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 その国が列車の窓から見えたとき、リンは息を呑んだ。オーウェインは空に浮く島だからだ。いや、島ではないのかもしれない。リンは独特な街の外観を『砂時計のようだ』と思った。周りを四本の柱に、中央を一本の柱に支えられた島が、空に浮いている。浮いた島は、上部がほぼ平らで、下方へと木の根のように街が伸びていた。その島の形が砂時計の形と類似していたのだ。ピンクの砂は、真っ白な街にないけれど。

「あれが、オーウェイン?」

 リンが小さな手のひらを窓にぺたりとつけて、外の景色を覗き込む。青空と雲海のなかを突き出て、ぽつんっとそれはあった。他は見渡す限り、ただ一面に広がる青と白だ。ぶ厚い雲の下は何も見えやしない。リンはメガネの奥にある青い目を大きくして、街を凝視する。

 ネコ族のエドが、読んでいた本をぱたんと閉じた。エドは王子さまみたい、とリンが称するような少年だ。きっちりしたスーツだって軽く着こなす(多分)お金持ち。さらさらの青い毛艶も口調も態度もまさにそれ。

「そう、あれがトリビトの街、白と黒の王国だよ。天井都市オーバールウだね」

「トリビトの街?」

「見えない? きっと空、飛んでるはずだけど。もっと街に近づいたら見えるかも」

 エドが緑と金の入り混じった目をすがめて呟く。普段は大人ぶっているエドも物珍しいのか、窓際までよってきた。

 対するリンは人族で「貧しい」の一言がとことん似合う。廃棄寸前の装いに丸めがね、ぼさぼさの赤毛が一張羅。ナイフとフォークの扱いはただいま訓練中で、本人の唯一の自慢は鮮やかな青い瞳、それだけだ。

 そんな二人が一緒に旅をしているのは実に偶然だった。たまたま同じ列車で旅をしていて、たまたま年頃が近くって、たまたま目的地がおんなじで、たまたま同室だったというだけだ。出会ってまだまだ一週間目。不思議と気があって一緒にいるだけの二人である。

 そう、二人は旅をしていた。星をわたる高価な列車に乗って、目指すのはそれぞれ終着駅『クィダズ』だ。そして今、『エンジャーグル(しるべなき街)』から三つ目の街に到着目前である。

 ぐぐっと列車が旋回して街へと降りていく。着陸の合図に汽笛が響いた。真っ白な街がぐんぐんぐんぐん向かってくる。リンは弾む声で言った。

「あのね、妹のエイダはトリビトなんだ。ここ、エイダの仲間の街なんだね」

「……なんで、キミの妹がトリビトなの」

 エドが珍しく目を丸くする。ぴくりと動いた耳からして興味津々なのだろう。最近はリンにもエドがちょっとわかってきた。エドの耳やしっぽが動くときは、喜んでいるときや、怒っているときなど、何かしらの感情が大きく動いたときだ。しかし普段の彼は、極力感情が動かないよう努めている節があった。耳や尻尾の動きで、内心が察知されるのを避けているのだ。

 わかりやすくていいと思うけどな。そう考えても口にはできない。エドが嫌な顔をしそうだからだ。しかし耳や尻尾が動いていると、リンは触りたくなるから困ってしまう。一度触らせてもらった尻尾はふかふかしていた。触っていい? と尋ねても、大体はすげなく却下されてしまうけども。

「うん、エイダはトリビトなんだ。片方だけしか翼がないから、空は飛べないけど……」

 話しながらリンは思い出す。残してきた大切な家族を。

「泣き虫で、とってもかわいくて、小さくて、歌がうまくて、いつもぼくの後ろをついてきてたんだ」

 トリビトたちは、みんなエイダのようなのだろうか。そう思うと、ドキドキしてしまう。

「そんなこと言ってたね、昨日。会ってみたいな、エイダにも」

 うん、とリンがにーっと笑って歯を見せる。

 白と黒。

 エドがそう説明したオーウェイン。リンは列車が都市へと降りていくさなか、その言葉の意味を理解した。最初は真っ白な街が影と相成って『白と黒』なのだと思っていた。しかし、そうではない。近づくにつれ鮮明になっていく街へ、リンは目を凝らした。

「エド、あの街……なにか変だ」

「どれ。――ああ、汚染対策じゃないの? 完全環境都市アーコロジーって少なくないもの」

 エドがちらりと街を一瞥して、何でもないように言う。確かに街を覆う変な膜状のものはあったが、訊きたいことはそれじゃない。

「じゃなくって、あの街、逆さまじゃない? ほら、島の下に向かって建物がある」

 いや、そもそもあれは、本当に島と呼べるのか。

 街の建物は、地上に向かって突き出ていた。逆三角形という形がわかりやすいか。砂時計の砂のように、街を支える中央の柱へ沿って、徐々に長く、地上へ伸びている。それを細い通路のようなもので連結し、街全体を支えているのだ。

「でね、上の街じゃなくって下の方にも街があるでしょう? 鏡で映したみたいに真っ黒な街が」

 真っ白な街の下方から明滅する光が見えた。分厚い雲の切れ目から見えたのは、逆さまの街を支える『柱のようなもの』の底だった。目を凝らせば、中央へ向かうほど背の高い建物が密集している。支柱に近づけば近づくほど、建物は高くなっていく。まるで、空へ伸びようとするようだ。

(なんだろ。二つとも、ヤな感じする)

 特に黒いほうは不気味に思えた。白い街が白い雲の只中にあるなら、黒い街は黒い霧に覆われている。二つの街は対照的だった。向き合い、にらみ合っているようだ。

 するとふうん、と隣でエドが意外そうな声を漏らす。リンが首を捻ると、笑いをかみ殺して「ごめん」となぜか謝ってくる。

「どうしてって訊かれるとは考えてなかったんだ」

 白い手袋を口元に当ててくすくす笑った後、エドは街を指差す。

「説明するとね、下の街は地上都市ロールエム、別名『黒の街』。天井都市オーバールウ――『白の街』――を補佐する影の国。ほら、真ん中に『支柱』が見えるよね。あれを境に上と下、街が二つあるんだ。だからここは白と黒の国、二つをあわせて『オーウェイン』と呼ばれている。『オーバールウ』が逆さまなのは、トリビトの体質じゃないかな。ほら、トリビトが飛んでいる!」

 振り返ったリンの視界を、白いものが過ぎった。人間だった。ネコ族でもイヌ族でもない、人間だ。だけど彼らは、自身よりも大きな翼が背中から一対生えていた。リンは丸眼鏡を押し上げて、その光景に見入った。天井都市周辺を、トリビトが優雅に駆けている。

 もっと覗き込もうとしたリンの額が、ガラスに当たった。それさえ気に留めず、こくん、と少年は生唾を飲み込む。胸が高鳴った。

 すごい。青い空の下を自由自在に飛び回っている。

 純白の翼が大空をはためくのは夢のようだ。あれはまるで、大きな鳥。彼らトリビトは人間とそう変わらないのに、なぜ空を飛べるのだろう。どくん、どくん、と鼓動が煩かった。同時に、言いようのない痛みも胸を刺す。本当に、なんてきれいなのだろう……。

「どうしてトリビトには翼があるのかな。ぼくにも、あったらよかったのに」

 思い描く記憶の少女も、小さな白い翼を片方だけ持っていた。大きな翼があったなら、この中にあの子も混じっていただろうか。楽しそうに、自在に空を飛んだだろうか。

 エイダが「待って、待って」と追いかけてくるのを思い出し、リンが唇を噛んだ。

 リンの回想とほぼ同時に、エドが顔を強張らせる。勢いよく口を開いてなにか言おうとしたが、すぐにふい、と視線をそらした。トリビトたちを見下ろしながら淡々と、

「トリビトだからじゃないの」

 エドの態度に引っかかりを覚えながら、リンは「そうだよね」と淋しげにうなずいた。

「トリビトだから翼があって空も飛べる……。当たり前だよね。ぼくは人間だから空を飛べない。ねぇ、エドは翼があれば――なんて考えたことある? 空を飛べたらって」

「僕はないね。そういうのって不毛だよ」

 フモウ? と尋ねるリンへ、エドはため息をこぼす。

「飛べないから、僕らは空へ憧れて飛空艇や飛行機なんてものを生み出したんでしょ。他の星へ行ってみたいから、星間列車があるんでしょ。そういう文明を否定してどうするの。トリビトだから空を飛べる。それじゃダメなの」

「そういうことじゃなくて」

 みなまで聞かず、エドがくるりと背を向けた。広いコンパートメントに用意されたソファへ腰を下ろし、読みかけの小説を手に取る。ぴりりとした空気が漂った。この話はこれでお終い、と打ち切られたのだ。なにがエドの癇に障ったのかリンにはわからない。「もしも」という仮定の何がまずかったのか。

「あの、エド……」

「言い忘れてたけど、降りちゃダメだからね。降りるなら次の街、『ヒューギー』にしてよ」

「どうして?」

「どうしてもだよ。ここはとにかくダメなんだ。ほら、これにも書いてある」

 エドが見せたのは、星間列車に備え付けられているガイドブックだ。ガイドブックと言っても、エドが持つカード型のコンピューター末端と同じようなものだった。見た目は二つ折りの分厚い紙で、見開いて操作すると、内容がホログラフィ(立体映像)となって飛び出てくる。様々な情報がリアルに引き出せた。

 しかし、共通語が不完全なリンには扱えない。簡単な文字しか読めないのだ。だからほら、と見せられてもリンは顔をしかめるばかりだった。エドはそんなリンに代わり、手早く片手でガイドブックを操作する。現れた映像の一部に指を這わせた。

「ここ。赤い文字で『警告』って。安全とは言えないんだよ。だから絶対降りちゃダメ。こないだみたいなことになっても大変だし」

「どうして?」

「トリビトがよそ者を嫌うんだ。停車時間も今回はぐっと短い。すぐ出発する」

「どうして? だってトリビトの街だよ」

 エドがばんっと乱暴にガイドブックを閉じた。苛々とリンを睨みつけ、

「危険なんだって言ってるだろ。ここがトリビトの街だからさ。キミは行っちゃいけないんだ。わかった? ヴィーグエングみたいなことになっても知らないからね」

「……そんな大声で言わなくても」

『前科』のあるリンが唇を尖らせると、エドは声をはりあげた。

「わかった?」

 さすがにリンもむっとした。エドが自分のせいで苛立っているのはわかったが、理由がわからない。今までのエドは、リンにわからないことがあれば、丁寧に教えてくれたのに。

 トリビトが危険であることも、信じられなかった。だってこの街はエイダと同じ種族の住む街だ。視線を転じると、窓の外にトリビトの姿が見えた。ぐんぐん近づいてくる逆さまの街『オーバールウ』も。優雅に空を舞う彼らの何が危なのだろう。

 しかし強く反論できないのは、『前科』があるためだ。前の駅領である『工芸のヴィーグエング』で、リンはかばんを盗まれた。それも自分の不注意が原因で、だ。無事に列車へ再乗車できたのは、エドの助けが大きい。

 そこを指摘されると、リンは何も言えなくなってしまう。

 黙り込んだリンの耳に、列車のアナウンスが滑りこんだ。

『お客さまへご連絡いたします。当列車は間もなくオーウェインへ到着いたします。軽い揺れがございますので、念のためシートにお着きになってシートベルトを着用してください。繰り返します。お客さまへご連絡いたします。当列車は――』

 気まずい雰囲気の中、リンは無言でシートについた。身体を固定するベルトは自動で伸びてくる。

「どうしても降りたくなったら絶対に言って。ステーションの中だけならついていってあげるから」

 リンが答えようとしたとき、不気味な振動が列車を揺るがした。発着以外どんなときも揺れない列車が、はじめて揺れた。思わず悲鳴を発し、リンは身を縮こまらせた。

「大丈夫。ドームの中に入ったんだ。あれに接触するとこうなるんだよ」

 エドが余裕の声を出す。リンはちらりとエドを見ると口をつぐんだ。

 どうしてか、苛々していた。




 停車時間は短いという言葉通り、今度の停車時間はたったの二十分だった。それにしたって二十分もあるが、前の駅では五時間だったのだから、十分に短いと言えた。ちなみに始発エンジャーグルでは、丸一日停止していたようだ。その時間を使って、エドが一通りの買物をしたと言っていたのを思い出す。エドの読んでいる小説は、そこで手に入れてきたものだった。

(でも、二十分あればお手紙ぐらい出せるよ)

 アニエスへの手紙は、送れるときに送っておきたかった。機械なんてリンの故郷である『フォーグル』にはないので、列車から無料で送れる『メール』や『映像通信』も使えやしない。エドにアナログ過ぎると呆れられた手段でしか、近状を伝える術がなかった。手紙は、遠ければ遠くなるほど料金も高くなる。財布の事情もあって、投函できるチャンスをリンは逃したくなった。

 誇りを持って行くのよ、リン。そう言ってくれたアニエスに頑張っているんだよ、と。ここまで来ているんだよ、と伝えたくて。

 そろ、と荷物を持ったリンが窺うと、エドは読書の真っ最中だった。今のうちである。

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