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ラフネの造花  作者: 面映唯
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「さて、これで立派な仲間ね」男性のように低い声をした女は、さっきまでの冷たい視線とは違って柔らかい表情で少年を見た。彼女の両脇には軍服を着た肌が浅黒い男がそれぞれ立っている。奥の方では、ようやく人骨を砕く作業が終わったのか、若い女が「つかれたー」とぼやいている。床に腰を下ろした若い女はだらしなく股を開いている。


 少年が口を開けずにいると、「ショックでしゃべれなくなっちゃったんじゃないの?」と軍服の一人が呟いた。女は少年の前でしゃがんでいて、頭を優しく撫でると、すかさず軍服の方を見上げて低い声で制した。


「ううん。違う。しゃべれないんじゃなくてしゃべらないのよ。必要以上にしゃべると母親に躾けられるのをわかってるから……」そこまで言ってから、女は失言だと気づいて口を塞いだ。


「まあ、そんなことはいいじゃない。早くお風呂にでも入って休みましょ」


 女は少年の手を握った。身長差は若干女の方が高く、年齢で言えば二十台前後だろう。肩にかかる黒い長髪で、笑顔が素敵な女子高生、と言っても間違いないような顔立ちだ。


 女は少年の手をぎゅっと握ると、出口の方へ向かって歩き出した。後ろからは、軍服の二人が歩いてきている。その数段後ろから、床でだらしなく座っていた若い女が駆け上ってくるようだ。軍服の二人が若い女の方へ振り返り、「相変わらずだせえ走り方だな」と揶揄(やゆ)する。確かにそれに値する走り方だ。腕を縦に振るというよりは胸の前で必死に横に振っているにもかかわらず、肝心の足がついてこないのはどういうわけか。腕ばかりが振られ、足はちっともそれに従ってついてきていない。右手を振ると左足が出るはずなのだが、右足が出ていたり、と思ったら左足が出ていたりとてんでバラバラなのだ。腕振りが三の速さだとしたら、足の回転は二の速さと言ったところだろう。


「私、黎奈(れいな)っていうの」


 少年の隣で低い声が響いた。


「みんなはレイさんとかレイって呼んでるけど、キミはどうしよっか」


 黎奈は思い悩むように視線を右上へと移している。(おもむろ)に、「そうだ!」と思い至ったようで、少年の顔を覗き込んだ。


「レイちゃんにしよう。一回呼ばれてみたかったのよね。ほら、(きょう)(だい)同士で何くん何ちゃんみたいに呼び合ってたりする人いるじゃない? お姉ちゃんそれに憧れてるの。キミの名前は(あき)()くんだったよね?」


 少年は首を横に振りかけ、自信なさげに頷いた。


「じゃあ、私はこれからキミのことをアキくんって呼ぶね。その代わり、お姉ちゃんのことはちゃんとレイちゃんって呼ぶんだぞ?」


 黎奈は深いえくぼを作って微笑み、左手の人差し指の先で少年の右頬をつついた。


「アキくんのほっぺた柔らかいなあ。私のほっぺもそれだけ柔らかいと嬉しいんだけど」


 目前に鉄柵が迫っていており、黎奈は柵の隙間に手をかけた。ぎぎぎ、と鈍い音を響かせて鉄柵の扉は開いた。黎奈がそのまま閉めようとすると、「レイさん冗談きついっすよー」「俺ら死体とおんなじ扱いって言うんですかー?」と後ろを歩いていた軍服の二人がつっこむ。黎奈はまるでこれが自分の常套句だとでも言わんばかりに、「あら、素敵じゃない。生きてるのに死体と一緒の扱いを受けるなんて」と慣れた様子で返答し、閉めかけた鉄柵を開きなおした。


 軍服の二人の後ろから若い女がきもい走り方で駆けてくる。


「相変わらずだせえ走り方」

「うるさいなあ。正しい走り方なんて教わったことないもん」


 二人がしゃべっている横で、黎奈は片手で鉄柵に横棒を通した。「ちょっとごめんね」と一度少年と繋がれていた手を離した。両手で南京錠をかける。


「はい」黎奈は右手を差し出した。「もっかいレイちゃんとてつなんごしよ?」差し出された手の上に、彼女よりいくらか小さい少年の(てのひら)が乗り、合わさる。乗っていただけの掌を、黎奈はぎゅっと、わかりやすく握った。


「アキくん」


 少年の名前を呼んだ。少年は不思議な気分だった。まるで他人事だった。女の人どころか他人に名前を呼ばれたことがなかったため、よくわからない気分になった。黎奈や男児に言われるまで、自分の名前が秋良だということも忘れていた。


 名前を呼ばれる。この自分の中に何か役割を与えられた、授けられたようなむず痒い感覚は、自分にとってうれしいことで、これからも望むべきことなのか、単に(わずら)わしくてこれ以上は勘弁してほしいのか、それすらもわからなかった。母親から物の様に扱われていた少年は、当然その名を呼んでもらうことはなかった。物のように扱われているとはいえ、物にだってちゃんと名前があるのだから名前ぐらい呼んでもいいだろうに、母親は「お前」とすら呼んでくれない。「おい」だったり「なあ!」と威圧することが常だった。そう声をかけられるたびに、まるで母親は手を使わずして箪笥(たんす)の引き出しを開けたかのように、少年は母親の元へと引き寄せられていった――。


 目の前には地上に続く石の階段が続いている。数段上ったところの左右に軍服の一人と若い女が、その一段上にもう一人の軍服がいて、黎奈と少年のやり取りを見下ろしていた。


「さ、いこう」と黎奈が言う。彼らは何も言わず、残り十数段ある階段の上へと視線を向けた。彼らの背中を追うように黎奈と少年も続く。


 ――繋がれたままの手と手――初めての経験。感触。


 少年は「手を繋ぐ」ということの与える影響、感覚に、ふわふわしていた。


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