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ラフネの造花  作者: 面映唯
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 重い、瞼が開いた。額が冷たい。横たわる全身から吹き抜ける風を感じる。上体を起こし、天を仰ぐ。そこは天ではなく、レンガ造りの扇型。視線を泳がせる。右には長々と奥へ下る薄暗い通路。左には曇り空の紫外線が降りている。縦に伸びる水の線が、トンネルの外で次々に着地している。軒先で雨宿りしていたのだろうか。ここは洞窟のような場所。立ち上がり、洞窟の外に出る。


 曇り空の紫外線を浴びた。耳元で無機質なシャワーを浴びた。優しい小雨は上着に染みを作った。掌を広げる。見上げる。柔らかい糸が無数に落ちてくる。色味を帯びた視界は、荘厳な雰囲気を加えて浴びせた。ちゃちな自分の脳が言っている。振り返った。洞窟内は暗くて奥が見えない。少ない知識が、見えたものと雰囲気とをつなぎ合わせてこう判断した。


 そこは、古い遺跡のように思えた。




 記憶喪失ではない。ただ、物事への頓着が薄かった。


 昨日のことを思い出そうとしても、鮮明に思い出せないのはそのせいだろう。昨日……そもそも昨日なのかも定かではないが、仕事で電車に乗り、列車内の人混みに酔い、思わず下りるべきではない駅で下車した。すぐに駅の公衆トイレに向かった。その辺りまでは明確に覚えているのだが、その後、トイレの個室に入ると――このあたりからの記憶が曖昧なのは、思わぬ出来事だったからだろう。印象深い出来事が記憶に残る一般人とは別に、咄嗟の出来事や思わぬ出来事、想像の範疇外の事には、丸きし記憶が残らない。それは、常日頃から脳内で記憶の反復、もっとこうすればよかった、と反省や復習をするタイプの人間だったからだろう。だから突然のことには脳内で反復することができず、記憶に残らなかった。


 なんというか、そもそも欲していないのだ。印象深い出来事も、もちろん嫌な出来事も。もしかすればそういった予想だにしていなかった出来事を記憶に残したくない脳が、忘却の指令を出しているのかもしれない。


 もっとしっくりくる言葉がある。


 無造作、だ。


 当然だ。何も考えていないのだから、覚えているはずもない。


 常日頃から脳内で記憶の反復、もっとこうすればよかった、と反省や復習をするタイプの人間だったのならば、寧ろ、物事への頓着が強いのではないか。


 短期間の執着はあったとしても、それを固執とは呼ばないだろう。彼氏に振られ、数日間ベッドの上で「もっとこうすればよかったのではないか」と、彼氏と愛し合う一途を探し続けた女子高生も、数か月もすれば頭の中はそれだけではなくなる。日々の出来事、友人との話題、そういうものによって掻き消されていく。あろうことか、元彼が好きだったことなど夢のように忘れ、「わたしは今さみしいの」そうやって新しい彼氏の横へと鞍替えしていく。孤独でいたことなどなく、常に隣には誰かがいた。それが肩書だけの恋人であっても。二言の多用だ。人間の喜怒哀楽なんて基本はそう。


 そう。だから記憶喪失ではない。ではないはずなのだが。


「どうしてこんなところに……」


 どういった経緯でこの場所にたどり着いたのかまるで想像がつかなかった。物事の大抵には想像がつく。漢字の成り立ち――箸が生まれた経緯――突拍子もないことだが、もし仮に今、立って居るのが遺跡ではなくショッピングモールだったら。たとえ記憶喪失だったとしても、母親と一緒に連れ立って来た、とか、まったく記憶にないが自分と親しそうな同年代の異性が隣にいる、だからデートに来たのか、とか、或いは、士商法。詐欺師にそそのかされている。美形で釣って、このあとスタバにでも誘われ、席について数秒すれば美形はトイレに行き、強面の男性が姿を現すかもしれない――そういった風に、真偽はどうあれ少なからず想像はつく。


 しかし、まるで想像がつかない。


 人気が感じられず、見知らぬ孤島にでも降ろされた気分だった。しかも、その孤島は無人島のように荒れ果ててはおらず、昔誰かがここで何かをしていたという生活痕を残していた。遺跡――レンガ造りで迷路のような、これはトンネルなのか洞窟なのか。一見遺跡のようであるが、見方を変えれば炭鉱のようにも思える。数十年前、機関車が煙を上らせながら走ったトンネルのようにも。それらを観光地みたく整備しているようにも。しかし、人気がない時点で観光地ではありもしない。じゃあなぜ自分はここにいる。まずどうやってたどり着いたのか。誰かに連れてこられたのか、自分で来たのか。何を目的に?


 さっぱりだ。


 想像がつかない、というのはこれほど怖いものなのか。たとえ苦痛でも、想像がつくということは恵まれているのかもしれない。予定を伝えられないまま目隠しをされ、プロレスの試合を観戦させられたら不安だろう。そこが掘りごたつのある茶の間であったとしても。


 ただ、場所自体は、居心地の良い場所だった。トイレの個室に入って安堵を感じるぐらいだ。人気が感じられない、おまけに遺跡という心の底を撫でられるような郷愁の錯覚。そんな場所、日本国内探そうとして探し出したとしても、生活できる保障などどこにもない。


 そう思うと、悪くないような気がした。


 ただ、やはり記憶がない。記憶がないということは覚えているので、記憶喪失とかそういうのではなく、単なる物忘れの類だと思った。


 本来なら「帰らなきゃ」と切迫に駆られるだろう。しかし、それはなかった。同じ空間に人がいない、それだけでこれほどまでに心が休まるものかと実感したからだった。


 遠い昔、両親と金沢旅行で兼六園に行った際の記憶が蘇った。「人がいなきゃ綺麗なんだよなあ」「ディズニーかよ、ここは」ディズニーなら人が背景になるのだが。


 写真を撮る気にはなれなかったが、それでもとカメラのレンズを向けるが、レンズ内に人影が入らないように撮るのは不可能だった。


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