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「呼んでる……あたしを? あなたはだれ? どうして、あたしを呼ぶの?」

 戸惑いながら、エドは感覚を研ぎ澄ませた。確かにこれは、歌だ。だれかの、歌声。

 それは小さくて、小さくて、耳を澄まさなければきっと聞こえない。聞こうとしなければ、気づかない。細い女の人の声だ。

 一体どこから、だれが歌っているのだろう。ともすればかき消されそうな旋律に、別の音がつと混ざる。え、と視線を移したディスプレイでは、シエラがたたんだ翼を広げようとしていた。小さなトリビトの身体に不釣合いな大きな翼が、存在を示す。

 シエラ、というエドの呼びかけは届いたはずだった。しかし彼女は、白い両手を胸にあてがったままだ。瞳は焦点を結んでいない。その唇から紡がれているのは、歌。エドが息を呑んだ。少女の声が、先ほどから聞こえる歌声に重なり合っていく。

 ネコ族のエドにはわからない言葉だった。トリビトの言葉なのか。メロディだけが鼓膜をふるわせる。それは徐々に大きくなり、波のように引いていき、うねって空へ上っていく。

(なんだろう)

 不思議と胸が痛くなってエドは瞬いた。その拍子に頬へぽた、と落ちたのは涙だ。

「え……?」

 どうして自分が涙を流しているのか、エドにはわからなかった。ただ切なくて、悲しい。歌とともにあふれ出す何かが、自分を満たしていく。やさしくてやるせない歌声を聴くうちに、わけがわからないまま、胸が張り裂けそうになる。涙が止まらない。

 唐突に、小さな部屋で怯えていたトリビトの少女が、ふらりと窓枠に手をかけた。ぎょっとしたエドがシエラ、と声を大にした。制止も聞こえないのか。シエラは操られるように宙へと身を投げ出す。

「シエラ!」

 モニタにかじりついても、彼女を引っ張りあげる手は届きやしない。愕然となったエドが通路へ向かったとき、耳に飛び込んできたのは……先ほどよりも大きな歌声だった。より強く繊細に、メロディは大きくなっていく。




「だけどアリア、この子は……」

 ヴォルフが連れてきた少年の妹。いつもヴォルフを助けてくれるマーサの妹。ネコ族の少年が会いたいと言っていた小さなトリビト。それがヴォルフの知るシエラだ。暴走していない白種がまだいたとしても、この子ひとりが何になるだろう。

(私がいなくてもここは、だいじょうぶ。この子がいる)

 アリアの幻が、ふんわりと笑む。

「だけど」

 この小さな女の子は、王ではない。ただの白種の子どもだ。こんな子がどうやってあの群れを止められるだろう?

 男の不安を抑えるように微笑んで、幻は消えた。立ち尽くすヴォルフの目に映るのは、透明な器の中で膝を抱えている少女のみ。こんこんと眠り続けるかつての女王――そして間断なく聞こえていた微細な機械音が、戻ってくる。今あったことはすべて夢だったのでは、なんて思わせるほど、静かな空間が染み入った。

 つとヴォルフが天井を見上げた。間髪いれず地響きが起こり、足元がわずかに揺れる。――これは、夢ではない。今もなお、地上ではトリビトたちが暴走をしているのだ。

 そして、彼女はまだ、ここから出てこない。

 落胆を隠せない男の耳に、ふと歌が触れた。パッと振り返った『ゆりかご』に眠る彼女の様子は、最前と何も変わらない。けれど、聞こえるこの『声』は確かにアリアのものだった。

 女王の歌だ。

 地下にわだかまる暗がりに自ら囚われた彼女の、小さな小さな声。それが、地下から街をおおっていくのがわかった。壊れ物を守るようにそっと包み込んでいく。

 しかし囚われたままのアリアでは、充分な力が発揮できていなかった。不完全な歌声は、きっとトリビトたちに届かない。どれぐらいのヒトビトがこの声に気づくだろう。まだ、あの鳴き声は空に響いている。

 そう思ったとき、新たな旋律が加わった。幼い少女の声だ。それが、アリアの声を補うように力強く、徐々に大きくなっていく。二つの歌声はやがてぴたりと重なり合い、威力を増した。知らず、ヴォルフは息を呑んでいた。

 ――女王の素質を持たない、ただの白種の少女だったはず。

 脳裏に浮かぶ小さな少女は、頼りなく兄の影にかくれている姿だった。これが、あの少女の力だと言うのか。

(ちがう。あの子の声がこんなに通るはずがない)

(アリア、きみがあの子の思いを広げてくれたのか)

 彼女の思いがヒトビトの間を抜けていく。だいじょうぶ、と微笑んで出てこなかったアリアの言葉が、やっと理解できた気がした。徐々にではあるが、トリビトの嘆きがおさまってきている。

 呆然としていた時間は短かった。ヴォルフはきびすを返し『ゆりかご』から一歩を踏み出す。管理者としてすべきことは他にもあった。トリビトの少年も救わなければならないし、黒種たちも気にかかる。今のところ犠牲者が出ていないのも、先ほどから引っかかっていた。まさか彼らが自主的に動いたとも思えない。

(避難を命じてはいるけど、どうしたら「避難する」ことができるのか、わかっただろうか)

 今更ながらにそう管理者は考えた。アリアに気を取られて、本来の仕事をすっかり忘れていたのだ。

「行かなくては」

 自分のいるべき場所は、こんな暗がりではない。オリジナルのヴォルフとは違い、自分は管理者なのだから。

 決意した背中に、甘い声が投げかけられた。

(大好き、ヴォルフ。あなたがあの頃のあなたじゃなくても)

 ――また、会えるよね。

 黒の街、その最深部の扉が再び閉ざされる直前、そんな思いが響く。ヴォルフが振り返ったときには、分厚い扉は音を立てて閉まっていた。男の手のひらに、爪が食い込んでいく。

「そうだね。また会おう。私の……アリア」

 そう呟いたヴォルフの顔は、切なげにゆがんでいた。

 地上へ戻る道すがら情報を集めていた彼は、ここでやっと奇妙なことに気がついた。黒種たちが支柱に集まってきているのだ。正確に言うならば、この地下への入り口付近に。避難するために、自主的に彼らが集まったのだろうか。そう考えてヴォルフは否定した。こんなところまで彼らが入り込むはずがない。

 だれが彼らをここまで導いたのか。

 その疑問はすぐに解けた。走り出したヴォルフの足が止まったのは、件の入り口付近へたどり着いたときだ。百を超える黒種たちがそこにうずくまっている。だが彼らは不安そうな表情を浮かべてはいなかった。どこか恍惚とした……夢を見ているような目をしている。

 異常を訝る管理者の目に映ったのは、黒種たちに傅かれた少年の姿だった。真っ青な顔で闇を見つめている人族の。

「リンくん!?」

 黒種をかき分けてヴォルフが呼びかけても、少年は応じない。魂を抜かれたように、虚ろに立っている。やっとの思いで小さな肩をつかんだヴォルフは、異常なのは黒種ではなく少年のほうなのだと知った。リンは、ヴォルフに揺さぶられるままになっているのだ。小さな身体は、手を引かれれば簡単に倒れ込んだ。息を詰めたヴォルフが、わずかに顔をゆがめる。察しがついてしまった。この子がこの場所にいるならば――

「……見たんだね」

 管理者は、少年を抱きしめた。されるがままになっていた少年の腕が、ヴォルフの腰あたりをつかむ。まるで、助けを求めるように弱々しく。

「見てしまったんだね……」

 リンの背中が大きく揺れた。そう、少年は見たのだ。この地下に埋められた闇を。ここに、何が隠されていたのかを、知ってしまったのだ。

「突然……白の街が崩れてきて、どうしたらいいか、わかんなくて」

 うん、と男はぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。

「みんな、鳴くばかりで、動いてくれなくて、だからぼく、みんなをここに連れてきたらいいって……思って。そうしたら、支柱のほうにたくさん落ちてきて、逃げようとしたら、指輪が……ここの入口を……」

 少年の腕に引っかかった鞄を見て、ヴォルフは小さな頭をなでた。この子は、自分の記憶をばら撒いて黒種たちを動かしたのだろう。荷物の一つ一つにこめられた思いを開放して、支柱まで懸命に集めてくれたのだろう。少年こそ恐ろしい思いをした一人なのに、できることを必死になって探してくれたのだ。そして、ここまで迷い込んでしまった。

 旅人二人の安否を知るために渡した指輪が、こう作用するとは思いもしなかった。地下への入口は、ヴォルフ以外には閉ざされたままのはずだ。瓦礫が落ちてきたことによって、誤作動を起こしたのか。

(血は争えない、か)

(できれば、知らないでいて欲しかった)

 エドの行方も念のために検索し、ため息を零したくなった。こちらもリンに負けず劣らず、ヴォルフの予想を上回ってくれる。危険は冒さないと約束したのに、あの指輪を利用してシステムに侵入していた。ロックを外し、天井都市へと向かっているらしい。

 ヴォルフは、少年二人にリングを渡したことを、後悔していた。列車が行ってしまい、二人はすぐに旅立てなくなった。街に滞在することは、支柱にいることだ。白の街も黒の街も、彼らには居心地が悪いから。だが、支柱内部では常にセキュリティが付いて回る。二人の自由を確保するためには、構わないか、と思ったのだ。

(もっと、注意を払っているべきだったか)

 だが、ネコ族の少年と違って、リンがここへやってきてしまったのは、事故だ。避難しようとしただけだった。何より傷ついたのは、この子自身だ。そっと、ヴォルフは少年の頭を撫でるように押さえた。

「きみが、みんなをここまで連れてきてくれたんだね。マーサたちを守ってくれた」

「守ってなんか、ないです……。ぼくは、ここへ来ちゃいけなかったんだ」

 がくん、と少年の身体が折れ曲がった。立っていられなくなったのだ。ずるずるとしゃがみ込む少年が、小さな声で「エイダ」とつぶやいたのが聞こえた。震える身体と呼吸ができなくなるほどの激しい息遣いに、ヴォルフが「ゆっくり息をするんだ」と厳しく言う。痙攣をおこしかけていた少年は、ぐっとこらえるように自身を抱きしめた。その小さな背中をさすってやって、ヴォルフは背後の闇へ視線を向ける。

(無理もない)

 こんな小さな子どもが知るには、闇は深すぎる。まるで「この先へ進むな」という警告のようだ。これが試練だとしたら、厳しすぎる。

 少年の呼吸が落ち着きだした頃、ヴォルフは言った。

「歌が、きこえるかい」

 うた、と繰り返す少年へ、彼はうなずきかけた。耳を澄ませてごらん、と言うと少年は声を探すように目線をさまよわせた。

「争わないで、怒らないでって歌っているんだよ」

 腕の中にいる少年は、力なくうつむいている。

「これを歌っているのはシエラだ。会ったことがあるだろう?」

 こくん、とわずかに頭が動いた。

「もう、白種たちもきみを怒っていないよ。もう、だいじょうぶ。――戻ろう。こんな場所にいつまでもいちゃいけない」

 薄暗いけれど闇よりは明るい光が、その場所を包み込んでいた。地上への扉が開けられたのだ。




 エドが我武者羅になって白の街へ飛び出したとき、彼らは一様にしゃがんでいた。まるで黒種のように、だれもが膝をついていたのだ。涙を溢れさせる者も中にはいた。黒種たちと違うのは、そこに感情があることか。身構えたエドに気づいても、一瞥するだけだった。その態度が不気味で、「だいじょうぶですか」と思わず声をかけてしまうほどだ。

「ええ」

 焦点を結ばない目で、トリビトは反射のようにこたえ、やがて血まみれの両手で顔をおおった。ケガで真っ赤になっていた。人形のように整った顔を押さえたそのヒトは、震える声で、

「いや、わからない。わからないのです。ただ悲しくて、たまらない……どうして……」

 激情に身をゆだねていた彼らは、記憶があやふやになっていた。一種の狂乱状態だったため、あまり覚えていないと口をそろえた。もしかしたらあの歌声が、狂気と一緒に記憶も奪ったのかもしれない。

 暴れている者はいなかった。街を見渡して、自らがしでかした事態に呆然となっていた。肩を落とす彼らが痛々しい。まるで、心が抜け落ちたような有様だ。ぺたん、と座り込んでいたトリビトたちの間を、エドはぬって走った。どこもかしこもけが人と瓦礫だらけだ。けがの程度は軽傷である者が多かったが、中には運悪く瓦礫に巻き込まれた者もいる。

 我をなくして暴れたトリビトたちは、指を潰したり、手足を骨折している者が多かった。自身を省みることなく、暴走した結果だ。これがもし戦争だったとしても、彼らは躊躇わなかったに違いない。もしかしたら命さえ、簡単に投げ捨てたかも。

 そう考えると、ゾッとなって、エドは走っていた。

『トリビトは平和を好む性質だが――この星が悪化の一途をたどったのは、彼らの暴走も原因の一つだ』

 そう言った管理者を思い出す。くそ、と口から悪態が漏れる。白の街は、三割ほどが削り取られ一割ほどが倒壊の危険があった。もともと老朽化の進んでいた街なのだ。ひびが入れば、あとは早く、少しの力でたちまち落ちていく。

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