4
カン、カン、と音が鳴っている。その音が胸に刻み込まれたとき、少年は若い女性が鶴嘴を振りかぶるのと同じように、頭上になたを振りかぶっていた。男児は目を見張った。そういう目をした。首を逸らした。
あっ。
なたが振り下りたときにはもう遅かった。本当なら左手首を切り落とすはずだったのに、男児が身じろぎし、首を逸らしたせいで、身体が動いて振り下ろすポイントがずれたのだ。
豆腐を切るかのようにまるで手ごたえがなく、スッと刺さったなた。脇腹に深く刺さったなたを引き抜くと、ドロリと中から垂れ落ちた。男児は何か喚いているが聴こえない。それよりも、男児の脇腹から垂れ落ちたものに、少年は興味津々だった。
腸。
初めて実物を見たのだ。なたで切れてしまったのか、二本の腸が脇腹から垂れ下がっている。興奮するのも無理はない。そして、小腸の切れ先は、まるで引っ張ってくれと言わんばかりに垂れ下がっている。くす玉の紐に見えてきた。掃除機やお釜の電源コードのように見えてきた。巻き取り式のやつだ。
少年は腸の切っ先を引っ張った。出てくる出てくる。長い縄を手繰るように引っこ抜いている感覚は癖になる。いくらか抜けて、イカのはらわたを、すぽっ、と引っこ抜いたような音、感触、大きな腸の先に小さな細長い線が続いている。そうか、大腸と小腸って繋がってるんだっけ。少年は腸を引っ張り続けた。小腸は確か七、八メートルぐらいあるって理科の先生言ってなかったっけかなあ。
男児は呻いていた。身体も左右に振っていた。ひっくり返って表を向けないカナブンみたいに、節足をしきりに動かすゲジゲジみたいに。
少年には男児の声がまるで聴こえなかった。見えていなかった。聴こえる音は内から鳴る脈拍の音、その向こう側で、あの人骨を鶴嘴で叩く音が聴こえる。その二つだけの音。
一定のリズムで鳴り続ける相まった二つの音。それに乗って、リズムよく腸を引っこ抜いていた。引き抜くたびに床に滴る血液が血溜まりの円周を増していく。少年の足元に血溜まりが届くと、少年の靴の両サイドを沿うように血溜まりの範囲を広げていった。
血溜まりと同じように、床に引き抜いた腸が落ち、範囲を広げる。さんまのはらわたみたい。
少年の手は真っ赤だった。生臭く、強烈なくさみが鼻を刺す。魚を三枚におろしたとき、イカ、それらよりも強烈なきつい臭い。撒かれた水くれ用のホースを引くように、引っ張り続ける少年。ホースよりも柔らかいそれをプチプチと潰しながら引っ張るのは、気泡緩衝材をプチプチ潰すのと同じ感触――。
十二指腸と胃までがつながったままで引き抜こうとしたが、力を入れすぎたみたいでぷつっと切れてしまった。仕方がないので男児の腹に手を突っ込む。生温かい。お湯に手を突っ込んでいるようだ。一通り腸が出きってしまったようで腹の空洞が大きい。胸の方に向かって右手を突っ込むと、大きなナスのような柔らかいものが手に触れた。ゆっくりとヘタをねじって引き抜くが、ナスの収穫に失敗したようだ。男児の腹から取り出してみたとき、手にしていた胃の上半分がちぎれていた。だが、おかげで胃の内部が視覚的に見て取れる。肌色だったはずの胃の内部は、大量の出血によって血濡れだった。ボディビルダーの腕の浮き出た血管みたいなひだが、西瓜の縞模様のように奥に続いている。
残念。血濡れになっていなければもっと光沢があって潤っている綺麗な胃が見られたというのに。
少年は胃の内部を男児に見せてあげようと思った。自分の顔を自分の目で見ることができないのと同じように、自分の胃の内部を自分の目で直に見せてあげたかったのだ。触れさせてあげたかったのだ。
「ねえ、みてみなよ。君の胃、綺麗だよ」
血をどかして綺麗な胃のひだを見せてあげようとしたが、少年の手も血濡れだったために綺麗な胃の断面を見せてあげることができない。
「ほら、どう? 自分の胃を見た感想は」
そこでやっと、少年は気づいた。男児の両の口角から垂れる二筋の血液。白目をむいた表情は、まるで昇天して逝ったかの様。
顎の下あたりの動脈、まぶたの裏の瞳孔――呼吸――。
少年は手にしていた胃を無造作にぶちゃり、男児の喉めがけてなたを振り被った――。