表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/27

17

「ぼくが、降りてしまったから」

 顔面を蒼白にしたリンがポツリとつぶやいたのは、エドの独白が終わってからだった。なぜトリビトであるラッカがこんなところで眠っているのか、気が付いてしまったのだ。エドが慌ててリンの手をつかむ。

「ちがう。キミはトリビトに会いたかった、それだけだ。何も悪いことはしていない。ここのヒトビトが異常なんだ」

「だってエド、このヒトが戻れないのはぼくのせいだよ! エドに、エドにケガまでさせて……っ。どうしたらいいの? 白の街へ行ってラッカを助けてって言えば何とかなるの?」

「今、キミが行っても無駄だよ! 煽るだけだってわからない?」

 エドがぴしゃりとリンを叱りつける。

「トリビトは百年も昔に取り残されているんだ。目の前でラッカがパニックを起こしたのを僕は見た。白の街で人々の狂ったようすだってこの目で見た。あれはもう異常だとしか言いようがないよ。キミも見たんだろう」

 子ども一人に蜘蛛の子を散らしたように消えたトリビト。その後、ざわりざわりと広がった波紋。膨れ上がった殺気と憎悪。何も知らない少年へ向けるには、あまりに過激な黒い感情。

「この街の歪みがキミにぶつけられるのは、おかしいんだ。人族だからなんて理由にならないね。どうしてあんな過激になれるの。だってキミはトリビトに会いたかった、手紙を出したかった、それだけだ。何の罪があるの。人族そのものの罪だって? そんなの、キミたちは充分支払ったじゃないか!」

 トリビトたちなら暴走しても罪にならないのか、とエドがしっぽを逆立てた。

「こんなことは馬鹿げている。そうだろ?」

「だけど、だけどね、エド。じゃあこのヒトは、ラッカは、どうしたら助かるの?」

 リンはあのシエラを見たのだ。エイダ(いもうと)とよく似た女の子を。あの子がどんな思いでリンをなじったのか知って、ショックを隠せない。

人間ぼくらがそんなことをしたなんて……知らなかったから」

 弱々しい小さな声でつぶやいて、リンが背中を丸めて立っている。

(こうなると、わかっていたから)

 やさしいリンが、傷つくとわかっていたから。きちんと説明しなかったことをエドは悔やんだ。是が非でも、嫌われても止めるべきだったのだ。気軽に行動した結果として突きつけるには、あまりに、重い。いずれ知らなければならなかったことだとしても。

(でも、今じゃなくてよかったはずなのに)

 子どもたちの言い合いに水を差したのは、沈黙していたヴォルフだった。

「……最下層なら」

 ためらう口調は躊躇い交じりに発せられた。彼はリンとよく似た青い瞳を、子どもたちへ向ける。

「ラッカは、なんとかなるかもしれない。この街には最盛期の技術が眠っているからね」

「じゃあ、ぼくらもそこへ」

 リンが目を輝かせた。

「二人の立ち入りは認めない」

「何か、見られちゃまずいものでも?」

「後悔したくないなら、見ないほうがいいと言っているんだよ」

 ちらりと意識を失っているラッカを管理者が見た。当然、ラッカにも見せるつもりはないのだろう。知って欲しくない、と彼は言っているのだ。エドがリンに対して行ったような警告と同じ意味で。

 最下層には、人族がトリビトに対して行った倫理にもとる何かがあるのか。自分の中のなにかを崩壊させるものなのか。想像したくもなかった。その不安が伝染したのか、怯えた眼差しのリンが、ヴォルフにかみつくエドの腕をぎゅっとつかむ。少年たちの怯えに気づいたヴォルフが、ごめんね、と苦笑した。

「本当はね、その子を助けられないままでもあそこへの道は閉ざしたいんだ。トリビト一人の価値より、あの場所のほうがずっと重要だから。でも、管理者として助けられるトリビトは助けたいと思う。これ以上黒種を増やしたくはないんだ」

 黒種かれらは、悲しいから。

 そう言ったヴォルフの表情は、どこか切ない。

「隣に部屋を用意したから、二人で使って欲しい。お腹もすいてないかな」

 リンがきょとんとする。エドが懐中時計をぱくんと開いた。

「もう十九時を過ぎてたんだ」

 そういえば、ずっとしゃべっていたせいで、のどがカラカラだった。まだ外はほんのりと明るいけども。

「そうだよ。標準時刻ならば夜だ。トリビトたちも活動を停止し始めている」

「ラッカのことは? 僕らに手伝えることがあるなら言ってください」

「二人の手を借りなくても大丈夫。ほら、クタクタじゃないのかな」

 指摘されるまでもなかった。十九時であると自覚したとたん、腹が減った。エドは昼から何も口にしていない。頭や手足の痛みも戻ってくる。特に切り裂かれた足が、痛い。そうだ、怪我をしていたのだ。応急処置を済ませていたが、まだ手当てを完了したとは言い切れない。ずきん、ずきん、ずきん、と興奮によって遠のいていた痛みが蘇ってくる。

「明日になればしてもらうことも増えるだろう。だから今はちゃんと休息をとるんだ。いいね? 二人の着替えも用意しておく」

 しぶしぶエドが了承する。リンが隣でほっと息をついた。なんだよ、僕が反発するとでも思ったの。ちょっとしたことに、苛立つ自分が嫌だ。

 にこりと微笑んで出て行こうとしたヴォルフに、エドはやりきれない視線を突き刺した。

「僕らは、秘密を探りたいわけじゃない。過去に振り回されたくないだけなんだ」

「それでも、過去は追いかけてくるよ。無関係ではいられない。……だれも」

 閉ざされた扉に、管理者の姿が消える。くそ、と吐き捨てたエドは、振り返って保護カプセルを覗くと、思いをこらえるように拳をふるわせた。リンがここに来ただけで掘り起こされた過去がある。この先も、同じ事態の起こる可能性が十分予測できた。所在無くたたずむリンの存在が、過去を蘇らせるのだ。

 それもエドの癇に障る。リンが小さくなる必要などないのに。こんなつもりなど、なかったのに。

「隣の部屋へ行こう。あのヒトが言ったように、僕らは休まなきゃ」

 親指をエドは噛んだ。自分の無力さが腹立たしかった。





 一人になったヴォルフが呟いたのは、二人のいる部屋からずいぶん離れてからだった。

「夜が明けると、彼らの怒りがおさまってくれればいいが……」

 ヴォルフが見据えるのは、天井都市だ。茜色の日差しは血の色を連想させる。じきに本格的な夜が訪れるのだ。抗うように無数の白種たちが飛び交っていた。いつもの穏やかな雰囲気はなく、荒々しい感情が渦巻いている。耳を澄ませば、あの鳴き声が聞こえてきそうだ。ぴぃぃぃぃ、ともきぃぃぃぃとも聞こえる、あの声が。

「止められるだろうか。あの時と、同じように」

 こんなことなら、外見だけでも他種族のものであったらよかった。自分はオリジナルのコピーでしかない。中身(記憶)さえ継承できたなら、容れモノなどどうでも良いのではないか――。ヴォルフはそこまで考えて苦々しくため息をこぼす。無意味なのだとわかっていた。人間は星の数ほどいる。これはトリビトが克服しなければならない問題だ。

 それに、姿かたちを変えることは、逃げることと同じだった。罰を背負うなら、このままの姿でなければ意味がない。ヴォルフガングという人間でなければならないのだ。

「……こうなることを見越して、あの子を呼んだのだかな」

 小さな人族の少年。きっとあの子が鍵として選ばれたのだろう。不思議とヴォルフには察しがついた。面影が記憶と重なったのだ。ならば今の事件も、偶然ではないのかもしれない。こうなる可能性を見越していたように感じる。

(僕に動けと)

(彼女を目覚めさせろ、と?)

 きっかけは、ささいなことなのだ。小さなひずみ一つで、たわめられたストレスは爆発する。トリビトは『温厚になるよう』作られた種だ。だけどああなってしまったら、同族でさえ見殺しにする。人間が、あそこまで彼らを追い詰めた。そんな風に彼らを『作り変えた』。

 ネコ族の少年は正しい。人間は傲慢で、愚かで、どうしようもない。

 だがそれは、人間だけに限った話ではない――

 ヴォルフは背後に立った黒いトリビトに気づき、息を呑んだ。立ち止まると彼女はやってくる。長い黒髪が艶やかにゆれた。マーサだ。

「こんなところまで付いてきてしまったのか。ダメだよ、すぐに戻らなければ」

 黒種たちに、ここの空気は毒だ。キレイ過ぎるのだ。彼女を促すヴォルフだったが、細い指先が伸びてきて動けなくなった。頬に暖かな感触がする。マーサが微笑んだまま少し首を傾けた。

 どうかしたの。

 音声にならない問いかけが、聞こえてくるようだ。

 どうかしたの。

 ヴォルフの僅かな動揺を読み取って、問いかけてくれる。心配というと、違うかもしれない。彼らに深い意味はないのかもしれない。管理者の心の揺らぎに関心があるだけなのかも。

「なんでもないよ、マーサ。なんでも……」

 本当の弟に出会っても彼女はもうわからない。繋がりは感じても、肉親だと理解できないのかもしれない。リンをいち早く見つけてヴォルフに知らせてくれたのは、無意識に弟の面影を探していたのだろうか。

 細い指を自分からはがし、ヴォルフは彼女の思いを拒むように視線をそらした。やさしくて悲しい黒種たちと管理者は、決して同じものにはなれない。

「きみも、上へ戻りたいだろうね……。黒種にしてしまって、守ってあげられなくて、ごめんね……」





「ラッカの妹と会えないかな」

 エドがそんなことを言い出したのは、シャワーを浴びて着替えてからだった。管理者は子供服を探し出してくれたようで、白いシャツとズボンを身に着けていた。白種たちとお揃いである。

 エドがリンと同じシンプルな格好をしているのは、不思議だった。リンの知る限り、エドはパジャマだってフリルのついた服なのだ。そうしていると、ぼくとあまり違わないんだ、なんてリンは改めて思った。

 二人とも、同じ子どもだ。無力な子ども。

 リンとエドは、シンプルなベッドの上にいた。刺繍の入ったひらひらしたシーツでもなく、羽毛の布団でもないベッドだ。シングルで、二つ並んであった。エドは不満そうにため息をこぼしたものだ。

 管理者の用意してくれた部屋は広く、少し離れたところに食事のできるテーブルと椅子もある。だが、窓は縦長はめ殺しのものが四つ並んでいるだけだった。リンの手のひらほどの大きさしかない。もしかしたら、トリビトたちを警戒しているのかもしれなかった。

 食事も終えて(エドは予想通り大量に食べた。ずいぶんお腹がすいていたらしい)、さあ寝るぞ、という頃合だった。

「妹って……あの子?」

「そう、キミを黒の街へ落とした子」

 エドは身づくろいをしている。ネコ族の習性なのか、尻尾の毛を念入りにブラッシングしているのだ。耳や髪の手入れも怠らない。それゆえか、リンが濡れたままの髪で横になるとぷんぷん怒った。「傷むでしょ、ちゃんと乾かして梳かしなよ」と叱られる。その影響か、鳥の巣状態だったリンの頭は、日ごとまともになっていく。

「あの子を説得できたらなって。きっと悪い子じゃないと思う。キミを傷つけて泣いてしまうような子なんだ。ラッカが薬で眠らせているから……今も眠ってるかもしれないけど。あの子を説得できれば、他のトリビトたちも話を聞いてくれると思うんだ」

「でも、白の街に出たらトリビトがいるよ。エドが出て行っても、きっと……」

「だから何とかして話ができないかなって。あのね、僕はここに下りてくる前に、本国へ連絡取っちゃったんだ。ラッカに無理言って通信機でんわ貸してもらって」

 エドの持つ『カードブック』は、星をまたいで通信できない。普段は列車の回線を利用していたのだ。あっけらかんと、エドはそんな告白をする。

「近日中に迎えの船が着く手はずになってる。だから、その前に騒ぎをおさめる必要があるわけ」

 リンがどうして、と尋ねる前にエドは回答を続けた。

「列車のあるなしに関わらず、僕らは白の街に上がらないとここから出られない。――そうでしょう? いつまでもこの街にいられない。……ラッカのことは気にかかるけど、行かなきゃならないから」

 緑に金の混じった目が、輝きを増した。少し前まで沈んでいたエドが嘘のようである。リンは手回しのよさに言葉なかった。エドは、子どもであることを言訳に使わない。大人が解決してくれるのを待てばいいのに、待ってられない、と動こうとする。自分で考えて、自分の足で、エドは歩こうとする。他人の導きなど必要がないとでも言うように。

 そんな風に考えられるエドが、まぶしかった。一人だと認識したとたん、ひざを抱えるしかできなかったリンとは大違いだ。身がすくんで、動けなかった。アニエスと連絡を取ることさえ躊躇って、蹲った。ヴォルフの庇護に安堵して、助けられるままだったリンとは。

 工芸のヴィーグエングでもそうだった。エドは、立ちつくしたリンの背中を押してくれた。エドを見ていたら元気が出てきた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ