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ラフネの造花  作者: 面映唯
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長編になりました。

 ――私があなたに〝(はず)れた夢〟を見させてあげる――。



 少年は逃げようと思った。母親に見つかるまいと、静かに玄関のドアを開け、閉じる際も音を立てぬようにと注意した。無事音を立てずに閉め終わると、裏庭に一定間隔で埋め込まれた三十センチ四方の飛び石の上を、忍び足で渡った。右足の爪先(つまさき)で着地し、踵をつけないまま左足の爪先で着地する。飛び石の道は、自宅横の路地へとつながっている。


 二段だけの石段を下り、少年は路地のアスファルトの上へ着地した。裏道に向かって進もうとすると、運悪く、百姓の仕事を終えた祖父と叔母と出くわしてしまった。少年は、話は早々にしてその場を逃げ出そうとしたかったのだが、事情を知らない祖父と叔母は快活な口調で少年に話しかける。


「おお、○○。どこいくだあ」


 しーっしーっ、名前を呼ぶな、母親に聞かれていたらばれてしまうではないか。それもまたそんなでけえ声で。少年は心の中で、何事もなく立ち去ってくれ、これ以上話しかけるな、名前を呼ぶな、大声を出すな、と祈るように念じるのだが、祖父の口調は一向に変わらなかった。少年の心の内などいざ知らず、酒でも飲み、酔っ払った勢いで絡むような声量だった。「○○、○○」と少年の名前を呼ぶたびに、他人事だった。少年は心の中で苛立ちを隠せなかった。母親がすぐにでも追いかけてくるのではないかと冷静ではいられなかったが、口調は冷静を装い、祖父と叔母を追い払うように、(なか)ば強引に会話を中断させた。


 祖父と叔母と別れ、裏道へと続く路地を少年は歩いていた。路地から裏道に出たとき、これからどうしようかと思った。このまま歩いて行けるところまで行こう――しかし、よく考えもせず咄嗟(とっさ)に家を出てきてしまったため、無一文だった。せっかくなら財布の一つでも持ってくればよかったと省みる。財布の中に一万円が入っていたはずだということを思い出そうとする――家の机の引き出しに入っている財布の形状を想像する。折り畳み式の財布を開き、そこにお札が入っていることを確認するが、取りに戻るということは家に戻らなければならないということを意味する。それはリスクが高かった。もう一度家に戻ったら母親と出くわしてしまうかもしれない。それだけは何としても避けたかった。


 一度裏道に出たが、少年は(きびす)を返した。路地に面したプレハブのガレージには、祖父たちが百姓に使う道具やら農機具がたくさんしまわれている。そこには軽トラックも駐車されている。助手席のダッシュボードには札や小銭が入っているはずだ。以前、百姓の手伝いをしたときに聞いたことがあった。祖父たちは農作物を手売りすることが多く、その買い手の大半が同じ部落の人たちからだった。祖父たちの作業している畑は近所では知られているので、その畑に買い手が出向いて頼みに来るらしい。そのときに買い手は金を持っていて――要は先払いで、後日祖父が届けに行くなり、買い手が祖父の家に出向いて買った農作物を持ちに来るのが定例のようだった。百姓は作業中財布を持ち歩く習慣がないため、自然と軽トラックのダッシュボードが財布代わりとなり、お金が溜まっていくのだとか。


 少年はシャッターが上がったままのガレージに足を踏み入れる。ガレージはT字型に二つ併設されていて、少年が足を踏み入れたのはT字の横線の部分のガレージだ。


 ガレージの中に駐車されている軽トラックの助手席側、そちらのドアの取っ手を引こうとする。そのときに、併設されているT字の縦線の位置にある方のガレージから声がした。電車の連結部分のように行き来できる扉があり、そこの扉が開いて現れたのは叔母だった。つばが広く、首の後ろに布が垂れ下がる遮光帽子を被っていて、色褪せたジーンズにチェックの野良着姿だった。少年にとって見慣れた光景だった。現れたのが、口が達者で、事あるごとにでかい声を出す祖父ではなく、叔母であったことにほっとする。


 叔母は少年の姿を視界に入れると、当然何をしているのだろうかと思ったはずだ。「お金車に入ってたよね?」と少年が尋ねると、叔母は勘違いしたように「うん、そうそう。取ってくれる? 今、灯油入れに来てくれて、お金払うところなんだ」と、気が利く少年に近づいた。


 少年が助手席のドアを開け、ダッシュボードを開ける。中は農協の封筒やら雑誌、車検証などをまとめるファイルなどが入り乱れており、土埃(つちぼこり)が覆い、ざらついているのが視認できる状態だった。嘘でも綺麗と呼べるような状態ではなかったが、隙間から、皺や水分などで紙がふやけ、(かさ)の増した札束が見えた。探り当てると、どうやらすべて五千円札の様だった。


 少年が(てのひら)の上で札束を転がしていると、叔母はその中から一枚五千円札を引き抜いて隣のガレージへと行ってしまった。


 少年は未だに掌の上で五千円札の札束を転がしていた。嵩張ったプリントの資料をまとめる勢いで――ババ抜きが終了し、中央にあったバラバラのトランプを手の内で揃えようと――手を必死に動かすのだが、上手くいかない。いくら手を動かしても一向に揃わない。時間がかかりすぎだ。もう揃えるのはいいから数枚持って早く逃げよう。慌てていたため、軽く手は痙攣(けいれん)したようにおぼつかない。やっとのことで数枚の札を手にするのだが、今度は奇妙なことに気づいてしまう。手にしたバラバラの札束のうち、一番上の札束が、三枚におろされていたのだ。札の上下二センチ程度が横一線に切り取られていて、掌の上には三枚の細長い札が見えていた。


 これはいらない、少年はそう思ったのだろう。三枚におろされた札だけをはじこうとするのだが、手にしている数枚の札束はなんせバラバラだ。ババ抜き終了後の中央にあるトランプのかさばり方。上手くいかない。必死にその三枚だけをどかそうとしているのに、どうしてもうまくいかなかった。手が絡み合い、(つか)んでどかそうとしているのにどかせていない。


 感覚としては、視覚トリックで、モノのように見える林檎に触れようとしても触れられない、といったもの。次第にただただ焦る意識だけが少年の心に募っていった。もう、その三枚におろされた札束をどかすことは不可能であり、手を必死に動かしても意味がないというのに、まるで彼は自ら恐怖心を心に打ちつけるかのように手を動かし続け、慌てていた。


 手を動かし続けるのは三枚におろされた札束をどかすためではなく、恐怖心を募らせるため。焦れば焦るほど内側から「やばい、やばい」「早くしないと」という焦り、危機感と震えが膨れ上がる。


 そう、そうして少年の危惧したことは現実になる。


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