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1.ヒロイン・アターシャ=ベンリル

 アターシャ=ベンリルは田舎の村の農家に産まれた。

 毎日朝早く起きて、家族と共に畑を耕し、家畜の世話をする。娯楽といえば年に一度の豊穣祭りくらいなもの。そんな田舎の村で暮らすアターシャには一つだけ特別なものがあった。



 それはどんな傷でもたちどころに治してしまう特別な力。

 小さな切り傷から長く続く咳まで、アターシャが『治れ』と念じて手をかざせばたちどころに元気になってしまうのだ。


 その力にアターシャが突如として現れたのは、彼女が5歳の頃のこと。

 咳を長引かせる弟の背中をさすりながら「治って!」と神様に強く願ったのが始まりだった。その日を境にアターシャは魔法の力を使うことが出来るようになった。


 それからアターシャはお父さんの膝を治したり、近所のおばあちゃんの腰痛を治したり。村の誰かが怪我をした、病気をしたと聞けばすぐさま飛んでいった。そして魔法の力を使って痛みを取り除き、怪我や病気を無かったことにしてしまうのだ。


 そんなアターシャに村の誰もが感謝をした。

 近くの村からは彼女の力を耳にして、わざわざ足を運んでくる者もいるほど。

 病魔に取り付かれた人達を目にする度にアターシャは心を痛め、特別な力を使った。



「ありがとう」

 その一言を聞く度に胸を温かい気持ちで満たしながら――。



 そんな生活が10年近く続いたある日のこと。

 アターシャと彼女の家族の元に一人の兵士がやってきた。

 兵士は筒状の紙を開くと、真ん中に一層大きな文字で書かれていた言葉を読み上げた。


「アターシャ=ベンリルの学園への入学を認める」――と。


 訳も分からずに目をぱちくりとさせるベンリル一家に、兵士は『アターシャの力は【癒しの力】という特別な力であること』『アターシャの噂は国王様の耳に届いていること』『学園卒業後はその力を国のために使って欲しいと思っていること』を告げた。


 だがいきなり特別だとか、国のために~なんて言われたところで現実味なんてなかった。


 なにせこの村、王都から10日以上も馬車を走らせなければたどり着けないド級の田舎なのだ。


 農民として暮らしてきたアターシャの両親も、両親と同じように村の男と結婚して子を成していくのだと信じて疑っていなかったアターシャも騙されているのだ、と結論づけた。


 いくら国王様の刻印が押されていたところで、本物すらも一度も目にしたことがないからなおのこと。


「考えさせてください」

 そう伝えて、アターシャ一家は眉を潜める兵士を何とか帰らせることに成功した。


「三日後にまた来ます」

 ――もちろん完全に追い出せた訳ではないが。


 窓から兵士が去ったのを確認してから、父、ジェリコはその紙を抱えて村長の元へと走った。村長こそがこの村で唯一正式な書状を目にしたことがある人物だからだ。

 村長に確認してもらえば偽物だと判断を下すに違いない、と確信していたジェリコは力強く役場のドアを叩いた。


 偽物だとさえ分かればあんなやつ、さっさと王都でもどこへでも突っ返してやる! と意気込んで。


 けれど村長から告げられた言葉は「本物だ」の一言。

『偽物』という名の幻がガラガラと音を立てて崩れ、たった一瞬にしてジェリコの額は冷や汗でびっしょりと濡れた。そして真っ白になった頭の中に謝罪の言葉を一つ、また一つと思い浮かべながら家へと戻った。



「本物だそうだ」

 妻と娘に告げるその声は大層重苦しいもので、とてもではないが、王国に選ばれた娘の家の大黒柱には見えない。

 三日後に控えた兵士の再訪に怯えるジェリコは、冷えた豆のスープを震えた手で掬う。けれど途中で皿の中にペチャペチャと落としてしまうせいで口の中に到達出来るのは選ばれし豆のみ。


 そんな父の姿を見たアターシャはテーブルの下で、握りこぶしを作るようにワンピースを掴んだ。


「私、楽しみだわ」

「え?」

「だって本物ってことは私の学園入学が認められたということでしょう? それに将来国のために働かせてもらえるってことは職が保証されるってことよね? お国が出してくれるならきっとお金だっていっぱいもらえるはずだわ!」


 アターシャにとって王都は未知の場所だ。

 ずっと使ってきた力が特別な力だと言われても実感はない。

 国のためなんて言われても、国王様の顔すら知らない。


 けれどあの申し出を断ることが出来ないことは父の様子を見ていればアターシャにだって分かること。だから彼女は『愛する家族のため』になる行動を取ることにした。


 寂しさや不安を押しつぶして笑うことで家族が笑ってくれるなら、それでよかった。




 約束通りやってきた兵士に「よろしくお願いします」と頭を下げ、必要最低限の荷物を手に、アターシャは村から旅立った。


 馬車の中で会ったばかりのアターシャと向き合うのは、兵士にしてはやや細身の男である。

 髪はさらさらで、見た目は教会に飾られた絵画のように美しい。そんな男と同乗していることがなんだか申し訳なくなって、馬車のドアにつくギリギリの位置まで身を寄せた。そしてまだ見ぬ都会に恐怖さえ抱き始めていた。




 ――けれどそんなアターシャに変化が訪れた。

 それは馬を休ませるために、と途中の町で宿に泊まった時のこと。


 産まれて初めて村の外で夜を明かしたアターシャは、前世の記憶を思い出したのだ。


 不思議と記憶が混濁することも、押し寄せる大量の情報に頭が暴走することもなかった。

 その記憶はまるでずっと昔からあったかのように、すんなりとアターシャの記憶の中に居座ったのだ。


 そして前世の、日本人であった頃のアターシャ自身の人格も。

 日本で『アキ』と呼ばれていた頃の記憶によると、アターシャの外見は過去にプレイしたことのある『乙女ゲーム』の『ヒロイン』に似ているらしい。そして兵士と身分を偽って宰相様が迎えにくるところもゲームの中のアターシャと同じらしい。どうりで目の前の人物が兵士らしくないはずだ。


 アキはしきりに「乙女ゲーム転生だわ! それもヒロイン!」と心を踊らせていた。

 けれどアターシャは「でもこれは現実だわ」と否定をする。


 いくらハイテンションの自意識が芽生えようとも、そう簡単に気持ちを切り替えられる訳がなかったのだ。


 けれどそんなアターシャにアキはつまらないヒロインね……とため息混じりの声を漏らした。そして王都に着くまでの数日間、頭の中で問答を繰り返した二人はとある約束をした。




 もしもこの世界が『乙女ゲームの世界』だとしたら、アキが前世で一番推していた『カウロ王子』を第一希望に据えた上で、攻略者達を攻略させること。

 そしてこの世界が乙女ゲームでなかったら、アターシャが学園生活を乗り切るための手助けをするというのだ。




 王子様や宰相様相手に攻略なんて……と思ったアターシャだったが、彼女の中にもアキと同じ記憶があるのだ。


 そしてアキにとってカウロ王子がいかに心の支えであったかも知ってしまっている。


 だからこそ、アターシャは了承した。

 正直どうとでもなればいいという気持ちもなかった訳ではない。それでも試してみる価値はあると思ったのだ。




 そして賭けはアキの勝ちだった。

 アキ曰くプロローグ部分である、学園入学式で顔を会わせた面々は皆、記憶の中の人物と合致したのだから。


 やったわ! リアル乙女ゲームよ! と心の中ではしゃぐアキを無視しながら、アターシャはとりあえず問題なく入学式を乗り越えられたことに緊張の糸をほどいた。

 なにせ周りはほとんどがお貴族様なのだ。

 いくらハイテンションもとい脳天気なアキと一緒にいても緊張しない訳がなかった。


 それにアキの記憶通りにシナリオが進むのなら、アターシャは悪役や彼女達の手下によって散々な目に遭わされることとなる。婚約者や幼なじみ、兄弟にどこの馬の骨かも分からない女がちょっかいをかけていればそうなるのも分からなくはない。


 だがのどかな村で過ごしていたアターシャは元来平和主義なのだ。

 特定の人物に関わりさえしなければ被害がないというのであれば関わりたくないというのが本音である。


 けれどアターシャのそんな気持ちにアキが耳を傾ける訳がなかった。


 せめて数少ない衣料品と高価な教科書だけは何としても守りきらなければ……。

 学園から少し離れた場所に建てられた寮に戻るアターシャの足取りは重いものだった。



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