モレアルの聖女と不穏な影ー2
緊張とは裏腹にあたりは静寂に包まれていた。
……どうしてなにも起きない。
間違いなく魔法陣は完成した。
そして魔法も発動したはずなのだが、一向に何も起こる気配がない。
どうなっているんだ?
拍子抜けとは正にこのこと。
まるで詐欺にあったような気分だ。
そもそもあの出来事すら幻のような体験だったんだ。
本当に夢だった可能性だってある。
何が力を与えるだ。
手にはびっしょり汗をかいている。
余程緊張していたのだろうか。
騙された感は否めないが、何も起こらなかったことに俺は少し安心していた。
「なら、この魔法陣は一体――」
いまだに掌にあるこの謎の魔法陣。
腰を降ろし何度も見返すが何の変化もない。
いつの間にか焚火の炎は小さくなり、薪が炭となり音を立てて崩れてゆく。
新しい薪を数本投げ入れると大量の火の粉が舞い上がり、水分を含んだ木材はパチパチと音を鳴らし、しばらくすると先程よりも火の勢いが増し、辺りを煌々と照らしていた。
異変に気付いたのはそれからすぐの事だった。
なんでそこにある。
それは決してそこに存在していいものではなかった。
どうして俺の影がそこにある!?
そもそも影とは物体によって光が遮られた暗い部分の事。
焚火を背にしているならいざ知らず、どうして目の前に俺の影が存在している。
俺は咄嗟にその場から飛び退くと短剣を構え臨戦態勢を取るが、俺の影はその場から動くことなくじっとこちらを見ていた。
何がどうなっているんだ。
投擲用のナイフを取り出すと動かぬ影目掛け投げ放つが、鈍い音を立て地面に突き刺さっただけだった。
あれがさっきの魔法だって言うのか?
それ以外に思い当たる節がない。
微動だにしない影を相手にしばらく様子を見ていると、突然一部が数メートル伸びたかと思うと、実体のないはずの影が地面に刺さった短剣を掴み浮き出てきたのである。
「――ご主人様、いきなりこんな物騒なもの投げつけるなんてあんまりじゃないか」
影が、喋った!?
「お前は誰だ!」
「誰、と言われてもご主人様の影としか……」
「ご主人様ってまさか俺の事か?」
「そうだよ」
「お前が俺の影?」
「うん。さっき“影の召使”シャドーサーバントの魔法を使ったよね?」
「これはつまりあの魔法のせいなんだな」
「せい、と言うか、まっ、そうだね」
こいつ“影の召使”シャドーサーバントと言ったか。
それがこの右手に刻印された魔法の正体。
「お前に色々と聞きたいことがあるんだが、その自分の影と話すのはどうも変な感じがしてしょうがない。……影なんだ、姿形自由に変えられないのか?」
「もちろん出来るよ。なにかご主人様の要望があればそれになるけど」
「要望?」
「うん」
まぁ、何でもいいけど、人の姿よりは動物の方がまだましか。
「じゃ、猫の姿になる、なんてことは出来るか?」
「任せてよ」
影の召使、シャドーサーバントは地面の上で恭しく一礼すると瞬きする間もなく一瞬でその姿を変え、まるで本物の猫のように大地の上に立っていた。
「それでご主人様、聞きたいことってなんなのかな?」
「俺がさっき使った魔法を“影の召使”と言っていたが、あれはどういう類の魔法なんだ」
「文字通りご主人様の影を召使にする魔法。ご主人様の命令通りに動き忠実に仕える下僕、そう思ってもらって間違いないかな」
下僕って。
「けど命令通りって言っても影だろ? 何が出来るっていうんだ」
「色々あるけどさっきみた物を掴むことも出来るしその逆も。他にも色々姿を変えたり、見聞きしたことをご主人様と共有したりも出来ちゃうよ」
「なるほど」
それはなかなか便利かもしれない。
「他になにか聞きたいことはある?」
「あぁ、もちろんある。お前、俺があの不思議な空間であった奴等の事で何か知っていることはないか?」
「……うーん。影はあくまでご主人様の影。ご主人様の知らないことは影も知らない。こうやって喋っている言葉もご主人様の知識の中から選んで使っているだけだからね。唯一の例外はこの魔法の事に関してだけかな」
俺の知っている事しか知らないか。
そう簡単に尻尾を掴ませてはくれないみたいだな。
「そう言えば、お前名前は無いのか?」
「名前? 呼び名なんかないよ」
「それじゃ不便だろ」
「そうかな。影を呼ぶのはご主人様だけだしそうは思わないけど。必要ならご主人様が付けてよ」
「俺が付けるのか?」
「もちろん」
また俺が名前つけるのか。
こういうの本当に苦手なんだよな。
……黒い猫って言ったらこれしか思い浮かばないぞ。
「じゃ、今日からお前の名前はクロだ。それでいいか?」
「うん、わかった。今日からクロだね。よろしくご主人様」
「それじゃ、今日のところはもう帰っていいぞ」
「……帰る?」
「あぁ、そうだ。もう用事はないから帰っていいぞ」
「ご主人様、クロはご主人様の影なんだよ」
「それがどうかしたのか?」
「クロは言わばご主人様と一心同体。クロはご主人様が死ぬまでずっと一緒だよ」
――嘘だろ。
「ご主人様、これからよろしくね」
クロは俺の肩にひょいと乗るとまるで本物の猫のように頬ずりしてみせた。
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