、疲れた老人のようだった。諦観にも似たまなざしは、エドの消えたほうを見る。
「……なにもあの坊主だけじゃねえんだよ、俺が送り届けた奴は」
エリックは、帽子を目深にかぶり直すと、響く自分の足音を聞きながら、列車に足をかけた。星間列車は時刻通りに出発するものだ。
客が戻ってこなくとも。
「戻ってこいよ、次もちゃんと」
* * * *