16
罪人、という言葉が重たく響いた。それを静かに受け入れている男が少年二人へ向ける眼差しは、やさしい。
「教えて下さい。あなた以外に、トリビトを管理する人族がいるの」
「いいや、私一人だ。ほかに人族や研究者を入れるのはやめるよう、進言もしたのも私だ。他種族に介入されることを、彼らは極度に恐れているからね。そして私には、ここを離れられない理由がある。それを女王さまはご理解くださっている」
エドは、生唾を飲んだ。外と切り離された世界でたった一人暮らさねばならないなら、それは『罰』と呼べるのではないか。己を憎む異種族の世話をし続けるための生しか、残っていないならば。
(それなのに、どうしてこのヒトは穏やかなんだろう)
やさしい眼差しは愛情さえうかがえた。だけどトリビトは、あなたを許さないだろうに。
生まれてから死ぬまで、一生をトリビトにささげたって。
「あなたはトリビトを好きだと言いました。それは、どうしてですか」
しばし足音だけが静寂を揺らした後、管理者はしずかに口を開いた。
「天使という存在知っているかい」
人族の持つ妄想の産物だと、エドは渋面になった。人族の信仰するメジャーな宗教に登場する、翼を持った神の御使いである。エドの表情で答えを知った男は、少しだけ苦笑した。
「人間は愚かでね、夢を見るんだよ。その夢の実現に向かって走って、走って、走って……こんなところまで来てしまった。そのために犠牲になったたくさんのものを一切見ずに、ただ夢中になって追い求めるんだ」
救いを求めるように「今よりもっと」を目指してきた。現状に満足できない貪欲さと好奇心は、可能性に気づいたら止まれない。
「そして、ふと後ろを振り返れば……そこにあるのは自分の見えていた光と同じだけ濃い闇だ。幾度となく後悔してきたのに、人は光が見えればまた走ってしまう」
その結果が戦争であり、人族の貧困だ。肥大し続けた彼らは、滅びの道を歩んでいたと気づかなかったのか。
「私たちはね、トリビトを見て『天使』だと思ってしまったんだ。ここが『楽園』だと」
今では鳥かごでしかない。トリビトは羽ばたくための翼も動かせず、生殺し状態にされている。
「彼らがこうなってしまったのは、その夢のせいだから。私は彼らを守りたいと思う。ただ安穏と暮らしてもらいたいんだ」
それが、償いなのか。
ネコ族の少年はまぶたをゆっくり伏せた。エドのような子どもにもきっちり説明をしてくれる彼に好感を持つと同時に……そんな説明を聞いてしまったラッカのようすが気になった。ラッカは依然、ぶつぶつ繰言を発している。
「あんなの、うそだ。信じない……俺は信じない……姉さん……。うそだ……」
ラッカ、と呼びかけてもエドの声なんか聞こえていない。その悲痛さに胸が詰まる。少し無言で歩を進めてから、管理者はエドを振り返った。
「それで、エドくんもさっきの列車でやってきたのかな。ここへ降りた原因は、リンと名乗った少年かい?」
意外な情報に、エドは息を飲んだ。
「あいつを知っているんですか!?」
手短にエドが状況を説明し終えると、エレベーターが目前に迫っていた。
「よかった。あの子はこのマーサが見つけてきてくれたんだ。今は私の部屋にいる。映像できみを見たとき、そうじゃないかと思ったんだ」
「あいつは無事なんですか。ケガなんてしていませんか」
「無事だよ。すり傷と打撲がいくつかある程度だから安心していい。……強い子だね。喚くこともせず、次にどうしたらいいのか懸命に考えていたよ。甘えられない、と必死で立ち上がろうとしていた」
そうですか、とエドは腰砕けになりそうな身体を持ち直した。ラッカの言ったとおり、あの網がリンを助けてくれたのだ。よかった、よかった、と思ううちに視界が揺らめいて、エドは慌ててぐっと気持ちを強くする。それなら、早く迎えに行かないと。
「さあ、この子を天井都市へ連れて行こう」
しかし、ヴォルフはエレベーターに乗ろうとするエドを、突如呼び止めた。危険かもしれない、と忠告するのだ。ヴォルフは眉間に皺を寄せ、
「トリビトたちのようすが、おかしい……。街が静かなのにざわついている。どういうことだろう、こんな状態は初めてだ」
エドはリンのせいだ、とピンときた。ヴォルフもすぐそれに思い立ったらしく、
「そうだった。あの子はトリビトと接触してしまったから黒の街へ……」
気配はするのに決して姿を見せなかったトリビトたち。物陰からエドをずっと監視していた彼ら。いったいどれだけの悪意がリンを襲ったのだろう。
「トリビトの様子がわかるのですか?」
「ああ、私は電子チップ(IC)を埋め込まれているんだ。一人で管理するには限界があるから」
機械を自在に操れる力を持つ彼は、やろうと思えばこの街を一人で制圧してしまえるのだろうか。
背筋にぞくりと悪寒が走る。少年の畏怖に気づいた管理者は、苦い笑みを傾ける。
「もっとも、私自身を戒める暗示もある。そうじゃなければこの街を任されることもなかっただろう。とにかく、外へ出るのは止めたほうがいい。トリビトは平和を好む性質だが――この星が悪化の一途をたどったのは、彼らの暴走も原因の一つだ。不用意に出て行くのは危険だ」
「人族が星を変えたと言われていますよ。あなたがたがそこまでトリビト追い詰めたということでは?」
エドの声は平坦で、冷たい響きを含んでいた。それは人族からの物言いだ、とカチンときたのだ。
「私はトリビトを守りたかった。しかし双方を押さえることはできなかったんだ。こんな結果はだれも望んでいなかった。現状は、トリビトを守るための処置だったと言ってもいい」
「そんなのは支配者側の言い分に過ぎない!」
声は、エドの予想を超えて鋭くとがっていた。目をわずかに見開いたヴォルフから、エドは視線をそらした。
「人族の傲慢はトリビトを傷つけるんです。あなたの言う安穏とした生活の果てが、これです。……幸せだと言えるのですか」
そもそも何故、人族は夢なんか見るのだろう。どうして他種族を羨むのだろう。他種族を受け入れないのだろう。彼らの文明は偉大だったのに、自らの手でどうして破壊しようとしたのだろう。
一度噴出した憤りはすぐに鎮火しなかった。ああ、やっぱり僕は人族が嫌いなんだ……。嫌でも自分の感情に気づかされてしまう。そして、冷静じゃなくなってしまう。今さら過去を責めても仕方がないとわかっているのだ。人族は、それ相応の代償をすでに支払っている。大きな損失だとわかっているだろう。
リンは機械音痴で、風呂さえまともに入れなかった。当たり前にあるはずのシステムだって扱えないほど、彼らの文明は低下しているのだ。
人族は、技術の継承を行わなかった。確かに開発・進化は彼らの力だっただろう。だが、それを受け継ぐものがいなかった。全盛期、記憶野でさえ機械に頼っていたせいで、彼らの技術はすべてコンピュータの中につまっていた。あれらと共存できてさえいれば、きっと現在が変わっていたはずなのに。異種族は『ヒト』ではないと言う。道具か、自分たちより下位の存在だと言う。彼らは新しい時代に取り残されている。
(トリビトは、その犠牲となった最たる種族)
なまじ外見が似ていたせいで、人族の憧れとして映ってしまったのだ。翼があれば、と。
人間は、だから愚かだ。
エドの失望と悲しみが伝わったのか、それともぐったりしているラッカを目の前にして思うところがあったのか、管理者は謝罪を口にした。
「すまない。言いかたに気をつけよう。ただ、トリビトたちは一度火がついたら止められない。もし外へ出たとき、危険が及ぶかもしれないことを忠告したかった」
「……気をつけます。それでもラッカまで攻撃するとは思えませんから」
そうして二人はヴォルフの危惧通り猛烈な反発にあい、白の街を追い返されたのだ。
「どうして? ラッカは仲間じゃないのか!? 具合が悪いんだ、お願いだからラッカだけでも、だれか!」
なぜ、どうして、とエドが訴えてもトリビトは聞いてくれなかった。あの赤い目をたぎらせ、トリビトの持つ鉤爪や悲鳴、石やバリケードでもって拒絶する。近づくこともできない。支柱から出てきたものはすべて敵だと思っているのか。リンの存在がこれほど彼らを脅かしたのか。
「くるな! そこから出てくるな! 消えろ、出て行け!」
「人間を入れるな。人間の仲間を入れるな! 踏み込ませるな! 我々は二度とあんな悲劇を繰り返さない! 人間などに従わない!」
口々にそんなことを叫んでいた。もっと酷い何かを言っていただろうが、エドは覚えていない。彼らの目は狂気が渦巻いていた。これが、楽しそうに空を舞っていた彼らなのか。列車の窓から見たあの穏やかさが、微塵もない。
「だれか、ラッカを助けて! だれか」
エドの叫びが空しく、白の街にこだました。立ち上がれないラッカをかばったエドの額に、なにかが当たる。衝撃に戦慄した。何故? ラッカも一緒にいるのに。じわり、とエドの額から広がる赤い色と痛み。今もなお止むことのない罵声と集中する投擲。ラッカは白の種でトリビトだ。どうして彼らは、それがわからない。
(ラッカは仲間じゃないのか?)
同じ問いかけが、今度は猜疑心とともにエドを打った。敵意が全身に叩きつけられる。エドは異端視された少年へ覆いかぶさって、唇をかんだ。ラッカを守らなければ。なぜトリビトがラッカを拒絶するのかわからない。だが、こうなったのはエドの責任だ。
そこに今度は別の煌きが飛んでくる。身を盾にしたエドの足に灼熱が走った。
「……っ!」
悲鳴は、あげなかった。エドのズボンが赤く染まっていく。身体の芯が凍えた。鋭い刃は同じ仲間であるはずのラッカを狙っていたのだ。ラッカがどうなってもいいのか? ぎゅ、とラッカをかばう腕に力をこめて、エドが大きく息を吸ったときだ。
「エド、もういいよ……」
静かな小さな声を、耳が拾った。か細いそれが聞こえたのは、きっとエトムントただ一人だけ。ハッとなって腕の中の少年を見下ろせば、彼は青白い顔のまま少しだけ微笑んだ。
「もういい、から……。ありがとな……」
その瞬間、エドの中のなにかが崩壊した。必死になってこらえてきた何かが、強い感情となって少年を動かす。エドの縦長の虹彩は細くなり、金色に光った。怒りで眩暈さえしそうだ。
「仲間が倒れてるんだぞ。お前ら、ほんとうにトリビトか。ラッカが何をしたって言うんだ! 説明しろ、なぜ僕らを攻撃する!? 僕らが何をしたんだよ!?」
そんな叫びもトリビトの罵倒にかき消された。だが、頭に上った血は収まらない。リンが、僕とラッカが何をした。敵意を向けている相手が誰なのか、本当にわかっているのか。大人が寄ってたかってなじる相手が、どうして子ども(ぼくら)なんだ。この街は平和じゃなかったのか!
だがそんな声は我を忘れたトリビトたちに届くはずもなく、じりじりと追い込まれていく。大きな翼を広げて威嚇してくる彼らが、エドの目には化け物のように映った。血走った目でつばを飛ばして二人を罵ってくる。ナイフやフォークなんかの調理器具から椅子や家具さえ、落とせるものは落ちてきた。ここに武器らしい武器が加われば、いったいどうなっただろう。
ラッカをかばって立ちはだかったエドは、せめて屈しないと誓った。ここで折れたらリンの二の舞だ。しかも、ただ落とされるだけで済むとは思えない。吊し上げられ、八つ裂きにされるかも。
そこへ我慢ならなくなったヴォルフの出現で、さらにトリビトたちはパニックを起こした。そのようすはリンのときと比べ物にならなかっただろう。その隙に二人は支柱へと引きずり戻されたのだ。
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