モレアルの聖女と不穏な影ー3
強力な魔法ほど大量の魔素を必要とするとラフィテアは言っていたが、一向に魔法陣が満たされる気配はない
――まるで全身の力が吸い取られるみたいだ。
右手と同様、左手に描かれた魔法陣にも魔素を注ぎ込んでみたが、結局全体の一厘にも満たない程の量で俺の魔素は底を尽きてしまった。
「ご主人様、大丈夫?」
仰向けに倒れた俺を心配したのか肩に乗っていたクロは地面に飛び降りると、自身の身体から影を長く伸ばし置いてあったカップを掴むと、温かいお茶を器用に注ぎ俺の元まで持ってきてくれた。
「悪いな、クロ」
俺は何とか上半身を起こしカップを受け取ると、冷えた体にお茶を流し込んでいく。
まさか、魔素を使い切ると全く動けなくなるなんて……。
魔素自体は自然と回復するようで少し休むと問題なく動けるようになったのだが、今後魔法を使う際は注意が必要だ。
「それにしてもクロ、お前どういう仕組みで動いているんだ?」
「どういう?」
「あぁ、お前は俺の影なんだろ?」
「そうだよ」
「なのにちゃんと意識、考えて行動しているじゃないか」
「うーんと言葉でうまく説明するのは難しいんだけど、クロはご主人様の思考を感じ取って動いているだけ。だから正確にはクロが考えてるわけじゃないんだ」
「つまり、俺がお茶を飲みたいと思ったからお前がそれに従って動いたって事か」
「そういう事」
「なるほど。……それにしてもさっきの影、あれは便利だな。器用にお茶を入れたり、物を運んだり。あれってどの程度まで伸ばせたりするんだ?」
「影の長さはご主人様の魔素量に比例するから今だと数十メートルが限界かも。それからクロ自身もご主人様の魔素に影響を受けるから、ご主人様からあまり離れたりは出来ないよ」
「色々と制約はあるわけだ」
クロの便利さに感心しつつも、お茶を飲んで一息ついた俺は再度左手の魔法陣を観察していた。
それにしてもこの左手の魔法陣は一体どうなっているんだ。
いくら俺の魔素量が少ないとはいえ、あれだけやって全く足りないなんて。
幸いな事に注いだ魔力はそのまま蓄積されている様だが、いつになったらこいつの正体が分かる事やら。
……まぁ、気長にやっていく他ないか。
しかし、やはりこの両手の魔法陣は奴等が俺に与えた“特別な力“ってやつに間違いなさそうだ。
今すぐ何かが起こるとは考えづらいが正体が分からない以上、こちらも警戒しておく必要はあるだろうな。
農業街モレアルはカリオン湖北部、リアナ川河口に存在するツールナスタ領第二の都市である。
大ルアジュカ山脈を源流とするリアナ川はカリオン湖に通じる河口までツールナスタを東西で二分するように縦一直線に流れており周辺の肥沃な土地を潤している。
右手に目を向けると農業用の水路が等間隔で整備されており、この時期は農民たちが総出で麦やトウモロコシの植え付けを行っている。
一方、俺たちが走っている街道沿いでは区画ごとに様々な果樹や野菜が育てられていて、この地がツールナスタ領のみならずユークリッドを支える農業基盤となっていることが窺い知れる。
変らぬ景色、広大な農作地をしばらくのんびりと走っていると突如目の前に大きな湖が飛び込んできた。
始めて見た者ならそれが海であると勘違いしても全くおかしくはないだろう。
大陸一の大きさを誇るカリオン。
そして河口から湖岸に広がるのが農業街モレアルである。
クロは帆船の淵にひょいと飛び乗ると吹き寄せる風もなんのその。
落ちる気配もなくトコトコと船首まで歩いていき、目の前に広がるカリオン湖を眺めていた。
「おい、クロ。そんな所にいて風に飛ばされて落ちても知らないぞ」
「ご主人様、大丈夫。だってクロは影だから」
確かにそう言われてみればそうなのだが、どうも見ているこちらが冷や冷やしてしまう。
しかし、クロの言う通りどんなに強い風が吹こうがいくら船体が揺れようが、何もなかったようにクロは平然としている。
「――あれは一体何なんじゃ?」
いつの間にか甲板に顔を出していたドワ娘が訝しげな眼付きでクロの事をじっと観察していた。
「何って言われてもな。クロは俺の影。ちゃんと説明しただろ?」
「そうじゃが、影が意思をもって動き出すなど聞いたことがないぞ。……おぬし何か隠している訳ではあるまいな?」
「そんな事ない。それに俺にだってどうしてこんなことになったのかわからないんだ」
「本当かのう。まっ、おぬしに危険がないなら良いんじゃが」
ドワ娘、相変わらず鋭い奴だ。
例の魔法のせいで影が意思を持ちクロとなったあの日、俺は面倒ごとになりそうなのを承知でこいつの事を皆に話すと決めた。
正直隠しようがなかったのもあるが、こいつに危険なものを感じなかったというのも大きな理由だ。
「――しかし、みんなにどう説明したらいいもんか」
「そんなに悩むこと? ご主人様」
「そりゃそうだろ。本当の事を説明しても誰も信じないだろ?」
「うーん、そうかな? きっと大丈夫だと思うけど」
「お前のその自信はどこから来るんだよ」
「クロはご主人様の影だからね」
「俺はそんな自信家じゃないぞ。さて、どうしたもんかな」
「ご主人様に代わってクロから皆に話してみようか?」
「なんて説明するつもりだよ」
「ご主人様の影から生まれたクロです。みんな、これからよろしく……かな?」
「――それで信じると思うか?」
「すぐに信じてはくれないかもしれないけど、みんなご主人様を信頼しているから納得してくれるとは思うよ」
信頼しているから、か。
「わかった。クロ、お前の言う通り下手に誤魔化すより事実をそのまま話そう。第一皆に嘘をつく必要はないからな」
「うん、そうだね。それじゃ、この件はクロに任せてよ、ご主人様」
「いや、俺からちゃんと説明するさ。……まっ、この両手の魔法陣や奴等の事はまだ内緒にしておくけどな」
しばらくカリオン湖を眺めていたクロだったがドワ娘が甲板にいるのを見かけると、ふっと影の中に潜り込み、いつの間にか俺の足元にお行儀よく座っていた。
「フレデリカ様、クロに何か聞きたいことでも?」
「っ!」
クロが突然降って湧いたように二人の間に現れると、ドワ娘は慌て驚き思わずその場から飛び退いた。
より一層怪訝な面持ちでこの怪しい黒猫を警戒する、ドワ娘にクロは申し訳なさそうに頭を垂れて謝罪した。
「フレデリカ様。驚かせたみたいで、ごめんなさい」
「べ、別に驚いてなどおらぬは!」
いやいや、滅茶苦茶驚いてたじゃないか。
確かにクロには全く気配がない。
影だから当然と言えば当然なのだが、突然現れるクロに俺も慣れるまで内心ずっと驚いていたのだ。
ドワ娘の慌てぶりに思わず吹き出しそうになったが彼女のジト目に気づくと、すぐさま咳払いをして誤魔化した。
「――オルメヴィーラ公、そろそろモレアルに、……どうしたのです、フレデリカ」
「何でもない! ただ、この怪しい影が悪さをしないか見張っておっただけじゃ」
見張ってたのかよ!
「それはそれはご苦労様です」
「ご苦労様って……、おぬしはこのクロとやらを何とも思わんのか!?」
「全く気にはならないと言えば嘘になりますが、ここ数日の行動から特に差し障りないと思っただけです」
セレナは眼光鋭くクロを上から下まで見据えていたが、問題ないと判断したのかすぐさま普段通りの優しい表情に戻っていた。
「それより、セレナ。俺に何か用か?」
「えぇ、実は農業街モレアルに私の古くからの友人が一人いるのですが、もしオルメヴィーラ公の許可さえ頂ければ彼女も領地対抗戦に連れていきたいと考えています」
セレナの友人?
彼女が推薦するくらいだからきっと優秀な人物なのだろうが――
「別にそれは構わないけど、オルメヴィーラ領代表として勝手に参加させるのはまずいんじゃないのか?」
「いえ、それは問題ありません」
「問題ない?」
「はい、彼女は対抗戦には出場しませんから」
この作品を少しでも「面白い」「続きが気になる」と思って頂けたら下にある評価、ブックマークへの登録よろしくお願いします('ω')ノ
また、ブクマ、評価してくださった方へ。
この場を借りて御礼申し上げます(/ω\)




