夕暮れの散歩、爺とフェアリー
「ヒメ、行こうか」
声をかけるとヒメは赤い羽をパタパタとして翔んで来る。足首につけたアンクレットがカラカラと小さな音を鳴らす。
ピスタチオの殻で作ったアンクレットは足を振ると音が鳴る。ヒメは気に入ったようで両足につけている。
ヒメが私の肩に腰を下ろす。ヒメが私に慣れて私の肩や白髪だらけの頭を椅子にするようになった。
ここまで慣れるとは思わなかった。いったいヒメは私のどこが気に入ったのだろうか。
私は私でヒメが喜びそうなことをしているが、これは年寄りの暇潰しでしか無い。
肩に乗り無邪気に足を振りアンクレットをカラカラと鳴らすヒメ。自然と口許が緩む。
ヒメがそこにいる――それだけで穏やかな気分に浸ることができる。
ヒメを肩に乗せて玄関を出る。杖を付き、首から紐でかけた大型ライト。ポケットに入れた野犬対策のクラッカーを確認する。
夕方の田舎の風景。森の近くにある私の家。遠くに見える家も空き家が多い。住人も少なくなった小さな村だ。だからこそ誰にも煩わされず静かに暮らせる。
くだらない、欲にまみれた輩の相手をしなくても済む。ここで静かに余生をと。
そう考えていた。
そのはずがヒメのおかげでわりと毎日、騒がしいような。
杖をつきながら日が落ちて暗くなっていく裏山の中へと進む。年寄りとは夜に徘徊するものだ。老後の娯楽で木の多いこの山の中で、足を滑らせて死ぬのもまた一興だ。
背中に小さなリュックを背負い、のんびりゆっくり裏山の中へと分け入り進む。
古書にはこうある。
【誰彼時にはフェアリーの影響をうけやすく、彼誰時にはフェアリーが影響を受けやすい。フェアリーと1日に1度は共に散策をすることで、絆を強く結ぶことができる】
この古書に習い、夕方に晴れればヒメと共に散歩に出る。
日暮れ時にヒメを肩に乗せることで、私はヒメの影響を受ける。感覚が鋭敏になり研ぎ澄まされる。
これまで聞こえなかった小さな音が聞こえる。風の音、鳥の羽ばたき、虫の声。
花を見れば花弁の開き方でその花の気分が解るような気がする。
初めの内は風に揺れる枝葉の音が聞こえすぎて驚いたものだが、これにも慣れてきた。
これまで私が気づかなかった山の音、森の音が、人が知り得ない秘密を私にこっそりと囁いてくれる、そんな気分に浸れる。
この地には人が少ないからこそ、自然は豊か。だからこそここには今もフェアリーがいる。
ヒメはあっちにフラフラ、こっちにパタパタと気紛れに翔ぶ。そのあとを追うように山の中を歩く。
森の中を鬼火に導かれ地獄へと迷いこむ物語を思い出す。私もあの物語の主人公の気分を、今こうして味わっている。
なんでも根来忍者の開祖は生きたまま地獄へと迷い込み、地獄で忍術を憶えてこの世に戻ってきたのだという。
だとすれば、その忍者の開祖が迷い込んだ世界とは、ヒメの故郷、フェアリーの世界なのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、ヒメが翔んできた。手にキノコを持っている。
ヒメが持っているのはツキヨタケだ。ヒメの好物のキノコ。私の肩に座り好物のツキヨタケを生でかじり食べ始める。
ヒメはキノコを好んで食べる。調理せずに生で取れ立てのものを食べるのが好きらしい。
ツキヨタケ以外にもヒラタケ、マイタケ、シメジを食べる。
古書には、
【春にフェアリーにトガリアミガサタケを食べさせると、病気予防に効果がある】
と、書かれている。
美味しそうにツキヨタケをパクパク食べるヒメはご機嫌だ。その様子を見ていると、私がじっと見ていたことに気がついたヒメは、ツキヨタケを爪で千切って私のヒゲに押しつける。
〈ん、セイー、んー〉
「私はいらないから、ヒメが食べなさい」
どうやら私に分けてくれようとしたらしい。物欲しそうに見えたのだろうか?
ツキヨタケはフェアリーが食べても害は無いが、人には毒になる。フェアリーが美味しそうに食べるからといって、人が真似して食べてはいけないものは多い。
タケニグサ、テングダケなど。
逆にハエトリシメジは人が食べても大丈夫なのだが、ヒメはハエトリシメジは嫌いなようだ。
ヒメは、美味しいから食べてみてー、というように私の頬にツキヨタケをグリグリと押しつける。
「私がそれを食べると、腹を壊すから」
私が説明するとヒメは眉をしかめて、改めて手にするツキヨタケに口をつける。
その様子はまるで、こんなに美味しいのにそれが解らないなんて、可哀想に、という感じである。
暗くなり首から下げたライトをつける。ヒメが手に持ったツキヨタケも青白くボンヤリと光る。夜に淡く光るので月夜茸という。
ツキヨタケを食べたヒメの羽根、赤い蝶の羽根も淡く青白く光る。
しばらく山の中を歩いていくと、何かを見つけたヒメがパタパタと木々の奥へと翔んでいく。
そちらにも淡い小さな光がポツポツと宙に浮いている。ヒメが友達を見つけたようだ。
彼らを脅かさないようにライトの明かりを消してリュックを下ろす。
リュックの中からシートを取りだして、地面に引いて座る。双眼鏡を取りだして覗く。
彼らを脅かさないように近づかない。しかし、彼らの姿を見たい。小さな彼らを見るために双眼鏡を用意している。
ヒメが翔んでいった先には、数えてみると7体のフェアリーがいる。いずれも蝶のような羽根がある。この付近のフェアリーは蝶の羽根の者が多いようだ。
羽根の色は青、緑、黄色といくつかありいずれも鮮やかだ。
5体が宙を輪になって踊り、2体は木の枝に並んで座り眺めている。
見た目で雄と雌の区別はつかない。いずれも花弁で作った色鮮やかな服を身に纏っている。
ヒメが輪になって踊るフェアリーに近づき、片手を挙げて挨拶する。そのまま一緒に踊るのか、と見ていると他のフェアリーはヒメに注目している。
ヒメに、というよりヒメの足を見ているようだ。ヒメは赤いチューリップのスカートを翻して、自慢気に足首のアンクレットを見せつけている様子。
ピスタチオの殻を細く切り、小さく穴を開けて、並べて絹糸を通して作ったアンクレット。足を振るとカラカラと音を出す。足首につけた鈴というか、カスタネットというか。
ヒメの動きに合わせて音を鳴らす。
過去の仕事の経験から、細かい細工の得意となった私が作ったものだ。私としてもなかなか良くできたという1品。ヒメの足につけると気に入ったらしく、私の頬に額を擦りつけて喜んでいた。
足を振り上げアンクレットを鳴らして喜ぶヒメの笑顔は百万の富に優る。
アンクレットをじーっと見てた青い羽根のフェアリーが、ヒメの足に向かって手を伸ばす。ヒメはその手をクルリと回って避ける。
他のフェアリー達も次々にヒメの足に手を伸ばす。勢いよく翔んで捕まえようとする。ヒメはヒラリヒラリと翔んでかわしていく。
枝に並んで座って見ていたフェアリーも参加して、逃げるヒメを追いかける鬼ごっこが始まった。
キャアキャアとはしゃぐ声が離れたここまで聞こえてくる。空中を複雑な軌道で飛び回る、淡い光達。双眼鏡では追いきれない速度になり、裸眼でフェアリー達の鬼ごっこを見守る。
小さな淡い光が8つ宙を翔び、逃げるひとつを7つが追いかける。
木々の中を鬼火が飛び回るように見える。高い子供のような声でなにか叫んでいる。
フェアリーの言葉は解らない。何を言っているのか解らないが、回り込め、とか、挟み撃ちだ、とか、それちょっと貸して、とか、やーだよ、とか言っているのだろうか。
やがて翔び疲れたのか、捕まりそうになった光が私に向かって翔んでくる。私の髪に捕まり頭の上に寝そべるヒメ。はぁはぁと荒い息が聞こえる。ヒメのお腹が触れるところが暖かい。かなり体温が上がっているようだ。
追いかけてきた7つの光は急ブレーキ。空中で止まってフェアリー達はビックリした顔で私を見る。
フェアリーは通常、人には見えない。姿を隠しその声も聞こえない。彼らはここに私がいるとも思ってなかっただろし、いたとしても人がまじまじと見ているとは知らなかったのだろう。
ヒメが側にいることで、私は妖精の塗り薬を瞼に塗らなくても、彼らの姿が見えるようになった。
見えていない、と思ってた相手と目が合ってしまった。そんな7体のフェアリー達の内4体が木々の中へと驚く速さで逃げていく。
しかし、3体がそこに残り私をじーっと見ている。身を寄せあいおそるおそると。ヒメの友達の中には私を知っている者がいる、というのは知っている。この3体もおそらくヒメから私のことを聞いているか、以前に私のことを見知っている個体だろう。
私がなにかしないか警戒しながら見ている様子。
〈セイー、まーも、からからー〉
頭の上のヒメが私の髪を引っ張って催促する。こうなるかもしれない、とは予想していたので、見ているフェアリー達を脅かさないように、そうっとリュックを開ける。
中から小さな布袋を取りだして手のひらに中身を出す。これはアンクレットの試作品と失敗作。良くできた2つをヒメの両足につけた。ここにあるのは、サイズが大きいもの、作ってる最中に割れたもの。
出来映えはイマイチだが、紐を通して鳴らせるようにはなっている。全部で5つ。人数分には足りないか。
手のひらに出した品を見て、ヒメは笑顔で翔ぶ。私の顔に頭突きをするかのように翔んできて、私の眉間にグリグリと頭を擦り付ける。右の瞼にチュッと小さく音を立ててキスをして、私の手から奪うようにアンクレットの失敗作をとる。
そのまま警戒するフェアリー達にそれを渡す。
……どうやら、喜んでいるようだ。フェアリー達は失敗作のアンクレットを足首や手首につけて、振ってカラカラと音を鳴らして笑っている。
木々の奥へと翔び去るフェアリー達。新しい楽器でそれに合う新しいダンスでも始めるのだろう。
ヒメもこれから友達と遊ぶのであれば、邪魔物の私は先に帰るとしよう。新しい玩具が気に入れば、今宵は夜明けまで遊んでくるかもしれない。夜行性のフェアリーにはこれからが活動の時。
満月が近いとフェアリーは元気だ。
立ち上がり尻の下に敷いていたシートをしまい、双眼鏡をしまう。小さなリュックを背負い立ち上がる。
〈セイー〉
呼ばれて振り返るとヒメが白い花を1輪手に持っている。差し出された花を受け取る。花弁の多い白い小さな花。この花の名前は、はてなんだろうか?
ヒメに催促されて思い出す。古書に書かれていた言葉を口にする。
「月と水の加護に包まれた我が友よ、いかなる災いがあろうとも、我が掌へと必ずや戻れ」
ヒメは白い花にキスをすると、手を振ってフェアリー達のところへと翔んで行く。私は白い花を片手にライトを点けて家へと帰る。
古書によればこれは帰還の誓いであり、誓いを受けた白い花は枯れることは無くなる。誓いをしたフェアリーが不慮の事態などで帰還できなくなったとき、花は萎れて枯れるという。
この花が枯れなければ、フェアリーは何があっても必ず帰ってくるという。
家にたどり着いて、白い花を水を入れたコップに差す。私が寝ていても、ヒメがいつでも部屋に入れるように寝室の窓を開けておく。
いずれは窓を改造してヒメ専用の出入り口を作る予定だ。
ヒメの友達のためにも、アンクレットをもう少し作るか。色違いで服に合わせられるように塗装してみようか。それともクルミでカスタネットを作ってみようか。
そのうちフェアリー達の音楽会に招待されることを夢見て、小さな楽器の作り方を考えてみる。
読了感謝