エニグマの忌み子ー3
髭を蓄え、銀細工の施された眺めのパイプを咥えた男が、絵筆を片手に白のキャンパス前でモクモクと煙を吹かしている。
丸太で組み上げられたその建物はその老人が住む家というよりは絵を描くためのアトリエと言った方がいいのだろう。
この立派なログハウスの隣には小さな掘っ立て小屋もあり、どうやら寝泊りはそちらの方でしているようだ。
ログハウスの中は外見から想像するよりも狭く、天井は吹き抜けで解放感はあるものの、足元には紙屑やら絵画の道具が散乱し、乱雑に並べられたキャンパスが来訪者の侵入を拒んでいた。
絵具独特の匂いに顔をしかめながら部屋の中を見回すと、壁には樹木の肌が見えなくなるほどの絵画が飾られている。
素人の俺がいうのもなんだが、緻密に描かれたそれらはかなりの完成度であると言えよう。
街並み、山道、田舎町、川など多種多様な題材が並んでいるが、全ての絵で共通して言えるのが一人の女性が必ず描かれているという事であった。
――この男の想い人なのだろうか。
どの絵画も彼女を中心に構図が練られており、作者の気持ちがこちらにも伝わってくる。
ただ、その壁に飾られた絵はすべて未完成品であった。
どうして素人の俺がそう断言できるのかと言えば、それはその絵に描かれている女性の顔だけがすっぽりと空いていたからに他ならない。
クロマから教えてもらい到着した場所はマグレディーからオルメヴィーラ領とは丁度正反対、人里離れたエンティナ領の果てにある渓谷の袂であった。
なぜクロマがオズワルドの居場所を知っていたのかと言いうと、なんでもオズワルドは数ヶ月に一度大量の画材や食料をまとめて商会に注文し、遠く離れたこの場所まで届けさせているのだそうだ。
「画材?」
「はい、そうでございます。ロメオ様がお亡くなりになられてから直ぐにオズワルド様も退きになられて、それからは一人山小屋で絵をお描きになっておられるとか」
「絵をね。……クロマはオズワルドに会ったことがあるのか?」
「えぇ、勿論ありますよ。とは言っても数える程度ですがね。今はオズワルド・モンスレーではなくクロードと名乗っているとか」
クロード、クロードね。
しかし、まさかクロマがオズワルドの居場所を知っていたとはな。
やはり各地を飛び回る商人と繋がりを持つことは大切だ。
こうして思いもよらぬ情報を得ることも出来る。
傷も癒えベッドから脱出した俺は軽い運動がてらラフィテアを連れ、木に囲まれたオズワルドのアトリエに足を踏み入れていた。
「あんたがクロード、いやオズワルド・モンスレーか?」
「んあ? どこの誰だ、てめぇ。人様の家に勝手に上がり込んでるんじゃねぇよ」
老齢の男は口から煙を吐き出すと目を細め訝し気にこちらを睨みつけていた。
「それはすまない。俺はオルメヴィーラ領の領主ラック。実はこの辺りに住んでいるというオズワルド・モンスレーに用があって来たんだ」
「オルメヴィーラ? あの辺境の地の領主? ふんっ、そりゃご苦労なことで。それでその領主様とやらがなんの用なんだ」
「実は――」
「いや、やはりいい。それ以上は口を開くな。お前、モンスレーを訪ねてきたんだろ?」
「あぁ、そうだ」
「オレはもうとっくにその名は捨てた。つまりその名前を知っていてわざわざここまで足を運ぶ奴が碌な話を持ってくるわけがねぇ」
「なんの約束も取り付けず突然訪ねたことは謝罪する。けど、俺たちはどうしてもあんたの力が借りたいんだ」
「口を開くなと言っただろ、小僧。オレはここでずっと絵を描く、そう決めたんだ」
そう言うとオズワルドはそれっきりパイプを咥えたまま口を閉じてしまった。
部屋の中が白くなるほど煙草の煙を吹かし早く帰れと言わんばかりの男の鋭い目つき。
――ここは一旦出直したほうが良さそうだな。
そう俺が諦めかけているとその様子を察したのか、ラフィテアがさっと一歩前に進み出て男に声を掛けていた。
「オズワルド・モンスレー様、この度は突然の訪問、大変申し訳ございませんでした」
「……エルフか」
「わたしはかつてエンティナ領に仕えていたラフィテアと申します。今は訳あってラック様の元で働いております」
「だからどうした。オレはな、もう面倒ごとはうんざりなんだよ」
「はい、ですが、どうしてもあなた様の力を借りたく、どうか話だけでも聞いていただけないでしょうか?」
「――はっ、もう好きにしな。ただし、話が終わったらとっとと帰るんだ、いいな」
「はい、ありがとうございます。――実は先日、現エンティナ領主であるオバロ・ベータグラムが拘束され王都に連行されていきました」
ラフィテアの口から飛び出た予想外の言葉にオズワルドは思わずせき込んでしまった。
「ごほっ、ごほっ、はぁ? 領主が拘束、連行だ? 一体なんの冗談だ」
「いえ、冗談ではありません」
「オバロっていやぁロメオの子倅のことだろ? あの坊主が何をやらかしたって言うんだ」
どうやらオズワルドににとっても想像の斜め上を行く話だったようで思わず身を乗り出しラフィテアの話に喰いついていた。
「領民に重税を課し、払えない者は奴隷商人に売り、反抗するものを容赦なく虐殺しました。さらに事もあろうにオルメヴィーラ領に数千の兵を挙げたのです」
最初はこの突拍子もない話を疑っていたオズワルドもラフィテアのその真剣な表情に、それが事実であることを感じずにはいられなかった。
「……俄には信じられねぇ話だな。あの小僧に何があった?」
「詳しくはまだわかりませんが、どうやら少なからず魔族が関わっていたようなのです」
「ちっ! また魔族か」
「今はラック様がエンティナ領の混乱が落ち着くまでマグレディーに滞在して対応していますが、いつかはオルメヴィーラに帰らなければなりません」
「それでこのオレを頼って来たのか」
「はい」
「なるほどな。話は大体わかった」
「でしたら――」
「だが、断る」
オズワルドは俺たちが言葉を挟む間もなく即座に首を横に振った。
「なぜ、オレの所に来た。あそこにはオバロの小僧の他にフェルディナントの娘がいたはずだろう。そいつに後を継がせればいい」
「フェルディナント?」
聞き覚えのない名前に俺とラフィテアが顔を見合わせていると、オズワルドは自分の言葉に苦笑し手に持っていた煙管をテーブルの上に置いた。
「そうか、お前たちがフェルディナントの事を知っている分けねぇか。名前なんていったっけか。あの娘、母親に似て綺麗な青い髪をしていたな」
青い髪?
「――もしかしてセレナの事を言っているのか?」
「あぁ、そうだ! セレナ、セレナだ。確かそんな名前だった。オバロとはそれほど年齢も変らなかったはずだ」
「そのセレナはオバロを連れてユークリッドに出発した」
「セレナ様は四剣聖の一人。聖リヴォニア騎士団の隊長も務めており、今すぐエンティナ領主を継ぐことは出来ません。それに――」
「へぇ、あの娘が剣聖に。……そうか、オレの知らないところで随分と立派になったみたいじゃねぇか」
「セレナ様はシエル様の仇を討つまでは自分に領主になる資格はないとそうおっしゃっていました」
彼女の言葉に一瞬固まったオズワルドは咥えていたパイプを床に落とすと、唖然とした表情でラフィテアに詰め寄っていた。
「……おい、お前、いまなんて言った」
「領主になる資格はないと」
「違う、その前だ。……お前、シエルの仇を討つと、そう言わなかったか」
「はい。シエル様はお亡くなりになりました」
「……そうか、シエルの奴、逝ったか」
オズワルドは掴んでいたラフィテアの肩から手を離すと再び椅子に腰をかけパイプを咥えながら煙草をゆっくりふかしていた。
「あいつはなぜ死んだ。魔族に殺されたのか?」
「シエルは魔族に操られたセレナを救うためその身を犠牲にし、死んだ」
「――そうか。シエルの野郎はセレナを、命がけで守ったんだな」
「はい、シエル様がいなければセレナ様を救う事は出来ませんでした」
「あんた、さっきセレナの事をフェルディナントって言ってたけど、彼女の両親の事を何か知っているのか?」
「――あぁ、そりゃよく知ってるさ。なんせ、あいつの母親はオレの妹だからな」
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