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 やってきた少女の兄も、リンに助け舟を出してくれないようだ。怒り混じりで刺々しく睨みつけられ、リンは怯んだ。このヒトもか。今にも手が伸びてきて、胸倉をつかまれそうだ。しかし、兄のほうは妹よりいくばくか冷静だった。

「用がないなら出て行くんだ。ここはトリビトの街。人間のいていい場所じゃない。怪我したくないなら、早く行け!」

 声がつぶてになるなら、こんな感じだろう。赤い双眸がリンをうがつ。

「ぼくは手紙を……出したくてきたんだ……」


 ニンゲン。

 ニンゲンが出たぞ。


 そんなことは言われたことがなかった。リンを見てヒトビトが逃げ出すなんてことも、ない。どのヒトも親切でやさしかった。困っていると、と手を差し出してくれた。泣いていると「どうしたの」と聞いてくれた。こんなに怖いと思ったことはない。

 もの陰から、たくさんの赤い目玉がきょろりと動き、リンをとらえた。

 うそだ! 人間がやってくるなんて。

 ここには、人間はこないって言っていたのに!

 だから言ったんだ。星間ステーションなんか建てるべきでないと。

 でも、女王さまは私たちを守ってくださると仰ったわ。

 見ろ! 女王は協定を覆した。人間がやってくるなんて聞いてない!

 だが、あの人間はまだ小さい。まだ子どもだ。

 そうだ。何を恐れる必要がある。

 敵意に満ちた目線と、ひそひそした囁き声が、リンを恐怖の底へ突き落とす。がたがたと今さらのように身体が震えた。トリビトたちの理不尽な怒りは、けれど真に迫っていてリンが悪いのだと思えた。自分を囲む輪が縮まってくる気がする。


 ――キミが行っても傷つくだけなんだから


 今さらのようにエドの声が耳朶をかすめた。ああ、ああ、本当だ。エドの言うことは正しかった。でも、なぜ?

「さっさと帰るんだ。ここはお前のいていい場所じゃない。――早く消えろ!」

 くるりとリンは背中を向けた。どくん、どくん、と脈打つ心臓が破裂しそうだった。……恐怖で。

 リンを包んだざわめきが、いっそう大きくなった。

 ……捕まえろ。捕まえるんだ。

 あの子どもを逃がすな。人間を倒せ、人間を!

 自分を覆う影が大きくなる。口が、利けない。縫い付けられたように、動かない。どっくんどっくんと心臓がやぶけそうだ。こわい! 駆け出した足は、一直線に星間ステーションへ向かっていた。怖いこわいこわいこわいこわいこわいこわい! がちがち、と歯の根がなる。戻らないと! だがあと少しのところでつまずいて、リンは転んでいた。足がもつれたのだ。

 すぐさま身を起こしたが、その瞬間、真っ白な視界に黒いものがよぎった。路上に広がった影は、すっぽりと振り返ったリンを包み込む。ばさり、と聞こえたのは鳥の羽ばたきか。あ、と思った瞬間には足が地面から離れていた。

「シエラ!?」

 驚きの声は、トリビトの兄のもの。何をやっているんだ、という問いかけだ。しかし、その返答は甲高い科白だった。

「こうしちゃえばいいのよ、人間なんか!」

 リンが見たのはだんだん遠ざかっていく街だった。高くたかく舞い上がっていくのは自分のほうだ、と理解するのに時間がかかった。まるで星間列車が旅立つような視界の変動。それが、街の端でぐるんと逆を向く。

 自分が突き落とされたのだとわかったのは、空中だった。いやだ、と抗う術さえ少年は持てないまま、どんどん落ちていく。

 ああ、だからエドは危険だって言ったんだ。




 エドとリンにあてがわれた部屋は、三等客車のコンパートメントを六つ足してもまだ広かった。それもそのはずだ。ここは列車の二階部分に当たる最後尾。八両編成の列車は、一~二両目の三階部分が一等乗客のコンパートメントにあてがわれているのだ。そのうち二両目の列車最後尾を丸々部屋にしたここが、リンとエドのためのスペースになっている。リンが言うには、「ぼくのお家ぐらい広い」らしい。エドが、どれだけ狭いのさ、と呆れたのは内緒だ。

 星間列車は、その種類にもよるがとても大きかった。数千、場合によっては数万位で乗客を収容できた。その上、生活に必要なものはほぼすべて揃っている。銀行や病院、カジノやバー、レストラン、大浴場、映画館、スポーツジムなど。クィダズ行きは小さいので、大きなグランドこそなかったが、バスケットボールならできるスペースはある。

 クィダズ行きの列車は、星間列車の中でもランクが高く、基準が三等客車となる。四等客車がないのだ。三等客車は小部屋コンパートメントでそれぞれ区切られていた。エドがリンと出会った場所だ。現在二人がいる部屋との違いは、受けられるサービスの違いだった。ランクが上がれば上がるほど、出てくる料理や使える設備が変わってくる。

 エドが小耳に挟んだ話によれば、三等客車でもコースがあって、追加料金次第でランクが上のサービスを受けられたりするらしい。リンが「列車って言うより、えーっと……ホテルみたい?」と呟いていたのを思い出す。

 それとは別に、共有している施設もあった。リンが安いカフェに出入りできるのはその為だ。

 大きなトラブルが列車内でそう起こらないのは、セキュリティ面が高いからだ、とエドは思う。これ見よがしな警備員や保安職員を必要としないのは、機器のサポートが大きい。また、この列車には四等客車がないため、むき出しのシートでぎゅうぎゅう詰めになることがない。乗客同士の接触が少ない分、トラブルが減るというものだ。それがリンを驚かせた点であった。

「そっか。コンパートメントなのに、自由席なんだ」

 あまり深く考えずにコンパートメントの扉を開けたリンが、目を丸くしていたのを思い出す。

 それも仕方がないことだ。リンが乗ってきた列車は、やたら古くてデカイ万単位収容の巨大列車だった。シートコンパートメント(座席区画)では六人がけのシートが、三列も並んでいたという。そのほうがエドには驚きだった。

「じゃ、とっても狭かったんじゃないの?」

 呆れて尋ねると、リンは真剣な表情でうなずくのだ。

「うん、もう人でぎっちり! 足元にも寝ている人がいたんだよ。シートとシートの間も、あんまりなくて……こう、足を伸ばしたら前のシートにすぐぶつかるんだ」

 限りあるスペースを有効活用しようと、自由区画はシートにあぶれた人々でいっぱいだったそうだ。かろうじてシートを確保できても、リクライニングできない、クッションの硬い代物だった、と大真面目にリンが言う。

「ずーっと座ってると、おしりが痛くなるんだよ」

 エドの頭はくらくらした。信じられない。

 耳にした設備内容は、一等客車ファーストクラスでも、ここの三等客車スタンダードクラス程度の代物だった。

 それぞれ風呂や食堂といった車両もあったらしいが、話を聞く限りでは時代遅れでかなりの『年寄り(ロートル)』だ。型からして、おそらく五世代は昔の列車だろう。しかし二十両編成の、大きな大きな列車だった。

(今時あんな列車があるのか、なんて僕は笑ったんだ)

 エンジャーグルで、リンの乗ってきた列車を、見下ろして。

 この列車がそれであったなら、間違いなくエドは嘆願書を提出しただろう。別の手段で旅を続けるなり、車両や列車自体を変更してもらうなり、エドだけ待遇を変えてもらうなり……多少無茶でも実行してそうだった。手足を伸ばしただけで他人とぶつかるなんて、考えたくもない。

 冗談半分でそれを口にしたら、困ったように眉をハの字にしてリンが微笑んだ。

「うん。この列車とは、本当に、ぜんぜん違うんだよ」

 そのようすが少し寂しそうで、エドはまたもや自分の失言を悟ったのだった。リンが一人でいるのは、家族も一緒に旅をする費用がなかったためだ。エドにとっては最低の列車であっても、現地民リンにとっては違う。

 それが満員御礼で運行されている現状を、忘れていた。

 難民たちは休戦宣言がされて七年が経過しても流出の一途を辿っている。いつ、事態が戦争へと転がり落ちるかわからないためだ。自分たちの住む星が、そのとき戦争に参加しないとは限らない。

 惑星(地上)まで戦闘が及ぶことはあまりなかったが、先の戦争で『フォーグル』は欠陥惑星にされるほどの被害が出た。そのことが星域の人々を震え上がらせたのだ。やろうと思えば、大気圏さえごっそりと奪う兵器がある。星そのものが一瞬で消滅する可能性もある。非戦闘員であっても、容赦なく抹殺される。

 異種族は人間を憎んでいる。容易く命を切り捨てる――

 事実無根の噂は、瞬く間に広がってパニックを引き起こした。そんなことはありえない、と報道されても亡命希望者は後を絶たなかった。人々は平和を求めて、辺境や戦争を放棄した星へ逃げているのだ。星間列車もその手段の一つだった。金を貯めて、やっとの思いで人々は列車に乗り込んでいる。

 貧富の差が激しい『フォーグル』では、あの廃棄寸前のポンコツでさえ重宝されているのだ。リンの家族も、豊かとは決して言えない暮らしを強いられているなら、エドの発言は思慮に欠けていた。

「ごめん。悪気はなかったんだ……。その、キミたちをけなしているつもりは、なくて」

 すぐさまエドは謝った。気にしてないよ、とリンは笑って許してくれた。しかし、エドは自己嫌悪が拭えない。

 仮初であれど、休戦宣言がされるまでずいぶん長い時間がかかった。あの星の傷は、どれほど深いものなのだろうか……。

 わずかにエドの表情が曇る。そんな場所からリンはやってきたのだ。

 工芸の街以降、沈みがちだったリンの気を晴らしたかったがため発言が、裏目裏目に出てしまっている。リンがホームシックにかかっていると気づいていたのに、どうすれば良いかわからない。先ほどだって――やっと屈託なく笑ってくれたのに、エドは水を差さねばならなかった。

 オーウェインは危険なのだ。

 リンが、危ないのだ。

 そうとも知らず、リンは街を見て歓声を上げ、妹の話を楽しそうにした。家族の話ができるのはうれしいだろう。妹と同じ種族だというなら、なおさらだ。だが、オーウェインは感傷に浸れるような甘い場所ではない。

「卑怯だったかな……あんな言いかた」

 膨れ面になったリンを思い出して、エドは苦笑した。無邪気なリンが悲しむのは、傷つくのは、嫌だったのだ。ちゃんと理由を説明することも考えていた。だが、それを教えるとリンの屈託のなさが消えてしまうような気がしたのだ。

 そして今、広いスペースの窓際にあるシートで、エドは調べ物をしていた。ヴィーグエングでの事件が気にかかったからである。

 エルザ・スコーピオともあろう女があっけなく捕まったことが、腑に落ちなかったのだ。奴はこの二十年近くを逃げ回ってきた。義賊だと自称する通り、彼女の狙う獲物はいつだって何らかの裏がある。その裏を暴き、世間に露呈させていたのだ。

 いただくのは名誉。

 そう言い残すエルザが盗んだものは、宝石や金などの類以上に価値のあるものだ。彼女がつかんだ完璧な証拠は、毎度人族の世界を揺るがした。正攻法では何年もかかってしまう、高級官僚や政治家などの権力者の汚職も、彼女は次々に暴いてしまった。とくに戦争を強行しようとする輩には容赦がない。戦争の裏側で暗躍している武器商人たちやそれに繋がるものたちを、徹底的に追及した。ゆえに、莫大な賞金がかけられたのだ。

 弱者の味方――確かにそう名乗れるのは明らかだ。そして、彼女が市民たちに慕われていることも。二十年近くを逃れてきたのは、協力者や賛同者の多さを物語っている。

 エルザは神出鬼没だが、種族の境界を越えて活動していなかった。あくまでターゲットは人族であり、こちら側には干渉してこなかったのだ。しかし、ここ三年弱の間、彼女は境界を侵している。あちら側での活動は、それを証明するようにぐっと減っていた。一体なぜ。

(怪盗フルムーンだなんてバカバカしい仮面をつけて、さ)

 気にかかるのは、エルザだけではなく、あのとき出会った警察のほうもだ。女装していたことはともかく、なぜ彼があの場所に現れたのだろう。エンジャーグルからこちら側は『僕たちの世界』なのに。

(宇宙警察のエリートさんって部分は本当だと思うけど……人族には人族の警備範囲があるはず。そこを超えてまで追いかけてきた理由はなに)

 アベルとエルザの二人は訳アリのようだったが。

(それに、エルザはなぜ、たった一人で行動してたんだろう)

 仲間が捕縛されたとはいえ、無茶な行動さえしなければ、工芸の街を脱出することは可能だったはずだ。動かなければならなかったと、いうのだろうか。

 なぜリンは狙われたのだろう。いや、狙われたのはリンの鞄だったか。なぜ、『こちら側』であんな行動をとる必要があったのだろう。たまたまエルザが、こちらに来ていたからだろうか。



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