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時代を行き来できる方舟に乗ったとき、少年はやっと恐怖に怯えながら過ごさなくてもいいと安堵した。食事は過去や未来からふんだくって方舟の中に戻って食べればいい。だから母親に対してバイト(・・・)なんてしなくてもよかったからだ。
母親から逃げ果せることも安堵した理由の一つだ。顔を見ただけで恐怖を浴びせてくる母親。思い出しただけで狂ってしまいそうだった。「家族でしょ?」母親の醜汚に満ちた表情が浮かび、自分と母親を結び付けている正体が「家族」「家族」「家族」と思いやられる。
ひびの入った鏡を見つけては再び叩き割る。窓ガラスを割り、割れたまま数日過ごすことはざらだった。水鏡に恐れをなして、水まわりの仕事は全くしない。けれど水は飲む。飲まなければ死んでしまう。色のついたコップで飲めばいいものを、態々(わざわざ)透明なコップで飲もうとする。そのたびに家の床にはガラスの破片が散らばった。鏡も捨ててしまえばいいものを、割れたまま放置し、自ら近寄っていっては再び叩き付ける。愚行だ。窓ガラスを補修する。手放せないんだろうな、と少年は思っていた。感情は両極端。鬼と希。包丁と豆腐、怒りと自暴自棄、自尊心の低下。醜貌恐怖で喚き散らし、ドラッグと酒に溺れ、それでも再三喚き散らし、「ねえ私って汚いの? 綺麗だよね? ねえブスなの? そうなんでしょ?」と、我が子に否定と同意の両方を求める。安定した感情を出さず、常にフラストレーションが強固に現れるため、ストレスが溜まってもそれを怒りや疲れる感情で調和しようとする、その無限ループ。繰り返しの流転と補修され続ける消耗品。
母親を見ていると、使い捨てのコンタクトの様だった。乾いて見えないのに使い続け、その見えないことへの被害がフラストレーションを生み続ける、感情を爆発させる日々を生み続ける。爆発させては治し、それを繰り返し続けたことで、もうコンタクトにはがたが来ている。なのに、無理矢理使うから限りある身体を酷使し続け、日を増すごとにその強度は増していくばかり。いつか、からからに乾ききったコンタクトレンズはパキっと割れてしまうだろう。虹彩は紅に染まりかかり、見える景色も伴って紅に染まり始める。そのうち、というかすでに、母親の目ん玉のレンズは傷だらけだろう。ぼろぼろだろう。寧ろ本望か。自分の姿を見ることがなくなって好ましいのかもしれない。見えなくなれば、今度は少年が鏡の役割を果たすことになりそうだ。不安は無くならない。彼女の身体が傷ついても、内面の傷は癒えない。何度も叩き割られるのは御免だ。御免以前にすでに身体を叩き割られ続けている日常――少年にはそういう風に見えていた。
少年が母親から隔離された今も、少なからず代償はあるということだった。
方舟の中は一つの街の容をしていた。
外見上は猟師が狩りの時期になると寝泊まりをするような山小屋だ。当然、山小屋は山の奥地、それも人里離れている場所にあるため、人々が出入りすることはほぼない。偶然にも浮浪のバックパッカーが寝床として立ち入るような場所にしては小汚く、この小屋に続く道がほとんど道という形を成していないため、事実上、ここに訪れようとして来ない限りは、絶対に誰も立ち入ることのできない小屋だった。
小屋の中に入ると、景色は和かな街に変貌する。すなわち、方舟の中に入ったことになる。
方舟に乗れる人物は限られている。そのため、ほぼあり得ないにせよ、誰かがこの小屋に偶然にも入り込んだとしても、彼らにとってはただの錆びた寂れた小屋の内観にしか見て取れない。方舟に乗れるのは限られた人物だけだった。
方舟内の街は、農村とヨーロッパの街並みを併設した造りになっている。農村部分は盆地の様に山地に囲まれており、段々畑と棚田が組み合わさったような造りになっていた。一面に緑が広がっている。段々畑の一番上、そこに五メートル程度の川幅をもった用水路が流れている。そこに掛けられた橋の上を渡ると、対岸には白を基調とした一本の細長い石畳の通路が続いている。その通路に面して、白基調のヨーロッパ独特の建物――白い壁をした四角いシンプルな建物が一本の道に沿うようにいくつも連なっている。その建物の裏側にも永遠のように立ち並ぶ家があり、くねくねとした路地があるのだが、ほとんど出入りはされていない。出入りするのは少年が友人を殺した際に居た、【カタコンベ】くらいだった。