領地対抗戦ー60
――少しでも気を緩めれば簡単に押しつぶされてしまう
咄嗟に風の領域を展開したセレナは巨大な水の牢獄に飲み込まれまいと魔法の維持に意識を集中させる。
もし、セレナにロアと同程度の魔法の素質があったなら、彼女の”水の牢獄”を押しのけることが出来たかもしれない。
しかし、今のセレナでは自分の間合いの倍程度の空間を展開するのが限界だった。
そしてそれはそう長くは持たない。
このままではやがて魔素は枯渇し、その先に待つのは敗北。
もう彼女は一秒たりとも時間を無駄には出来なかった。
セレナは大きく息を吸い込み得物を構えると、剣に纏わす風の刃の様に領域の風を操っていく。
不規則に流れていた風が徐々に渦を巻く螺旋へと変わり周囲の水の流れさえ支配する。
それはロアの水龍をかき消してしまう程の激しい渦となり、伸びた暴風の竜巻は瞬く間に水の牢獄を駆け巡り、その先端はネージュ・ロアにまで達していた。
長く伸びた領域の先で交差する二人の視線。
刹那、セレナは躊躇することなく足を踏み出すとそのまま一気に風に乗り、剣を抜き待ち構えるロアに渾身の一撃を放っていた。
再び対峙する二人の剣聖。
彼等を乗せた風の螺旋は巨大な水牢を我が物顔で暴れ、ロアの水龍と何度も何度もぶつかり合う。
「――咄嗟に領域を展開させるとは流石ですね、セレナ」
「いいえ。あなたと剣を合わせ私は自分の未熟さを痛感するばかりです、ロア」
「そんなことはありません。セレナ、あなたは十分強い。この私なんかよりもずっと」
「何を――」
「私の力は所詮借りものの力。この六眼の力がなければきっと私はここにいなかった」
「……ロア」
「さて、無駄話はこの辺にして、そろそろこの戦いに終止符を打つとしましょう」
重なり合う剣を振り払うとロアはセレナを押しのけ小さく笑みを浮かべた。
セレナの正確無比な攻撃によって全身に傷を負ったロア、その一方で魔素を使い果たし肉体的にも精神的にも限界が近いセレナ。
二人の内どちらかが勝利を手にするのは時間の問題。
息を飲む観客たちの視線が集まる中、二人の剣が激しくぶつかり合う。
やはり剣の腕はほぼ互角。
いや、技術だけならばセレナに軍配が上がっただろう。
だが、卓越した剣技を持ち合わせていようともそれで簡単に倒せるほど目の前にいる剣聖は安くはない。
セレナがどう動き、どこを攻撃し、どう守るのか、六眼の力を持つロアにとってセレナの動きを把握するのは造作もない。
ましてこの閉ざされた空間では”白い閃光”であるセレナ本来の力を発揮することは難しい。
剣を構え風の刃を放とうとするセレナに対し、ロアは距離を取り体勢を整えると片手で剣を持ち左手で小さく舞ってみせた。
下から上へ、そして右から左へとゆっくり流れる様なたおやかな動き。
それは思わず見とれてしまう程美しく無駄のない所作。
だが、それがただの舞いではないことを彼女は本能的に理解していた。
本来ならばもっと周囲に警戒を払い、攻撃の手を止めるべきだったのかもしれない。
しかし、セレナには時間がなかった。
――彼女の剣から放たれた”風の刃”
その刹那、鋭い何かが風の領域を突き破りセレナの右足を貫いていた。
彼女は思わず苦痛の声を上げ、風の刃がロアを捉えることはなかった。
ロアが舞う度にセレナを襲う無数の線。
上下左右、あらゆる角度から撃ち込まれる攻撃をセレナは寸でのところで躱し剣で切り払うが、それは手ごたえなく散り散りになり幾つもの小さな水滴となって辺りに飛び散っていた。
ここはセレナが展開した風の領域の中とはいえ、未だロアの“水の牢獄”に囚われている。
風の螺旋を突き破りセレナの足を貫通したのはロアが放った超高圧の水流。
対象物を抉り取りいとも簡単に切断するそれはまるでレーザービーム。
セレナの軽装ではとても防ぐことは出来ない。
ましてや今の彼女は風の衣を纏ってはいない。
超高圧の水流がセレナの頬を掠め、腕を撃ち抜き、赤い鮮血に悲鳴が上がる。
水牢の籠の中のセレナに逃げ場はなく死の雨が地から天、天から地へと際限なく降り注ぐ。
攻撃の手を止め防戦一方となったセレナは何とか致命傷を回避していたが、次第に彼女の身体は赤い血で染まっていく。
このままではジリ貧。
だが、六眼の前にセレナの動きは全てロアに見切られている。
セレナがロアに勝つためには六眼の力をもってしても回避することのできない絶対の一撃が放つ必要がある。
そんな事がこの私に可能なのか?
牢獄の水圧に領域が歪み、徐々に空間が崩壊を始めている。
「魔素の残量もあと僅か、か」
風の領域もそう長くは維持できない。
――負けたくない。
絶体絶命の中、その強い想いだけが彼女を突き動かしていた。
一か八か、セレナは残されたすべての魔素を剣に込めると、決死の覚悟で螺旋の渦に乗りロアとの最後の勝負に打って出た。




