エンティナ領編ー30
曇天に消えたメフィスト・フェレスの後姿を目に焼き付けた俺は両手に持った短剣を鞘にしまうと安堵のため息を漏らした。
「セレナ様、お体の方は……」
「わ、わたしは平気です。それよりもシエル、シエルを」
「分かってる。ドワ娘、頼む。シエルを医者の所まで連れて行ってくれ」
「うむ、任せておくのじゃ」
「くれぐれも慎重に頼む。それからセレナ、お前も今は身体を休めた方がいい。ラフィテア、彼女に付いていてあげてくれないか?」
「わかりました」
「それで、おぬしはどうするつもりなんじゃ?」
「俺か? 俺はオバロと決着をつけてくる」
「一人で行くつもりなのですか?」
「あぁ、そのつもりだ。メフィストがいなくなった今、エンティナ領の脅威はほぼ取り除かれたと思っていいだろう」
「そうかもしれませんね」
「だが被害がなかったとはいえ、オルメヴィーラの領に攻め入ってきたんだ。どういう形であれ奴には責任を取ってもらう」
メフィストの言葉を信じるなら、オバロは操られてはいなかった。
このまま捨て置いてももうやつにどうすることも出来ないかもしれないが、シエルに託された以上、きちんと全てを終わらす必要がある。
「――オルメヴィーラ公、わたしもついて行きます」
「セ、セレナ様」
「無茶を言うな。立ってるのがやっとじゃないか」
「いいえ、シエルに比べればこの程度大したことはありません」
「いや、そうかも知れないが……」
「剣王ロメオ・ベータグラムの娘として、いえ、エンティナ領主オバロ・ベータグラムの妹として、わたしは、わたしの手で兄を止めなければならないのです。それがベータグラム家の者としての最低限の務め。もし連れて行っていただけないのなら、わたしは一人でも兄の元に向かうつもりです」
まっすぐ前を見据え、覚悟を決めた力強い瞳。
もし、いま彼女を連れていかなければ一人這ってでもオバロを探しに行きかねない。
「……はぁ、わかった、わかったよ。連れていけばいいんだろ」
「感謝致します。オルメヴィーラ公」
「ただし絶対に無茶はするなよ。それから念の為、覚悟だけはしておけよ」
「わかっています」
「ラフィテア、悪いがそういう訳だ。お前も付いてきてくれるか?」
「勿論です」
「ドワ娘、それからみんな、俺たちはエンティナ領主の元に向かう。シエルの事、くれぐれも頼んだぞ」
「「はい」」
シエルを託しドワ娘達と別れた俺たちは冷たく冷え切った門を押し開けると、人の気配がまるでない大きな屋敷へと足を踏み入れていった。
陽の差し込まぬ屋舎はやけに暗く、火の灯る事ないランプが寂しく等間隔に並んでる。
物音一つせず、雪の舞い散る音でさえ聞こえてきそうな静けさの中、屋敷中央にある中庭に男が剣を手に持ち一人空をずっと眺めていた。
「エンティナ領主オバロ・ベータグラムだな」
男は顔を動か全さずぎろりと目を剥くと、それから瞬きせずゆっくりとこちらを向いて見せた。
「あの女、メフィストはどうした?」
「さぁな」
「そうか、まぁいい。お前は確かオルメヴィーラの領主だったか。それにラフィテアとセレナか。……ちっ、どいつもこいつも、みんな俺の邪魔ばかりしやがる」
「オバロ、お前、自分が何をやったのか分かっているのか」
「当然だ」
「お前のせいでどれだけの領民たちが苦しんだのか分かっているのか!」
「よそ者が、余計なお世話だ! ……領主が自分の領地で好きにやって何が悪い。税は領地を維持する為に、国を守る為に、ひいては魔族からお前らを守るために必要だというのに、下民共は何にも分かってはいない。あまつさえ生活が苦しいからと言ってこの俺に剣を向け殺そうというのだ! それ相応の罰を受けるのは必然の帰結」
「領民はお前の奴隷じゃないんだぞ。領民あっての領主だと分からないのか!」
「領民あっての領主? 何をくだらないことを。我々が守ってやらなければ、我々が恵んでやらなければ何もできない癖に何を言っている。だから愚か者は困るというのだ。どいつもこいつも、セレナ、セレナと、この俺を蔑み父上の実子でもない赤の他人を祭り上げようと」
「お前――」
「確かにわたしは父様の本当の子ではありません。――ですが、父様を本当の父親として、そしてオバロ兄さまをずっとずっと尊敬していました」
「何が尊敬だ! ずっとずっと俺を侮蔑の目で見下していたお前が! お前のせいで俺がどれだけ惨めな思いをしていたか知らないと言わせんぞ!」
「オバロ兄さま……」
「領民の奴等もそうだ。みな俺の事を剣王の出来損ない、ベータグラム家の錆だと賤しめやがって。……だから、教えてやったのさ。お前らはその出来損ないにも及ばない、ただのゴミくずだという事をな!」
「お前っ!」
「もう少しで何もかもが思い通りにいくはずだった。だというのにオルメヴィーラの領主、貴様がすべてを邪魔したのだ」
「だから、エンティナ兵をオルメヴィーラの領に攻め込ませたのか」
「そうだ。この俺が貴様に代わってわざわざオルメヴィーラの領に転がっているゴミ共を片付けてやろうと思ったのさ」
「兄さま何てことを……」
「俺はすべてを失ったのだ」
「オバロ、剣を捨て投降するんだ。そうすれば命だけは助けてやる」
「助けてやる? ふん、お優しい事だ。優しすぎて涙が出てくる」
剣を握り、空を見上げたオバロのその両頬にはすぅーっと一筋の涙が流れていた。
「……父上、どうやら俺は父上の様に皆から愛される立派な領主にはなれないようです」
誰にも聞こえない様な小さな声でボソッと呟くと月に向かい剣を掲げ大きく振り下ろした。
オバロの一撃を左右の短剣で交差するように受け止めると、オバロの剣は火花を上げ刀身の根元から切断され、折れた刃は弧を描き草むらに転がり落ちていった。
武器を失ったオバロは観念した様子でグリップを投げ捨てると震える手で自分の身体を抱きしめゆっくりその場に膝をついた。
「――殺せ」
そう呟くと、男は黙って目を瞑って見せた。
舞い落ちる灰雪の中――
細身の身体に白銀の鎧を身に纏った女神はスッとフルーレを引き抜くと、いつの間にかラフィテアの手を跳ね除け、男の前に立ち躊躇すること無く心の臓を貫いた。
彼女の剣が寸分の狂いなく目標を打ち抜くとその剣先からゆっくりと赤い血がしたたり落ち、引き抜いた傷口からは大量の血があふれ出した。
一瞬遅れて激しい痛みが遅ってくる。
くっ!
傷口を抑えた俺の手にはべったりと生暖かい血が付着していた。
彼女は何が起こったのか理解できていないようで、鮮血の剣を握ったまま呆然と立ち尽くしていた。
……はぁ、はぁ、はぁ。
後ろを振り向くと男が腰を抜かし、震えながら彼女を凝視していた。
やれやれ。
なんでこいつの為に俺が身を犠牲にしなければならないんだ。
……だが、本当に良かった。
こいつの為に彼女が手を汚す必要なんかない。
オバロは決して許されないことをした。
取り返しのつかない事だ。
だが、これは俺たちが裁くべきことではない。
王国に連れてゆき、きちんと調査したうえで裁かれるべきだ。
ましてや、兄妹であるセレナにそれをやらせてはいけない。
そう思った時、俺の身体自然とオバロを庇う様に動いていた。
「どうして――」
涙にぬれたセレナの顔がぼんやりと映っている。
――しかし、死ってのはこういう感じなんだな。
傷口は激しく痛むのに身体は冷え手足の感覚が失われ、視界はぼんやり暗く、そして次第に消えていく。
「――ラック様っ! ラック様ぁぁあっぁ!」
ラフィテアの酷く泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
みんな、すまない。
あとは、たの、ん、だ……。
「領主さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
名を呼ぶ声は徐々に小さくなり、やがて俺の意識は闇に吸い込まれていった。




