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フォアグラ

幕内陽嗣と付き合いはじめてから、一か月が経つ。

休日のたびに会う俺たちは、九割九分を「おうちデート」で過ごしていた。

読書という共通の趣味、陽嗣のマンションの近くにTUTAYAがあるという条件は、陽嗣のお部屋で二人「映像化した小説」作品を鑑賞し、討論し、おやつを頂くインドアデートに適していただろう。


「なあ、透史。明日はここに行ってみないか?」

陽嗣がアプリを起動させ、マップを表示させる。ちらっと見えた地名は、隣の県で、かなりの遠出が予想される場所だ。

俺は直視を避けた。彼の目を見ず言い募る。

「それよりさ、TUTAYAの棚の片すみにあった、すぐにも倉庫にひっこめられそうなあの映画を借りようよ。日本版『ウォーターシップダウンのうさぎたち』と呼ばれるあれを」

「『冒険者たち』……か。確かに興行成績がボロボロだった映画だし、店頭から下げられてもおかしくないが」

「そうそう、下げられる前に一度見ておこうよ。映画もそうだけど、昔にアニメ化したときもやっぱり、登場人物が減らされてたんだって?」

「原作では11匹だった登場人物の、各個性やエッセンスを統合して代表格に作り替えたという感じかな」

「でも原作改変だよね。小説への冒涜って感じ?」

「しかし脳内で時間を掛けて11匹を処理する小説と、リアルタイムで11匹が動き回る動画作品では、やはり後者は視聴者の混乱が避けられないかと……」

持ちかけた話題に、陽嗣は乗ってくれた。

語りながら、どこか安堵している俺がいる。


……陽嗣がアウトドアも好きなのは、薄々俺も把握していた。

マンションのドア前には、ピカピカに手入れされたクロスバイクが立てかけられているし、玄関に並ぶランニングシューズは相当使い込まれている。

毎回、俺にはぐらかされると分かっていながらも、外出やサイクリングの誘いを持ちかけてくる陽嗣。

……心が痛むのは確かにある。

でも、インドアしかこなせない俺と、インドアアウトドア両方対応できる陽嗣。

最大公約数をとって、インドアを楽しむのが二人の幸せじゃないかか……と俺は自分にごにょごにょ言い訳をしている。


「そうだ、また作ってみたんだ。持ってこようか?」

話題を一通り討論し終えると、陽嗣は思い出したように言う。

「食べる!」

身を乗りだし即答してしまう俺。

……そうだ、インドアデートに固執する理由はほかにも、この魅惑のスイーツタイムがあるからなのだ……と、俺は自己保身に余念がない。

陽嗣が運んできたのはホールケーキ。だがそれは、舌がくどくなるチョコレートに覆われているものでも、胸やけする生クリームが飾られたものでもない。

表面はシンプルに薄いクレープが乗っているだけ。ところが、視線を高さに合わせてみると、それがクリームとクレープを十数層にも重ねあわせたものだということが分かるだろう。

――ミルクレープケーキ、というのがこのスイーツの名前だ。

包丁入れて切り分けた一ピースに、俺はフォークを入れる。

弾力に富んだクレープ生地が、フォークの圧力にぐぐっと沈み、やがてクリーム層を巻き込んでぷつんと断ち切れ、俺はそれを口に運ぶ。

等間隔に訪れるクレープとクリームの心地よい歯応え。本当ならば甘くくどい生クリームの味が、香ばしく焼けたクレープで中和され、俺の舌はほどよいデザート感覚を満喫する。

一口、また一口とフォークは止まらず、あっという間に最後の一切れをフォークに刺す。見計らったように陽嗣が2ピース目を皿に置いてくれた。

「……本当は俺、こってりした物も、甘い物も苦手なんだけど。陽嗣のこれはいくらでも食べられそう」

「そうか、それならよかった」

陽嗣が微笑む。

「普通のイチゴショートなんかは、一個でもう十分って感じになるんだけどね。同じ生クリームでも、これは二個でも三個でもいける」

「……」

「ミルクレープのクリームには、砂糖が入ってないからかな?」

「いや、砂糖は入っている」

「んー、それじゃあきっと甘みを感じにくい構造なんだろうなあ」

それゆえ、俺は一ホールの3/4をぺろっと平らげてしまう。

とはいえ、陽嗣が家庭用フライパンで焼いてくれるクレープのサイズだ。甘みもほとんどないし、成長期の男子学生には、大したことのないカロリーだろうと……。

そのときの俺は信じて疑わなかった。


その夜。俺は自宅の洗面所で体重計を探していた。

タオルを入れる棚の、いちばん下に埃をかぶってそいつはあった。

埃をぬぐって、両足を乗せる。針が落ち着くのを待って、読み取る。めまいがした。めまいが治まるのを待って、再び目盛りを確認する。

……大台だ。

俺の体重は半年前の健康診断のときと比べて、10の位をひとつ増やしてしまっていた。

「嘘……だろう?」

ベルトの穴が、ひとつ外側にずれた自覚は、ここ最近からあった。

けれども、その日の体調でベルト穴がずれるのは珍しくないと、ずっと余裕をかましていたのだ。

今日、体重測定に乗り出した決定的な決め手は……ベルトの穴に、さらに外側に延びようとしている緩みを見つけてしまったことだった。

これではベルトの穴が二つ、外側にずれるのも時間の問題だ。


翌日のインドアデート。

せっかく借りてきた映画も、ほとんど頭に入らない。

エンドロールが流れ、立ち上がって台所に向かう陽嗣を、俺は焦って引き留めてしまう。

「どうした」

「え…あ、あの、えっと」

これまでずっと意気込んで食べていたものを。手作りケーキを3/4も独り占めしていたものを、今更要らないとは非常に言いにくい。

陽嗣は足を止め、言い澱む俺を眺めている。表情にわずかなにやつきが感じられるのは……俺の気のせいだろうか。

「自分が太った自覚が出てきたか」

その一言に、俺の耳はカッと熱くなる。

同時に、気のせいじゃないことが判明した。

……ああ、そうだ。幕内陽嗣という男は、そういう男だった……。

「そ、そりゃ、俺が自分の体を見るのは、入浴前に洗面所でチラっと鏡でチェックするくらいだから、気づかなくても仕方ないよ……。

インドアデートの後半戦、ベッドでずっと俺の裸を注視する陽嗣は、体つきの変化に、すぐ気づくだろうけど……」

「確かに、注視したり、触れたり、載せたりで、透史の体格変化に気づきやすい状態に俺はあるな。

しかし仮にインドアデートの後半戦がなかったとしても、俺は本日の透史の躊躇いに『太ったからか?』と訊いただろう」

「え、それは」

視線を外向け、陽嗣は俺の疑問には答えず、質問を投げかけてくる。

「生クリーム一パックのカロリーはどのくらいだか、知っているか?」

「ううん、知らない……」

「約700キロカロリー。砂糖を投入するので、さらにカロリーは増大する」

生クリーム……ミルクレープの層に挟まっているやつだ。

「でもそれくらいなら、大したことないよね」

「手鏡サイズのミルクレープを作るのに、一パックと半分は使うな」

「え、結構使うんだね」

「生クリームは泡立てて使う。つまり空気の泡の集合体が嵩を増しているんだ。クレープで挟んで使う構造上、間の生クリームはたっぷり盛らなければ、きれいな層は作れない。つまりそれだけの量が必要だ」

なんだか俺はだんだんときな臭さを感じていた。

淡々と解説する陽嗣の姿が、目的邁進に怖いほど一途になる、かつて目撃した姿と重なる。

「ミルクレープの土台に使うスポンジケーキ。

材料はバターに玉子に砂糖に小麦粉というオーソドックスなものだが、デコレーションを施す前のケーキ相応のカロリーは充分にある」

「ん…でも、土台に使うほんの数センチの高さのスポンジだし……トータル的には、問題にならないカロリーじゃあ」

「ふむ、ということはだ、透史。君はクレープにカロリーがないと思っている?」

「ゼロってことはないだろうけど、材料はせいぜい小麦粉と玉子ぐらいだよね」

「ほかに牛乳を使う。バターも多少加えている。そして、何より砂糖が含まれる」

「え、砂糖が?」

いままで何度も食べてきて、クレープ自体の甘みなど感じたことはなかった。

「それが甘味料の恐ろしいところだな。甘みに舌が鈍化する。より甘いものの前では、ふつうの甘みは感じなくなる」

「えっと、じゃあ、甘く感じなかったあのクレープにも、実は砂糖が、結構な量……?」

「俺も最初作ったときは引いたな。『スポンジと生クリームにあれだけの量の砂糖を使っているのに、さらにこんなに!?』って。しかしクレープ生地から砂糖を抜くと、固い生地になってしまってな。ぎょっとするような量の砂糖も必要経費だ」

このころになると、肩に重く圧し掛かってくるものを、俺は感じ取っていた。

圧し掛かったものの正体は、おそらく、敗北感。

おうちデートのたび、俺は陽嗣の手作りスイーツを喜んで食べていた。それこそ最初の頃は形が悪かったり、クレープが固かったりと欠点はあったものの、回数を重ねるたびにそれらはなくなり、比例して俺の独り占めする量も増えて行った。

製菓の技術を熟練させていく、菓子職人めいた陽嗣の顔のその裏には……別の顔があったのだ。


もはや言葉も出なくなった俺を置いて、陽嗣は部屋を出る。すぐに戻って来たが、その手にはいつものような手作りスイーツでなく、スマホ端末と、自転車の空気入れ、小さなバッグがあった。

ぼんやりする俺の顔を見て、陽嗣はニヤリとする。

「体重増加を気にする透史に、スイーツ進呈を取りやめ、今日からは減量プランを進呈することにしようか」

「げ、減量プラン……」

「昨日も提案したコースだが、サイクリングロード隣県まで行く20キロばかりの距離だ。まあミルクレープケーキの一切れ分くらいはカロリー消費ができるだろう」

「にっ、20キロなんて、そんな無理に決まってるよ…」

「いやいや、20キロと聞くと相当な距離に思えるが、実際は大したことはない。中学の時、透史は自転車通学だったんだろう? 自宅から中学までの距離は5キロだ」

「う、うん」

「学校について忘れ物を思い出して、自宅に引き返すこともなかった訳じゃないだろう」

「ん……まあ、そういうことも何度かあったけど」

「学校まで5キロ。引き返して5キロ。再び学校目指して5キロ。下校時刻を迎えて帰宅で5キロ。充分20キロを達成しているじゃないか」

「あ、えっと、そうだけど……」

微笑み、陽嗣は空気入れと小さなバッグを差し出してくる。

「タイヤの空気だけは満タンにしておいてくれ。細かい整備は難しいかもしれないが、チェーンに油を差しておくくらいはしておいたほうがいいな。俺の工具セット、持って行っていいから」

「え、いや、その」

なんだか、ひしひしと感じる。陽嗣のペースに巻き込まれていくのを。ひしひしと……。

「そういえば透史のお父さんが言ってたな。今月は透史の自転車を新しく買って散財したって」

家庭教師の件のあと、古い自転車は処分し、新しい自転車を買ってもらったのは確かだ。

「新しい自転車の試乗に、いいと思うがな。距離的にも体重的にも」


……ああ、もう、俺はそろそろ認めよう。

陽嗣は提案するプランを、むざむざ俺にはぐらかされてなんかいなかったって。

断られても、話題を変えられても、心の奥底の熱望の炎は消えるどころか、ますます燃え盛っていたんだ。

……だって幕内陽嗣は、そういう男だから……。

スイーツ作りの上達に始まり、俺の中学までの距離を下調べする周到さ、父さんからの話題収集も余念がない。減量せざるを得ないところまで俺を追い詰め、俺の意思でアウトドアデートに参加するよう仕向ける。

そう……陽嗣の裏の顔は、フォアグラ牧場で、ガチョウに給餌する熟練の餌やり職人も同様だったのだ……。


俺は挑戦的にバッグと空気入れを受け取る。

おっ、と陽嗣が目を丸くする。

バッグを握る手に、ぎゅっと力がこもるのを感じる。

同時に、身体の奥底で、肝が据わるのを自覚していた。

……やってやろうじゃないか、たかだか20キロくらいのサイクリング……。

かつて陰惨に追い込まれ窮地に立たされたことのある俺は、陽嗣に救われた。救われ、無事だからこそ、追い込まれた経験を糧にできるのだ。迎撃だって、経験済である心の余裕から生まれてくるものなのだ。

俺は陽嗣が持つ端末を取り上げる。マップを示している画面に指で触れ、拡大する。適当に左右に動かし、目的のマークのついた建物のところでストップした。

端末を陽嗣に返す。

俺は余裕綽綽っぷりを笑顔に載せるよう努力した。

「俺の減量プランを真剣に練ってくれて嬉しいよ、陽嗣。だけど運動だけで減量しようなんて効率が悪いんじゃないかな」

「効率が悪いかな?」

「プラスアルファで、もっと効率的にカロリーを消費する方法があるというのに。陽嗣ともあろう人が気づかないなんてね」

俺が指差す画面を、陽嗣はまじまじと覗きこむ。

彼の顔が真っ赤に染まった。

俺が示していたのは、ホテルのマーク。いわゆるラブホだ。

完全に言葉を失っている陽嗣。耳まで赤くなった顔を、背けたり、傾けたりしているが、熱気で真っ白になったメガネの曇りは、当分のあいだ引きそうになかった。


奸計に追い込まれることもあるけど、俺と陽嗣の関係は決して一方的なものじゃない。

カエルと蛇のような、捕食されるだけの存在じゃない。

こうして一矢報いることもある。対等な関係なのだ。

だからきっと、ずっと一緒に仲良く居られる。俺はそんな気がした。

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