エンティナ領編ー20
先の戦闘で重傷を負った者達を残し到着した白亜のマグレディーは数日前の騒乱がまるで嘘だったかの様に酷く静まり返っていた。
ただ、あの白く美しかった街並みは血で赤く染められ、街頭や橋、建物の一部は崩れ落ち、折れた剣や亡骸は今もそのまま打ち捨てられていた。
人の気配はするもののエンティナ領主の報復を恐れてか誰一人として姿を見せることはなく、皆建物の中で息を潜めただじっと外の様子を窺っている。
俺たちがドウウィンを経由してマグレディーに到着するまで、更にはこうして街中を進む今も一人としてエンティナ兵の急襲はない。
やはりあの小丘での戦いにほぼすべてのエンティナ兵が参加していたのだろう。
こうして追撃がないのは幸いなことだが、余りにも愚かだ。
まさかこちらの戦力を把握していなかったのか?
いや、だとしたら尚更俺たちを殲滅する為だけに守りを捨て全ての兵力を注ぎ込むなんて正気の沙汰じゃない。
念の為、サビーナ村に警戒するようにと馬を走らせたが、こうして足を一歩前に踏み出すごとに得も言われぬ不安に襲われる。
人は理解出来ないものに遭遇すると恐怖を覚えるというが……。
オバロ・ベータグラム
お前の目的は一体何なんだ。
見上げればエンティナ領主の屋敷へ通じる最後の坂道。
吐く息は白く、空はいつしか雲に支配されていた。
「セレナッ!」
ラフィテアの悲鳴にも似た叫び声は彼女に伝わることなく白の大地に吸い込まれていった。
ようやくたどり着いた決着の地。
そこで待っていたのは小剣を片手に白銀の鎧を纏い虚ろな目をした一人の女騎士だった。
今にも飛び出していきそうな様子のラフィテアを手で制すると、俺は彼女の背後にいるもう一人に向かって短剣を投げ放った。
「なっ」
驚いたラフィテアを尻目にセレナの首を掠めるように放たれた短剣は何もないはずの空間に突き刺さると、それから少しして地面に転がり落ちた。
「――さすがに姿を消しただけじゃ、気付かれちゃうわね」
「気配を察知するのは得意なんでね。こうしてここまで来たんだ。折角だ、姿を見せてくれてもいいんじゃないか?」
「そうね。このままここで貴方たちの死に様を見て楽しもうと思っていたのだけれど、残念」
そう口惜しそうに言うと、黒赤色のベールを被った女がセレナの背後から忽然と姿を現した。
「……お前が、メフィスト・フェレスか」
「あら、わたしの事をご存じなんて光栄ですわ」
「ご存じ、なんて程じゃないけどな」
「初めまして、いえ、二度目になるのかしら、オルメヴィーラの領主様」
「こうして面と向かって会話をするのは初めてだけどな。そんな事より、お前。セレナ・ベータグラムに一体何をした」
「何ってそれは――」
彼女は俺の問いかけに妖艶に微笑みセレナの首に手を回すと、こちらを見ながら頬伝いにベロを下から上にゆっくりと這わしてみせた。
「貴様ぁっ!」
「あら、嫌だ。そんなに怒っちゃ、折角のエルフの美人な顔が台無しよ」
「余計なお世話です! 貴様っ! 死にたくなければセレナ様から離れなさいっ!」
「あら怖い。でも、だーめ。だってこの娘はわたしに従順なおもちゃなんですから」
「おもちゃだと」
「……ラック様、申し訳ございません」
ラフィテアはそう一言謝罪を口にすると、突然俺の手を振り払い細身で先端の鋭く尖ったレイピアをメフィスト目掛けて抜き放った。
並みの使い手、いや一流の騎士にも劣らぬ鋭い一閃。
もし一対一の決闘なら、この一太刀を無傷で躱せるものはそう多くはないだろう。
しかし、ラフィテアの剣がメフィストに届くことはなかった。
「無駄、無駄」
彼女の放った一撃は激しい金属音と共にセレナの一振りによって跳ね返され、レイピアは上空に弧を描くように高く舞い上がり、無残にも刀身から真っ二つに折れたそれは地面に深々と突き刺さった。
「言ったでしょ? この娘はわたしの物なの。わたしを守るためだったらこの娘、喜んで命も差し出すわ」




