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「賢い子だね。参ってしまうよ」

「……やめてください。本当に賢かったら、今頃列車の中にいます」

 ふっと、全身に絡まっていたプレッシャーが解け、エドは息を吐き出した。知らず、呼吸を止めていたのだ。ぴりりとした緊張と、危険が去っていく。エドは、正解を言うことができたのか。

 かつん、こつん、と足音が響き、ヴォルフが隣に並んだ。エドは前を見たまま、微笑する。ぬくもりのこもらない笑みだった。

「子ども扱いされるのは嫌いです。だけど僕は大人じゃないから、知らないことが多過ぎて利用される。上手い言葉も出てこないし、誰も守れない」

「しかし、知らないままでいる選択もできるんだね。きみを子どもだなんて思えないよ」

 くす、とヴォルフが笑いをこぼした。

 知らないよりは知って選択したい。自分の道を選びたい。だが、時に知らないことの方が正しいこともある。

「そう言いながら子ども扱いするくせに。やっぱり人族って嫌いです」

「人族は、私の目からしても哀れで愚かだった。でもそれは君たちも変わらないよ」

「それはどういう――」

 嫌いな人族と一緒くたにされて問い返す前に、一つの扉が見えた。ヴォルフがその横に備え付けられたパネルに触れる。スライドした扉の先には見慣れた機械が置いてあった。見慣れた、といってもエドの知るそれとは、ずいぶん型が違っているが。壁一面には、真っ黒なモニターが並んでいた。

(旧型?)

 そういえば、ここへ下りる前にラッカから借りた通信機デンワも、予想外に大きくて使い方がわからなかったものだ。あれと似ている。ぽん、と機器をヴォルフが触った。

「さあ、ここだ。でも音声のみだよ」

「案外不便なんですね。あなたは管理者なのに」

「会話のために設置されたものではないからね。私が下手に接触を試みたらどうなるか、知っているだろう?」

 エドは肩をすくめた。

「たかが管理者が街を支配しないようプログラムされているんだ。ここを統べているのは女王さまお一人だけだから。――使い方はわかるかな」

 たぶん、とエドが返事をすると、ヴォルフが機器を立ち上げた。起動スイッチもなにも押さず、なにも触れず、コンピュータが動き出す。そんな芸当ができるのは、ヴォルフがここの管理者だからだ。先ほどの緊張を思い返し、エドはゾッとする。

「それじゃあ僕は、ラッカのところへ戻るよ。まだ気にかかることがあるから」

 はい、とエドはその背中を見送って、安堵の息を吐いた。冷たいな、と思った。エド自身が、この街が、この部屋が、ヴォルフが、トリビトが、冷たいな、と。あたたかいものも確かに存在するのに、そんなものは覆い隠されてしまっているようだ。リンのやさしさでさえ、かすんでしまう。

 向き直った通信機に触れれば、映像がすぐさま現れて驚いた。それは、かわいらしい部屋だった。ぬいぐるみがあって、全体的に丸いデザインの、ピンクと白を基調とした部屋だ。前方には、ふわふわのベッドにうつぶせた眠り姫がいる。エドも一度入ったシエラの部屋だ。まさか、ダイレクトにここが映し出されると予想していなかった。ヴォルフが設定していったのだろうと想像はついたが。

(トリビトたちって、ここまで監視されてたんだ)

 本人たちにそうと気づかれず、こんな私的なところまで。そういえば管理者は言っていたではないか。部屋にいる、と。その意味を考えもしなかった自分に、エドは憤った。

(トリビトのデータ取得が目的でも、やりすぎじゃないのか)

 しかもここは、女の子の部屋だ!

 嫌な気分だった。だけど現実ではトリビトが暴走をしていて、エドはこのシステムを活用するわけだ。必要な処置なのか。しかしこれを使ってコンタクトを取れば、彼らに監視という事実を教える羽目になる。

(あのヒトは、自分に課されたものを破ろうとしている?)

 気になったが、エドはこの事実を脇へやった。改めてモニターに映ったシエラが暴動に加わっていないとわかって、ホッとした。ラッカが与えた薬のお陰なのか。

 お兄ちゃん……。

 そう言って涙の筋を作っていた小さな少女。無事を祈るラッカ横顔が、頭をよぎる。

 そのとき、何かが叩きつけられた激しい音がした。カメラが物騒な音を拾っている。がんがん、と何かをぶつけている音だ。そんな現状を知らず、こんこんと小さなトリビトは眠っていた。躊躇ってはいられない。

「シエラ、聞こえる? シエラ」

 ラッカは攻撃された。

 同じトリビトなのに、リンを探すエドと一緒にいただけで。危険だからと言った管理者を思い出した。そうだ。トリビトだからといって安全ではない。よぎった不安を煽るように、騒音は近づいている。

「シエラ、シエラ! 聞こえる? 起きるんだ、目を覚まして、シエラ!」

 臍をかみながら、エドは根気強く呼びかけた。声が大きくなりすぎないよう注意を払って。やがて、少女が小さく身をよじる。「だれ……? お兄ちゃ……?」と目をこすった少女に、エドが安心したときだった。

 轟音がした。今朝聞いたようなレベルではない、もっと大きな音だ。ぶれる映像だけでなく、実際にエドの耳にも届いたほどの巨大な音だった。





 黒種たちは三メートルほど距離を開けてリンの周りに集まってきていた。かばんを囲んでいたときより、心なしか数が増えている。リンはリュックを抱きしめて一歩後退した。彼らは無言だった。赤い瞳は、白種たちと違って感情が出てこない。彼らはリンに危害を加えたりしない。ヴォルフにそう聞いていたのに、リンの身体は自然と逃げるためにきびすを返す。だが、後ろを振り返ってぎくりとした。そこにも黒種たちが現れていたのだ。

「ひ……っ」

 白の街のできごとが脳裏をかすった。逃がすな! と包囲されたあれを。焦って周囲を見渡せば、そこかしこにトリビトの姿があった。鉄くずの間から、リンにはわからない機器の陰から、黒い霧の中から、彼らはゆっくりと現れる。心臓が高鳴った。パニックと恐怖が再びリンを襲う。

 だが、黒種たちは一定間隔をあけて近づくと、そこでひざを付いた。魂が抜けたようにぺたん、としゃがむのだ。リンにこれ以上近づいてはならない、とでも言うように。一人がそうすると、次から次へと彼らはひざを曲げていく。瞼を閉じて、うなだれていく。

(ああ、ぼくの記憶に)

(きっと……あのヒトたちはぼくの記憶に寄せられた)

 だから、かばんに惹かれて集まっていたのだろう。今はリンの高ぶった思いを求めて、リンの記憶にすがろうしている。集まったヒトたちの表情が穏やかで温かくて、リンの胸はずきりと痛んだ。ヴォルフの言葉が蘇る。ほんとうだ。彼らは――なんて悲しいんだろう。

 これはリンの思いであって、彼らのものではない。リュックにこもった欠片もリンと家族たちのもので、彼らと何も関係がない。それなのに、どうしてこんなにも、幸せそうな顔をしているのだろう。

 胸が痛くて、切なかった。

 リンには、どうしようもできないのだから。

 リンの隣に、いつの間にかマーサさんが立っていた。彼女はリンの手を取って頬に当てた。このヒトも、寂しいのだろうか。身体を動かせない。家族の記憶が次々に脳裏を走り去る。

 ほらリン、あったかいでしょう?

 そう言ってリンの首にマフラーを巻いてくれたのは、姉のテレサだった。真っ赤で長いマフラーは、ローラおばあちゃんの手編みだ。テレサは白いマフラーと帽子をかぶっている。ニット帽には花のコサージュがついていた。女の子らしいテレサに、よく似合っている。

 手袋もあるんだぞ。これで、冬も寒くないって。よかったな、リン。

 そう言ったのは、兄のニコラだ。かがんで、リンの手にマフラーと同じ赤い手袋をはめてくれた。ニコラもマフラーをしていた。白と紺のストライプだ。それに、紺のベストを着ている。何やら大人みたいで、かっこいい。

 雪、早く降らないかな?

 そう言って顔を覗かせたのは、もこもこの薄いピンクのセーターを着た妹のエイダだ。フードがついているおばあちゃんの力作だ。小さな白い翼が背中から出ていた。エイダは頬を赤く染めて、ニコニコと嬉しそうにしていた。

 そうだな、今年は去年よりでっけぇ雪だるま作ろうぜ。二階から飛び乗れるぐらいの奴。

 ニコラがエイダを抱き上げた。テレサは「どうやって作るのよ」と声を上げて笑う。

 ――ああ。

 これは、去年の記憶だ。去年の秋に、ローラおばあちゃんが家族全員へニットを編んでくれたのだ。この、リュックの破れ目からこぼれた赤いマフラーがそれだ。涙がこぼれそうになって、リンは目をこすった。きりきりと、胸がいたくて、苦しい。呼吸がつまる。

 みんなに、会いたくて、たまらなくなる。

 あのあたたかな輪の中に、いたはずなのに。

 ぐい、と手を引かれた。「行きましょう」とマーサが眼差しを向けてくる。その微笑は温かいけれど、どこか寂しかった。こくん、とあごを引くと、リンは故郷を思い出さないよう、別のことを考える。

 そうだ、ここはぼくの居場所なんかじゃない。

 黒種たちにいくら同情しても、リンは足を止めていられない。

 だが、異様な音がとどろいた。重たく大きな何かが崩れたような音だ。最初は、今朝と同じく、トリビトが支柱へ攻撃しているのかと思ったがそうではない。そんな、やわな音ではない。

 リンが四方に目を走らせたところで、おかしなところはなかった。だが、先ほどまで座っていたトリビトたちはおどおどと立ち上がる。そこへ、ぴいぃぃぃ、という甲高い音が響いた。呼応するように別所からも聞こえてくる。黒種たちが、鳴いているのだ。

 ぎゅ、とマーサにしがみついたリンは、空から細かな何かが降ってきているのに気づいた。これは、雨?

 どくん、とリンの胸が高鳴った。どくん、どくん、と心臓が鳴る。オーウェインは世界を切り取ったような、巨大なドーム都市である。雨など降るはずがない。ならばこれは……

 黒種たちの鳴き声は、いまや周囲から聞こえてきた。その中であの低い轟音が、大きく混ざりこむ。リンは、油の切れた人形のように、ゆっくりと首をそらした。目をギリギリまで見開いて、ぎゅっとマーサの手を握り締めて。

「そんな、うそだ」

 わが目を疑いたかった。支柱近くにある建物が、揺れていた。支柱の方向に折れ曲がっていく。ありえなかった。何かが、建物を押しているのだ。建物のきしむ音が、轟音の正体だった。ぱらぱらと降ってくるのは、その欠片だ。トリビトたちが、建物を使って支柱を攻撃しようとしている!

 あれが落ちたら、どうなるのだろう。

 周囲を見渡せば、鳴き声をあげる黒種たちしかいない。マーサでさえ、呆然と白の街を見上げるばかりだった。何かの欠落した種族、という言葉にリンは再びゾッとした。どうして、このヒトたちは動かない。悲鳴をあげるばかりで、逃げようともしない。危険だとわかっているだろうに!

「ここにいちゃ、ダメなのに」

 思わず口をついて出た台詞だが、黒種たちに伝わるはずもない。リンはマーサの手を引いた。

「お願い、ねぇ、マーサさん! みんなに逃げてって、言って! ここにいたらぺしゃんこになっちゃう。ねぇ、マーサさん、お願い! 逃げてって言って!」

 リンの声がこだまするその場所に向かって、天井都市が崩壊しようとしていた。





「始まってしまったようだね」

 暗がりを歩くヴォルフは、逐一送られてくる情報を頭の中で処理しながらぽつりと零していた。足音だけが響く通路を、灯りもささずに進んでいく。踏み出すたび、積もった埃がふわりと舞った。何年――何十年とだれも入った形跡のないここの空気は、重くヴォルフに絡みつく。

 薄汚れたプレートを掲げた扉は、今かいまかと来訪者を待っていたが、彼はそれらに見向きもしなかった。足元に灯った淡いグリーンの光を頼りに、奥へ、おくへ。暗がりだけを睨んでいた。

 ネコ族の少年と別れた彼は、黒の街を越え、さらに地下へきていた。足取りは重く、表情もかたい。淀んだ空気に染められて、徐々に険しいものへ変わっていく。

 やがてたどり着いたのは、通路の幅もある大きくて重たい扉だった。ここで行き止まりなのだ。確認するためにこすったプレートは『ゆりかご』と記してあった。扉のパネルを操作しようと指を伸ばし……ヴォルフは拳で扉を叩いた。ダン、と音が響く。傷一つつけられるはずもなく、扉は微動だにしない。

 ここは、封じなければならない場所だ。しかし、決してなくしてはいけない。その日がこなければ、時と共に朽ちていくだけ、ネコ族の少年が言い当てた禁忌の扉。

 何かに耐えるようにして、ヴォルフは解除コードを口にする。指紋や網膜、脳波、音声……厳重なチェックの末に、扉がゆっくりとスライドしていく。オーウェイン深部にある、もっとも重要なその場所は、幻想的な青い光に満ちていた。

(ああ、久しぶり、アリア)



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